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記念日に『五代目 野田岩』の鰻重を所望する息子は正しかった。

一年前の春。中学生になる息子に「入学祝いにおいしいものを食べに行こう」と持ちかけた。彼の希望は「本当においしい鰻」だった。そういえば私も夫も「本当においしい鰻」って食べたことがない。名古屋のひつまぶしの名店には行ったことがあるけれど、元来、鰻といえば江戸前だ。

江戸前の老舗で「本当においしい鰻」を食べてみたい
息子の希望にのっかる形で、家族三人、初『野田岩』と相成った。

ロブションより鰻!? 12歳男子が記念日ごはんを選んだら

ほかの贅沢はさせられないが、食に関してだけはとにかくおいしいものを食べている息子である。「いつか絶対行ってみたい」と常日頃憧れているジョエル・ロブションは10歳以上なら入店できるからそこにする?(もちろんカジュアルなラ・ターブルのほうだけどな)。パスタが大好きだからイタリアンのちょっといい名店にする? などと提案してみたが、息子が迷いなく出した答えが「本当においしい鰻が食べたい」だったのだ。

・・・いぶし銀かよ。

息子は小さい頃から、あまじょっぱく煮た穴子やうなぎが大好物だ。

穴子に関しては、私の実家からわりと近い宮島(厳島神社があるあそこね)に毎年行き、毎回必ず「岩むら」で穴子重を食べる。初めて食べたのは4歳か、5歳か? 一度食べて「すっご〜くおいちい!」と気に入って、中学生になった今でも「岩むら」ひと筋。一度だけ、別の店で穴子を食べたのだが(親の都合で)、「おいしい?」と聞くと無口になってしまった。(だから岩むらのほうがよかったのに・・・)と内心思っていたに違いない。私としては「ほかのお店にも行ってみようよ」という気持ちがあったのだが、幼くしてごひいきの店がある息子をちょっとうらやましいとも思った。

そんなこんなで「穴子」に関してはすでにお気に入りを見つけている息子だが、穴子と同じくらい大好きなうなぎは、じぃじが安いうなぎを自らの工夫でおいしくおいしく煮付けてくれる以外には食べたことがなかったのだ。

「江戸前の鰻」と「関西の鰻」は何が違う?

現代の私たちが当たり前のように食し、外国人からの知名度も高い蕎麦、寿司、天ぷらはすべて江戸で生まれたものだ。そこに鰻を加えた「蕎麦・寿司・天ぷら・鰻」が「江戸の四大食」といわれる。

関西地方でも鰻は古くから食されているが、江戸前と関西風では当時から「開き」と「焼き」のやり方が大きく異なる。

まず「開き」。関東は背開きだ。これは江戸時代の武家社会で「腹開き」は切腹をイメージさせるため背開きが好まれたといわれている。一方の関西は腹開き。これは「腹をわって話す」という関西ならではの商人文化に影響を受けているんだとか(諸説あり)。どちらにしろ、その地の文化が「開き方」にまで影響しているあたり、当時の人たちは風流というか、食と文化が深くつながっていたんだなぁと感心するしかない。

続いて「焼き」。一般的に、関東はいったん蒸してふっくらさせてから焼き上げる蒸し焼き、関西はじっくりさっくり焼き上げる直火焼きが主流。ただ、蒸し焼きの手法は明治時代の東京で開発されたもので、江戸時代には東も西も直に焼いていたともいわれている。

「開き方」はともかく「焼き」の手法で仕上がりに相当な違いが出るのは想像にかたくない。蒸し焼きだろうと直火焼きだろうと、職人の経験と技術に左右されまくるはずだ。

そしてもうひとつ。大きな違いはタレだ。白焼きの場合は関係ないが、わが家はそもそも「鰻といえば蒲焼き!」派なのでタレは本当に重要。

こんな記事を見つけた。

『守貞漫稿』には、「江戸は醤油に味醂(みりん)を和す、京坂は諸白酒を和す」とある。「和す」は「かす」と読み、混じり合うこと。要するに「ブレンド」だ。

関東は「濃口醤油にみりんを混ぜて濃口のタレ」。京坂で使った当時の「白酒」は、麹(こうじ)に焼酎やみりんを加えて発酵したもので、甘味があった。これと薄口の澄み醤油を混ぜるので、関東よりも薄味で甘口だった。

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00988/

ふむふむ、、150年も前からそんな違いがあり、積み重ねられてきた文化なんだなぁ。

前置きが長く、なかなか野田岩が出てこなくてすみません。
でも、歴史を知るというのは食を知ることだな〜と思う。

いざ、200年の老舗『五代目 野田岩』へ
 *食レポだけ読みたい方はささっとこちらへ〜!

野田岩の麻布飯倉本店。大江戸線赤羽橋駅より徒歩5分。東京タワーのすぐそばです。

野田岩が誕生したのは寛政年間(1789~1801年)だという。時の将軍は徳川家斉(いえなり)。側室を20人以上持ち、なんと53人もの子どもをもうけたという、徳川家のお家存続に最も貢献した(!?)といわれる第11代将軍の時代だ。

野田岩の左に記された「狐うなぎ」とは、初代 岩次郎さんが修業された当時の人気店の名前。

野田岩の初代店主「岩次郎」は当時の人気うなぎ店で修業を積んだ後、現在の本店がある東京都港区飯倉に「野田岩」の屋号でお店を開いた。その後、代替わりや第一次世界大戦・関東大震災などを経て現在の店主・金本兼次郎さんで5代目。5代目って・・・本当にすごい歴史。

兼次郎さんは30歳で後を継いで以降、革新的な取り組みを続けて「業界を覆した」ともいわれる伝説のうなぎ職人。興味ある方はこちらの記事もぜひ↓

事前に予約していたので、本店の三階個室にご案内いただく。近くに別館もあるし、銀座店や下北沢店もあったりするが、いずれにしろ予約してから行くのが確実だと思う。

一番手頃な「鰻重・桔梗(3,500円)」を注文

息子が食べたいものはただひとつ。蒲焼きでも鰻丼でもなく、「鰻重」一択だ。

記念日ごはんだから一番高級な「鰻重 玉手を3つ!」といきたいところだが、そうするとひとりあたり8,000円(+ドリンク+サービス料)かぁ。うぬぬ、、息子よ、今日のところは一番手頃な「桔梗」にしとこうか、と声をかけようと思っていたら、本人から3500円の桔梗を指さしながら「これだね」と言われた。親思いのいい子よ。。。

輪島塗の重箱に描かれた羅針盤。五代目が毎年デザインを選ぶんだとか。ちなみに鰻重には肝吸い・香の物・箸休めが付いてくる。

量は控えめ。がっつり食べたい人には物足りないかもしれない。が、量がどうのと言っていられない圧倒的なオーラと芳香。タレの香りはもちろんだが、炭火焼きの香りが本当にたまらない。

時期によって天然だったり養殖だったり(そのとき最善のものを選ぶために)するそうなので「いつ食べに行くか」にも左右されるだろうが、焼き具合とタレの風味は絶妙。ご飯に合う濃い味つけではあるが、濃すぎることはなく、ふっくらとした鰻のおいしさがたちのぼってくる。肝吸いもおいしい。

食べ盛りの息子としては「もうちょっと食べたい」と感じたかもしれないが、こういうおいしいものは腹八分目で「また食べたい!」と思うくらいがちょうどいいと思う。ちなみに少食の私と夫は十二分に満腹になった。

追加で注文したいおすすめは・・・「鰻の煮こごり」!

初訪問なので、「鰻巻き」550円と「鰻の煮こごり」680円も注文してみる。

見た目通り、「うなぎを巻いた卵焼き」である。息子が気に入り、ほぼ食べられた・・・。
個人的なイチオシは煮こごり。鰻の煮こごりは何度か食べているけれど、ここのが一番おいしい。塩梅が本当にちょうどよくて、最初は敬遠していた息子も「あ、、おいしい」とペロリ。

いやぁ、おいしゅうございました♥ 

接客してくれた着物姿のおばさまも非常に感じがよく、ちょっと無口な思春期息子にもほがらかにうまくからんでくれた。店の記憶は「味」と「雰囲気」だから、野田岩はそういう意味でも非常におすすめだと思う。

「野田岩よりおいしい鰻を食わせる店はほかにもあるよ」という先輩諸氏の話を聞いたこともある。ふむ、たしかに、あるのかもしれない。でも、今のところ他店には興味なし。

「野田岩は息子が選んだ記念日ごはん」なので、今後も「誕生日だから行こうか」とか「こどもの日だから行こうか」とか、何かしらスペシャルな日にかこつけて行くことになると思うのだ(もっと気軽に行ける人はあっちもこっちも試してみるといいね!)。

宮島の「岩むら」をひいきにして通い続ける息子が、たとえ年に一度でもこの先ずっと「野田岩」に通い続けるようになったら、日本人としてとても素敵なことだと思う。

なにしろ200年以上続く老舗なのだから、「ここよりおいしくて安い店があるよ」と言われても、「いや、野田岩には歴史があるよ」と言えるのだ

「とってもおいしかった。また絶対来たい!」というのが息子の感想。
結局のところ、それが一番大事なんだけどね。


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