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友だちの距離
友だちってどんな関係性のことを言うのか、しばらく考えていました。ただ単純に話ができて、笑えればそれでいいのかもしれないと思えたのは、4年ぶりに再会したママ友と行ったランチが思いのほか楽しかったからでした。
1年ほどお付き合いがあったのだけれど、引っ越してしまったママ友が戻ってきました。子どもたちも小学生になり、同じ習い事をはじめたことで久しぶりに再会。たくさんしゃべる方で、おもしろいけれど以前から少し苦手なタイプでした。
深くかかわるのはしんどいなと思っていましたが、お茶に誘ってくれたので行ってみました。コロナ禍の過ごし方、子どもたちの様子、市内のマンション事情など本当にたわいもない話で1~2時間、久しぶりにおしゃべりしてきました。これが意外と雰囲気を気にすることもなく、気軽に過ごせてすごく楽った。こんな風に思えたことに驚きました。
最近、ほかのママ友とは長い付き合いになってきたので、たわいもない話はできなくなったのかもしれません。お互いに知っていることも多くなり、話す内容も親密になってくる。どちらかと言えば、自分からママ友に親密な関係を求めていたのかもしれません。少し深い話をしたい、気持ちを話したい、友だちってそういうものだろう。だからあまり仲良くないママ友とお茶するのをためらっていたんです。
それが、間違っていたのかも・・・
どうでもいい話ができるのってすごく楽しい!親密にもならず、ある程度の距離感を保ったままの関係性。これも、十分に友だちだよなと思いました。
去年からサークルごとでごたごたし、友だちに裏切られた気持ちが拭えずとても辛かった。友だちがいない自分に卑屈になっていました。その原因が、「少しずつ親密になる」という友だちの定義だった。
完全に境界線を超えてしまっていたなと、反省です。
これ、私の悪い癖。親と親密な関係を築けなかったので、誰かと親密さを築きたいという欲求があります。少し仲良くなるとそれをぶつけて、だいたい引かれて、またひとりぼっちに戻る。これを繰り返していたように思います。
たわいもない話をたまに集まってできる人は、友だち。
そう思えれば、私にはたくさん友だちがいます。どの種類の話をしたいかで、友だちを誘えばいい。これぐらいの気持ちなら誘うのもしんどくない。友だちってこれぐらいでいいんだ。そうすれば自分も何も求められてないことに気付けるように思います。
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