見出し画像

「日本最古の駄菓子屋」〜鬼子母神の上川口屋へ〜

東京都心を走るチンチン電車「都電荒川線」に乗って

大学が北区西ヶ原にあったので、私が住んでいた下宿(内科医の老夫婦が大家さんで、ホントに”下宿”って感じのところ)の最寄り駅は都電荒川線の「西ヶ原」でした。

ド田舎から上京したてで初めて住んだのが西ヶ原だったわけで、クルマだらけの東京都心を器用に走りまわる路面電車を見て、「広島電鉄みたいだなぁ。こんなのが東京を走ってるとは!」と驚いたものです。

けっこう好きでしたね、荒川線。

卒業して何度か引っ越しをし、荒川線に乗る機会もなくなっていましたが、息子が生まれてからはわざわざ乗りに行きました。クルマと並んで走る電車なんて、楽しいですからねぇ。男子は大喜びです。

いつだったか、名称が「都電荒川線」から「東京さくらトラム」という、なんだかよくわからないやつに変えられていて、少なからずショックを受けました。都電荒川線のほうがいいじゃん。。わが家は今後もきっとずーっと「都電荒川線」と呼ばせていただきますよ、ええ。

それはさておき。
今回ご紹介するのは、下町感たっぷりの都電荒川線「鬼子母神前」駅から歩いてすぐ、「鬼子母神」の境内にある日本最古の駄菓子屋さんのお話です。

創業1781年!江戸時代から続く日本最古の駄菓子屋

安産・子育の神様である鬼子母神を祀るお堂として地域の人に親しまれている鬼子母神。

雑司ヶ谷・鬼子母神007

まずはお参りをいたしましょう。

雑司ヶ谷・鬼子母神001

さてさて。
創業1781年、日本最古の駄菓子屋さん「上川口屋」は、なんと鬼子母神の境内にあるんです。現在13代目(!)の内山さんというおばあちゃまが切り盛りされています。

創業当時は「あめや」として、お菓子やうちわなどを販売していたそうです。

こんな資料を見つけました↓

「新編若葉の梢」によると江戸名物の飴を売る店は皆「川口屋」を名乗ったと書かれています、何件もあった中の3件が「本家川口屋」を名乗っており、今日では雑司が谷「川口屋」のみが残っているとのことです。
  〈中略〉
お店は其々の時代背景の中、所有や支配がなされて来ました。飴屋としての「本家川口屋」は明治以降において≒20坪の国有地に建っており、国と借地契約を結んでいたそうです。(母)安井千代さん所有の時代に「上川口屋」へと屋号を変更し、現在は(土地、建物共)内山さん所有となっているそうです。

たたずまいといい、建ってる場所といい、駄菓子屋の理想!
なんともいえない、い〜い空気が流れています。

雑司ヶ谷・鬼子母神003

以前来たとき、息子はまだ保育園児で、看板猫として駄菓子の上に寝そべっていた白黒の猫「石松くん」を「かわい〜い♡」と言ってナデナデしていたものです。残念ながら2016年に亡くなってしまったそうで、内山さんと「いい子でしたよねぇ」と石松くんを偲びました。

雑司ヶ谷・鬼子母神002

駄菓子を買ったら、連なる鳥居の前で映えておこう

鬼子母神内には、京都の伏見稲荷大社の「千本鳥居」・・・ほどではありませんが(笑)、こじんまりと連なる鳥居があります。

初訪問時の息子。
上川口屋さんで買ったばかりの駄菓子を食べながら映えてみました。

画像3

当時、夏のお出かけと言えばほぼこれ!というくらい着まくっていた甚平さん+麦わら、そして地蔵のような顔立ちが、なんとも昭和なイメージです。

そして、12歳になった息子。

雑司ヶ谷・鬼子母神004

しくった! 甚兵衛さんを着せてくればよかった。
・・・めっちゃ寒い日だったけどw

都電荒川線といえば、あらかわ遊園の再開も待ち遠しい

小さい子の楽園的な存在、のんびり系遊園地の「あらかわ遊園」にもよく足を運びました。たしか、入園料は大人200円、小中学生は100円(平日は無料)、とかでしたよね!

現在、リニューアルの最中で長期休業中なんです。来年の春頃には再開予定だそうなので、もうすぐ私よりも背が高くなりそうな勢いの思春期中学生男子を伴って、行ってみようかな〜とか思ってます。

のんびりしたあのゆる〜い雰囲気はぜひ引き継いでほしいなぁ。

もちろんそのときはまた上川口屋にも立ち寄るぞ。



この記事が参加している募集

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?