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武蔵野市住民投票条例についての産経・東京/中日・信毎社説読み比べ

 先日、読売新聞の社説についての記事を書き、お陰さまで多くの方に読んでいただいた。ただ、武蔵野市住民投票条例についての社説は、読売だけではない。  そこで本稿では、産経新聞の『外国人の住民投票 武蔵野市議会は否決せよ』とする武蔵野市住民投票条例についての2度目の社説(12/15)と、東京新聞・中日新聞の『外国人投票条例 多様性反映するために』とする社説(12/2)、信濃毎日新聞の『住民投票条例 国籍で区別する理由ない』とする社説(12/15)をそれぞれみていく。
 後者二紙については、あまり突っ込みどころがないが、少しコメント・解説しつつ、みていく。

 なお、それぞれの発行部数は、産経新聞が約136万部、社説を共通にする東京新聞(=中日新聞東京本社)と中日新聞が合計約256万部(東京42万部・中日214万部)、信濃毎日新聞が約44万部(長野県ではシェア5割超)である。
 以下、グレーの部分は、各紙社説の引用(原文ママ)である。

1. 産経『外国人の住民投票 武蔵野市議会は否決せよ   』(2021/12/15)について 

 まず、産経新聞からみていく。産経新聞はいわずと知れたタカ派の右派紙である。部数は、減りに減り、東京では夕刊も廃刊となるなど、全国紙とはもはや言い難い苦しい情勢である。部数でいえば、ブロック紙である中日を大きく下回り、東京都においても東京新聞よりも部数は少ない。
 ただ、インターネットで無料公開されている記事が圧倒的に多く、右翼系のインフルエンサーの拡散力も相まり、その影響力は侮れない。

1.1 先例2自治体に問題あったのか?

 東京都武蔵野市が提出した外国人への住民投票権を認める条例案は、国益を損なう。市議会の責任で否決すべきだ。
 市議会は13日の総務委員会で、日本人と外国人を区別せずに投票権を認める住民投票条例案を可決した。条例案は21日の本会議で採決される。 
 賛成多数で成立すれば、神奈川県逗子市と大阪府豊中市に続き全国で3例目となる。

 そもそも、産経新聞のいう「国益」とは何か。全く抽象的でわからない。

 他でも述べているように、神奈川県逗子市と大阪府豊中市は、「国益」を損なったというのであろうか。全国で3例目ということをあげるのであれば、なぜ前の2例において、成立後どうなったかを示さないのか。

1.2 住民投票権≠参政権、公明の矛盾

 条例案は、市内に3カ月以上住む18歳以上の日本人に加え、留学生や技能実習生ら外国人にも投票権を認める内容だ。
 総務委で陳情した反対派市民団体は、「実質的に外国人参政権が認められる」などと述べ、違憲の疑いを指摘した。条例に反対の公明党市議は、「住民投票が政治利用されることはないのか」と市の見解を質(ただ)した。

 まず、住民投票権は、参政権ではない。特に、憲法学・判例上禁止されるとされる国政選挙とは、その投票内容、投票による結果の拘束力の有無、有権者(投票権者・選挙権者)の要件を決する機関も異なる。
 地方参政権においては、地方自治(憲法92条)との関係からも憲法学上の学説では許容説が最も有力とされており、判例も外国人の地方参政権は禁じられないとする(最判平成7(1995).2.28)。地方参政権は、法的拘束力があり、地方自治体の政治を決定する代表を選ぶものてあるが、住民投票は、法的拘束力もなく、住民投票が地方自治体の政治を決定づけることもできない
 あくまで武蔵野市を含む地方自治体における決定権は、(国が外国人の参政権付与を認めないことから)日本人のみの地方参政権により選ばれた地方議会(武蔵野市議会)および自治体の首長(武蔵野市長)である。

 なお、話は少しそれるが、委員会で反対した公明党は、外国人の地方参政権付与に賛成の立場であり、民主党や共産党などと複数回にわたり、外国人地方参政権の法案を提出している。より権利として強い外国人地方参政権に賛成しておきながら、住民投票で反対するというのは、まさに矛盾挙動である。党本部に説明を求めたいくらいだ。

 市は条例について住民の意思表示であり、外国人参政権にはあたらないとの立場だ。松下玲子市長は「外国人も町の一員であり、住民投票に参画する資格がある」と述べた。住民投票が政治利用される可能性については、答弁に立った市幹部が、発議に高いハードルがあるとして否定した。

 そもそも、「市は…外国人参政権にはあたらないとの立場だ」も何も、住民投票権は、前述のように一般的に参政権といわれるものではない
 例えば、参政権について国民主権性を問題にし、日本人のみにしか認められないと主張する際には、憲法15条を根拠とする。しかし、憲法15条は、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」とするものであり、基本的には選挙権についての規定である(狭義の参政権)。なお、「広義の参政権」とは、一般的には(少なくとも憲法学上)「公務就任権」を指すのが通常であるが、これも憲法15条を根拠にすることができる。(※「広義の参政権」についても、外国人に憲法上の保障が及ばないとするのが判例である(同時に禁止もしていないから外国人の公務員は存在する)。)

1.3 厳しすぎる?発議要件

 発議が難しいというが、投票権を持つ住民の4分の1以上の署名が集まれば、住民投票を実施できる。何を問うかも住民次第だ。安全保障やエネルギー問題など、国政に関わる事柄が住民投票に付された場合どうするのか。

 住民投票に有権者の1/4以上の署名が必要であるという要件は、他に比べてもハードルが高い。例えば、前出の逗子市は1/5以上(逗子市住民投票条例4条1項)、豊中市は1/6以上(豊中市市民投票条例7条1項)、隣接する小金井市は13/100以上(小金井市市民参加条例18条1項)、杉並区は1/50以上(杉並区自治基本条例27条1項)である。これらからすれば、発議要件は厳しすぎて、むしろより緩やかでも(少なくても)よいくらいである。 また、たしかに「何を問うかも住民次第」ではあるが、原則として市の権限に属することが必要である。加えて、安全保障やエネルギー問題など、「国政に関わる」というより国政の専権事項であるものについて住民投票をしたところで、市に権限がない以上、無効である。

1.4 「外国人」の意思ではなく「住民」の意思

 法的拘束力はなくとも、議会と市長は投票結果を尊重しなければならない。外国人の意思が影響しかねないという懸念は残る。

 住民投票条例では、尊重義務に関する規定をおくことは珍しくない。前出の逗子市、小金井市では尊重義務について条文で明記されている(逗子市住民投票条例15条、小金井市市民参加条例22条)。また、名文の規定をおかない自治体においても、住民投票の結果を尊重するのは当然の前提になっている(し、実際に無視した場合には、次の選挙で落とされるだろう)。
 当然、住民投票なのだから、すべての住民の意思が反映される。外国人の意思云々ではなく、住民の意思を反映するだけだ。その中で、外国人(武蔵野市において現在約2%程度)の住民の意思も反映されるが、当然日本人の意思も反映され、圧倒的に日本人の意思が反映されやすい。
 なお、逗子や豊中で外国人が急速に増えたという事実もない。

1.4 解せないアンケート無視

 解せないのは、条例案を提出するまでの過程だ。
 市はパブリックコメントなどで意見を募り、理解を得る努力を重ねてきたと主張する。だが、今年8月に開催した住民投票をめぐる市の意見交換会には、コロナ禍の緊急事態宣言下で、参加者は10人にとどまった。市民への周知が徹底されたとは言えまい。

 さて、読売新聞の社説でもそうであったが、なぜか2,000人に対する無作為の市民アンケートの存在が無視されている。解せないのは、どう考えても武蔵野市の対応ではなく、産経の対応だ(もちろん衆院法制局の件もあるがここではおいておく)。たしかに回答率は高くなく、郵送では412の回答にとどまるそれでも国が信頼できる基準とされる『信頼水準95%、許容誤差5%』に必要な人数は、武蔵野市の人口14.8万人の場合には384名で足り、無作為抽出の郵送だけの412名でも十分信頼できる数字である。
 また、パブリックコメントの数や期間は、他の条例などに比べて決して少なかったり、短かったりするわけでもない。広報という観点からも、市報で1頁全面をつかった説明があるなど、むしろ他の議案などに比べて相当に慎重かつ大々的に広報してきたことは、前に述べた通りである。

 残念ながらそれでも知らなかった、という市民が少なくないが、そのような市民はもとより他の市政に関することもあまり知らないだろう。
 産経新聞で報道したり、街宣を行うことなどに比べて、市の広報のリソースは限られているのだから、この点はやむを得ない。

1.5 インチキ判例解釈

総務委で意見陳述した市民団体は書面とネットで計2万4千筆の反対署名を集めたという。昭和53年の最高裁判決は、政治的な意思決定に影響を及ぼすような政治的活動を外国人に認めていない。事実上の外国人参政権である今回の条例案は違憲の疑いがある。

 皮肉なことに、全国からの書面とネットあわせての署名でさえ、仮にすべて真正の署名だとしても2.4万筆に留まる結果をみれば、3万超の署名(市民だけかつネット不可)を集め、住民投票をするハードルの高さがわかるだろう。
 何度もいうが、今回の住民投票条例が違憲になる可能性は、皆無に等しい。
 最判昭和53年10月4日(いわゆるマクリーン訴訟)においても、「政治的な意思決定に影響を及ぼすような政治的活動を外国人に認めていない」のではなく、単に「保障が及ばない」とするだけである。細かいように思うが、これは重要である。「認めていない」は禁止に近いニュアンスだが、「保障が及ばない」は守らないけど禁止しない、というものである。
 「政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶ」という判決原文を読めば誰でもわかる。
 むしろこの判決は、原則として外国人にも日本国憲法上の権利(政治活動の自由)は保障されるとするものであり、政治活動についても例外を除いて保障が及ぶとするものである。見方によっては、この判決からは、国政に政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼさない地方自治体の住民投票は、憲法上外国人に保障されているということさえできる。
 外国人参政権についての平成7年最判ではなく、この判決を持ってきた辺り、産経新聞もようやく外国人参政権が地方参政権において禁止されていないということがわかったのだろう。しかし、外国人の住民投票権付与を禁じたいとする上で、(しばしば憲法の人権の保障が外国人にまで及ぶとする上で用いられる)昭和53年最判をもってくるのは、ナンセンスそのものである

 憲法上問題にならないこと、そして憲法上の要請である「地方自治の本旨」(憲法92条)の住民自治にかなう制度であるといえ、また、自治体が住民投票権の有権者の範囲を決めることそれ自体が住民自治であるというのは、学者の見解でもある(例えば水島朝穂早大教授の直言山元一慶大教授のコメント)。

 条例が成立すれば他自治体に波及しかねない。市議会は、大所高所から否決すべきだ。

 前から述べているように、あるいは産経新聞自身が述べているように、逗子や豊中という先例がある中で何の問題があったのか。他自治体に波及して何が悪いのか。
 根本的に、産経新聞の「国益を損なう」という主張には根拠がない。

2. 東京新聞・中日新聞『外国人投票条例
多様性反映するために』(2021/12/2)

 続いて、東京新聞・中日新聞である。東京新聞といっても、実際には中日新聞東京本社が発行する新聞であり、中日新聞の東京版である(かつては別会社)。そのため、社説も同じである。論調はリベラルとされる。
 中日新聞は、愛知県・岐阜県・三重県などで圧倒的なシェアを誇る他、中部地方全般で強い。なお、東京新聞も東京という三大紙(読売朝日毎日)が強いと思われるなかで、毎日や産経より部数は多い。

2.1 地方自治と住民投票

 東京都武蔵野市が外国籍の住民にも投票権を認める住民投票条例の制定を進めている。市政の課題を問うための投票で、外国人を含む多様な意見を地方自治に反映する機会ととらえたい。
 松下玲子市長が先月、市議会=写真=に提案した住民投票条例案は、住民登録して三カ月以上、十八歳以上の市民に国籍に関係なく投票資格を認めている。有権者の一定の署名が集まれば、投票を実施する「常設型」条例で、市長や議会に投票実施の拒否権は認められていない。

 ここで述べられているように、外国人の住民投票権を認めることは、「外国人のための住民投票」を実現することが目的なのではなく、「外国人を含む多様な」住民による住民投票を実現するためである。
 実施要件は、前述のように厳しいものであるが、市長や市議会に拒否権がないというのは、地方自治(憲法92条)における住民自治の要請を反映したものといえよう。

2.2 先例2自治体の現実

 一九九〇年代後半に始まった住民投票実施の条例制定のうち、永住外国人にも投票権を認める動きは二〇〇二年の滋賀県米原町(現米原市)に始まり、愛知県高浜市などが続いた。武蔵野市のように居住期間を要件とし、国籍を問わない条例は神奈川県逗子市、大阪府豊中市に先例がある。

 ここにあるように、逗子市や豊中市という先例があり、これらの二市においては、(長島昭久のような違憲でないものを違憲といったり、排外主義的な議員が活動しなかったこともあり)もはや外国人を含めることについて(当然だと)議論にならなかったり(逗子市)、抗議活動などはなかったという(NHKより)。

2.3 ヘイトスピーチ

 住民投票条例に限らず、条例は法律に反しない範囲で定められる。日本の法律に外国人の住民投票の権利を制限する規定はなく、投票資格者を自治体で定めることに法的問題はない。にもかかわらず、武蔵野市の動きに反対する人たちが市役所前に押しかけ「外国人が選挙権を持つことになる」「外国人が大挙して移住し、市政を乗っ取られる」とヘイトスピーチまがいの主張を繰り返している。これらは制度を曲解した言い分だ。

 はっきりと書かれているが、「日本の法律に外国人の住民投票の権利を制限する規定はなく、投票資格者を自治体で定めることに法的問題はない」というのが事実である。この点については、前出の山元・慶大教授も述べている
 ヘイトスピーチまがいと書かれているが、実際に中国人などに対する差別に基づく言説、ヘイトスピーチが武蔵野市各所で行われている。市役所のみならず、「住みたい街ランキング」で上位常連の吉祥寺周辺でも多くの右翼団体による活動がなされている。
 「外国人が選挙権を持つことになる」というのは完全なデマであるし、「乗っ取られる」というのも後で述べるように、事実上不可能である。

2.4 ハードルの高い住民投票と武蔵野市

 武蔵野市の住民投票条例は投票結果に法的拘束力がなく、公職選挙法に基づく通常の選挙権とは異なる。住民投票実施には一定数の署名が必要で、多くの外国人が移住するだけでは難しい。

 これまで述べてきた通りであるが、公職選挙法に基づく選挙、あるいは公選法と地方自治法に基づく地方選挙とは異なる。また、署名要件についても有権者の1/4以上必要であり、これがかなりハードルが高いのも述べた通りである。
 また、移住するといっても武蔵野市には既に約15万の人口があり、日本にとって不都合な住民投票を行うためには、7~8万人の外国人が移住して署名する必要があり、かつ賛成多数にはその倍、約15万人を要する。(といってもそもそも市の権限で外交安全保障等について決めることはできないが。)
 埼玉県蕨市に次いで、日本で二番目に人口密度が高く、地価や家賃も都心並みの武蔵野市において、15万人の悪意をもった外国人が移住する可能性は、皆無に等しい。

2.5 専門家の視点も

 住民投票条例に詳しい武田真一郎成蹊大教授(行政法)によると、これまで行われた住民投票のうち外国人に投票を認めた条例は二百件を超える。現在は外国籍住民の登録制度があり、定住者を把握しやすいため、武蔵野市型の条例はさらに増えるだろう、とみる。

 教授の見解を社説に組み込むのは、素人的判例解釈(というより、判例の選定段階からまずい)を展開してしまう産経に比べて、信頼のおける点である。

 地域の大事な課題に意見を表明することは、表現の自由として保障された基本的人権だ。国際協調や多様性が重視される時代には、同じ街に住む外国人の意見も、街の特色を生かした地方自治の一つとして尊重されるべきである。

 いわゆる表現の自由とはやや離れるが、表現の自由に組み込む解釈もとりうるだろう。いずれにせよ、住民投票権は、住民としての意思を表示する自由に対する権利である。そして、住民自治を求める憲法92条にもかなう。
 NY市において、市長選などを含む投票権が、就労許可があれば30日の滞在で認められるとするなど、「国際協調や多様性が重視される時代には、同じ街に住む外国人の意見も、街の特色を生かした地方自治の一つとして尊重されるべきである」とは、至極真っ当な見解であろう。

3. 信濃毎日新聞『住民投票条例 国籍で区別する理由ない』(2021/12/15)

 さて、ある意味で「当事者」はほぼ読んでいないであろうにも関わらず、社説で取り上げるのが信濃毎日新聞である。
 長野県では圧倒的なシェアを誇り、社説も独自で出すなど、元気な新聞社である。(地方紙全般にいえるが)リベラルな論調であり、毎日新聞ともひと味違った論調が魅力的である。

3.1 地方自治と住民投票

外国籍の人も同じ地域にともに暮らす住民であることに変わりはない。条例によって日本人と同じ条件で住民投票の資格を認めることは、地方自治の本来のあり方にかなっている。
 東京都武蔵野市が市議会に提出した住民投票の条例案だ。18歳以上で、市内に3カ月以上住む人に国籍を問わず投票資格を認める。21日の本会議で成立すれば、神奈川県逗子市、大阪府豊中市に続き全国で3例目となる。

 東京新聞(中日新聞)と少し似た色合いの始まりである。ここまで特に異論はない。地方紙とはいえ(あるいは地方紙だからか)、憲法92条の地方自治などに対する見解は的を射ている

3.2 地元選出は…

 この条例案に、保守派の激しい反対運動が起きている。市が先月、条例案を公表した直後から、街宣車や拡声器で「ここは日本だ」などと叫ぶ人たちが市役所前に集まったという。地元選出の国会議員や自民党系会派の市議らも街頭で反対を訴えてきた。

 前半はいいが、少し待て、といいたい。
 「地元選出の国会議員や自民党系会派の市議らも街頭で反対を訴えてきた。」というのは少し違和感がある。
 武蔵野市を含む東京18区から選出された国会議員は、菅直人元首相である。非常にオリジナリティ()溢れる憲法・判例解釈などに基づいて反対運動を煽動(先導)している長島昭久議員は、18区で落選、比例で復活した議員であることに注意したい。

3.3 スマートな判例解説

 外国籍の住民に認められていない参政権を代替する制度になり、違憲の疑いがある、というのが反対論の柱だ。民意をゆがめて地方自治を損ない、国民主権の原理にも反すると主張してもいる。
 憲法93条は、自治体の長、議員は住民が選挙すると定める。「住民」の範囲を法律で明確にし、外国人にも選挙権を認めることは妨げられていない。最高裁は1995年の判決で、地方選挙権を付与する措置は憲法上禁止されていないとの判断を示している。

 ごくごく当たり前の判例の解釈を展開している。産経や読売などを読んでいると、こうして判例を的確に指摘する新聞がかえって珍しく思えてしまうのは悲しいところである。
 ともかく、「1995年の判決で、地方選挙権を付与する措置は憲法上禁止されていないとの判断を示している」のが判例であり、それ以上でもそれ以下でもないのである。

 まして、条例による住民投票は意見の表明にとどまる。市長や議会は結果を尊重するよう求められるものの、法的な拘束力があるわけではない。外国籍の市民に投票権を認めたからといって、違憲の疑義が生じる余地はない。

 これも極めて断定的に論じているが、「外国籍の市民に投票権を認めたからといって、違憲の疑義が生じる余地はない」というのも、私が繰り返し述べてきたことのみならず、前出の憲法学者である山元・慶大教授のコメント水島・早大教授の言説にも一致する。
 外国人を日本人と同様の条件で住民投票権を付与することは、違憲に「なり得ない」のである。

3.4 自治基本条例と住民投票

 武蔵野市は昨年4月に施行した自治基本条例で、市長と議会の二元代表制を補完する仕組みとして住民投票を位置づけた。今回の条例案はそれを具体化するものだ。特定の事柄をめぐる「個別型」ではなく、住民投票を制度化する「常設型」の条例である。
 基本条例は、住民の意思に基づいた自治のあり方を定める。市は国籍を市民の要件にしていないことを踏まえ、住民投票にあたって外国籍の人にだけ在留期間などの要件を設けることには明確な合理性がないと述べている。筋が通った説明である。

 社説として自治基本条例を出したのは、信濃毎日新聞がはじめてであろうか。
 何を隠そう、武蔵野市は住民投票条例制定を前提とする自治基本条例を全会一致で可決し、既に施行されている。住民投票についての規定もあるが、住民投票条例がない今は、その部分については空文化してしまっている。自治基本条例の完全な施行のためにも、丁寧な議論はしつつも可及的速やかに住民投票条例を可決・施行させる必要がある。
 長島昭久などは、「立法事実(≒立法する理由)がない」というが、住民投票条例を前提とした自治基本条例を可決・施行されている以上、これ以上引き伸ばすことはかえってよくない。立法事実しかないのである。

3.5 先例の2市の事実

 反対派の主張には、排外的な意識が見え隠れする。逗子市や豊中市が2000年代に条例を設けた際には、表立った抗議活動はなかったという。排外主義がはびこる状況を押し返す自治の力が問われている。その動きを、外国籍の市民に地方参政権を認める議論にもつなげたい。

 信濃毎日は、逗子や豊中についての状況・事実なども的確に示している。
 そして、かなり「攻めている」印象だ。
 これまでも述べてきたように、理由なき外国人の投票権排除は「排外主義」に他ならない。武蔵野市が「排外主義」的主張に屈しない姿を示してほしいのは、全く同意である。
 そして、最後の一文。とにかく武蔵野市住民投票条例を認めたくない人たちにとって格好の「獲物」であろう、外国人参政権である。ただ、地方における外国人参政権を認めることが憲法に反しないのはこれまで述べてきた(判例の)とおりであるし、NY市の事例もある。朝日新聞の調査では、2013年時点ですでに定住外国人の地方参政権に賛成の割合が6割を越えていた。外国人の地方参政権は、特に定住外国人についてはそろそろ認められてよいのではないか。
 ただ、武蔵野市住民投票条例が可決されたとしても、外国人参政権を認める方向に進むかというとNOである。自治体が条例で定められる住民投票権と異なり、参政権は地方参政権であろうと法律の改正、すなわち国会での議論が不可欠である。そして、その国会で多数を占めるのが、現在"住民投票条例でさえ"反対する自民党である。連立与党の公明党は、かつては外国人の地方参政権を認める法案を出していたが、武蔵野市では住民投票条例にまで反対する節操のなさである。
 今回の条例案により、外国人地方参政権が問題ないということも明らかになったであろう。ただ、やはりその前に住民投票条例=人権を広く認めようとする社会であってほしい。

4. 簡単なまとめ

 これをみれば、産経新聞の酷さはよくわかるであろう。こういう「テキトー」なことを書いているから他紙に比べても圧倒的に負けるのである。いや、圧倒的に負けた結果なのかもしれないが。
(産経はほぼ新卒採用をストップしており、一般的には分業制のところ、記者が広告を取りに行ったりするという話も聞いたことがある。それくらい財源不足であり、人材不足。)
 さて、産経の話はおいておき、ごくごく真っ当な社説を掲載するマスメディア・ジャーナリズムが残っていることは当たり前であると同時に、不思議と喜ばしいことである。とくに、判例などは新聞社がテキトーなことをいって載せてしまうと、読者は疑わず信じることが多い。
 学者の意見や文献などをあたり、正しい事実を前提に論を展開しなければ、社会に害をもたらしかねない。社説の分析はさまざまできるが、まず、客観的事実に基づいているかを見ていくことは必要だろう。

武蔵野市住民投票条例についての拙稿

ちなみに、産経新聞の「疑惑」は、市議会での説明により、確証へと変わった。改めて載せておく。

各紙の社説



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