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6.急に人生が動き始めた 

「執着」を手放す

メンタルクリニックに通い始めた頃は
「子供が独立した後に生きていく気力がない」
「年を取った後のことが想像できない」
「誰にも邪魔されずひとりになりたい」
「消えたい」
・・・そんなことをずっと泣きながら
先生に訴えていました。

これが今からたった1年半前のこと。
負のスパイラルの中に
加速度的に堕ちていくというのも
「うつ」症状だったのですよね。

お薬をちゃんと飲み、
なおかつ睡眠時間を確保すること、
そしてなにより少し“いい加減”になることを
心掛けました。

・・・いや、そんなこと言いながら、
別に几帳面だったわけでは決してなくて。
片付けも下手だし、めんどくさがり屋だし、
自分でもかなり大雑把だなぁと思うのです。
これは今も変わらず。

でも、今思えば
「私がしなければ」に囚われ、
それが思うように「できていない」と
自分を責めていたのだなぁと思います。

冷静に自分のメンタルヘルスについて
考えていくにつれ、
自分で自分を責める根源は、
無駄な「執着」だったのだと気付きました。

別に私がしなくても誰かがするだろうし、
私がしなくてもどうにでもなる。
できなかったとしても、
そんなに困るほどのことはない。

周りの人に迷惑かけてはいけないとか、
軽蔑されてはいけないとか、
自分が細々気にしているほど、
周りは私のことを見ているわけではない。

・・・それなのに、
そこに変に執着し、
意固地になっているのは、
他の誰でもない自分自身でした。

そしてまただんだんと違うことにも
気付きました。
子供達が学校に行けず
悩み苦しんでいる時、
きっと当時の私に
近い状態だったのではないだろうか、と。

「学校に行かなければならないのに」
「親に心配かけてはいけないのに」
「友達からも変なヤツと思われたくないのに」

子供には子供なりにこだわるポイントがあって、
そこに執着してしまうがゆえに、
余計に苦しみから抜け出せないでいる。
自らのメンタル不調から得られた学びは
非常に大きかったと思います。

子供達を本当の意味で支えるのであれば、
私がまず執着を手放し、
そういう自分から
脱却していかなければならなりません。

自分をがんじがらめにしていた
執着を一度脱ぎ捨て、
深く考えすぎない!なんとかなるよ!
と言い聞かせ、
自分の行動を「自分ファースト」に
シフトしていくことにしました。

世界が広がると、新しいものに出会う

自らの目線が変わってくると、
不思議なことに引き寄せてくるものも
変わってくるものです。
まるで
「これをしなさい」という神の啓示のように。

文字、文章、書籍・・・
一番苦手だと思って、
どちらかと言えば避けて生きてきた分野。

ところがある日、
ライティングをオンラインで学べるという広告が
インスタで流れてきました。
その時の私はどういうわけか
「これだ!」と思ってしまい、
まず無料講座を受講することにしました。

実は、会社で商品に関するリーフレットやPOP、
WEBサイトの表現に関する校閲や
承認のようなことも私の業務にあったので
「社内の誰にも文句言わせないような
知識を付けたい」
という気持ちが大きかった
というのもありました。
(単なる負けず嫌いとも言う)

いろいろな経験のおかげで、
徐々に剥がれていった「文章」への苦手意識。
自分をパワーアップする
1つの手段になるかもしれないという期待感。
そしてなにより、この子供の不登校の経験を
どこかの誰かのお役に立てることができれば・・・
という希望。

それらが偶然ピタッとマッチしたのでしょうね、
一度も考えたこともなかった方向に、
私は突き動かされました。

結果的に、
私はこの新たな世界の学びに
見事にはまりました。
難しいことはいっぱいあるけれど、
学べば学ぶほど、
文章や表現の世界が奥深くて楽しい。

世の中に溢れているもの、
目に入ってくるものが、
どういう意図、
どういう工夫で作られているのかに
思いを馳せ、
自分ならどうだろう?と考えるのは、
とにかく楽しいのです。

まさか自分が文章を書くなんて
夢にも思っていなかった人間が、
この年になって突然フタをしていた世界をこじ開け、
ライティングの世界に飛び込んでしまった・・・
これは絶対に神の啓示だと思うのです✨

そして、私の経験を無駄にせず、
世の中に還元することが、
私のこれからの使命なのだと強く思っています。


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