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コーチングを四ヶ月受けてみた。その3

これは3月からコーチングを受けた記録である。
四ヶ月にわたるコーチングの目標は『個展を開催すること』で、手法には対話方式の他にカードと石を使ったリーディング方式を使っている。

私の簡単なプロフィール
香緒(かお)
美大でファインアート(主に油彩)を学び、その後画業を離れていたが、数年前に復活。細々と描いており、SNS上で作品を公開している。
地方在住。30代。

コーチングこれまでの記録はこちらから

私、なんで描いてるの?

二回目のセッションを終えて、私は呆然としていた。
自分を褒めるとか感じた感情をそれぞれ日記に書くという、ワイそれ一番苦手やねん!!と悶絶する課題が出来たことだけではなく、

自分がどうして絵を描きたいのか、個展を開催したいのか、その根本的な理由がわからなくなっていたのだ。

プロになりたいから?
もっと人に見てもらいたいから?
せっかく学んだから?
絵が好きだから?

どれもがぴったりと当てはまらず、しっくりこない。だからだろうか。やっていることが中途半端ばかりな気がする。

それにこの時、様々なことに疲弊していた私は、そもそもキャンパスを作ることも出来ていなかった。

初回で、どんな個展を開きたいか聞かれたとき、イメージするものがあった。
古い、それでも清潔感のある庭のある民家のようなギャラリーで私の絵が8点ほど飾られている。その絵はそれぞれある光を象っていて、受け取る人がいる。と、いうところまでイメージしていたのに、オイコラ、キャンパスも作れていないとは何事じゃこれ。

なんとかキャンパスを作りながらも、頭の中は何故自分は描くのかで一杯だった。

コーチングではこの何故を繰り返すのが大切らしい。

ラインから来たコーチの質問で、何故人に見てもらいたいかというのがあった。

何故?

観客に心地よくなって欲しいから?新しい発見をしてほしいから?人と繋がりたいから?見てもらえる耐久性が無ければ描く意味は無いから?自己満足の絵は良くないから?もっと真剣であるためだから?

無数の答えは出るけれど、コレ、という答えが出ない。

コーチは言った。

「沢山あって一本に絞れないのは、まだ本当の理由に到達していないからかもしれません。思考を越えた先にもっと深い理由が眠っている気がします。」と。

「自分を褒めることもそうですが、初めての挑戦することの結果は創造しかできません。創造を越えた体験を魂は求めています。ひたすら褒めて、ひたすら描いて、自分が変わっていくことを怖れずに表現してください。」

そうか、つまり答えはまだ無くて、描いた先にあるのか。

こんだけ頭をこねくり回して、過去を振り返っても出ないのだからもう仕方ない。とっとと先に進もう。私は構図も技法も確定しないまま、思いついたことをどんどん紙に表現していった。

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日記の思わぬ効用

あれだけ自分を褒めるなんて無理ゲーと吐いていた私だが(その様子はこの記事にまとめてある)

今は断言する。

日記はいいぞ。

最初に自分の褒め方すらわからない私は日記をアプリで書いていたが、フリック入力もアプリ起動すら面倒になり、最終的に到達したのは紙とペン。THEアナログ。でもこれが一番簡単だった。

自分を褒めるのも苦手だったけれど、そこはそれ、オタクの力で褒め役を別キャラにすればいいんじゃない?!好きなキャラに褒められれば良いんじゃない?!という現実逃避・・・もとい発想の転換で、「褒めてるのは自分じゃねぇ・・他人だ!!」というちょっとあなた大丈夫?な考え方で乗り切った。

元々自分はともあれ、友人知人めっちゃ褒めるタイプのワイ。

やれば出来る子だった。

そうするとどうしたことだろう。欲しかった言葉がめっちゃ降り注いでくるではないか!え?やだ?そんなことまで褒めてくれるの??っていうぐらい細かく一日何度も褒め言葉が与えられる。すると最初は慣れなくて褒められ拒否だった自分も、えーもっと褒めてー!!ってなるから不思議だ。

するとどうなるか。元気が出てくるのだ。過大な承認欲求もなんか減った気がする。

また自分の感情の変化を客観視も出来るので、冷静になれたところもあった。

どうせ誰にも見られないのだし、日記って侮っていたけどいいかも。これはコーチングが終わっても続けたいと思った習慣だった。

口癖ってやっぱりすごいのね

その日記と平行して出た『自分は出来ると言う』課題にも、真面目に毎日取り組んだ。

と言っても、一日一回私は出来ると言えば良いだけだから、楽すぎたのだけれど。

これも最初は言ってから凄く体がムズムズした。

なんと言っても、自分は息を吐くように自己否定するタイプの人間なので、出来る、という言葉がピンとこないのだ。

それは制作の姿にも通じていて、出来ると思えないから理想まで引っ張る力が出なかったのかもしれない。物語のヒーローたちは自分の理想に何とか近づけようと齧り付こうとしゃにむにだけど、私はそれが出来ないんだよなぁ・・・と遠い目になったりした。

そして私には、何故か出てくる口癖がある。

死ねって、自分に言うのだ。

え、・・・コワ。

どうもこれは、その単語の中に「○○が出来なくてイライラする」とか「この年になっても○○出来ないなんて」などの複数の感情が含まれているのだけれど、それにしたってネガティブが過ぎやしないだろうか。

しかもこの口癖、思わぬ拍子に出てくるから相当怖い。

自分が自分を呪っている・・・と白目になった私は、これは自分を変える良い機会ととにかく課題の口癖をアホのように毎日言った。

その結果、なんとなく自分はできるんじゃないか?やれるんじゃないか?と思えるのだから口癖って不思議だ。

それはつまり自分が単純だということでもあるのだけれど。

こうして一月、私はやらなかった前回を取り戻す勢いで課題に取り組んでいた。また視覚情報を強く受けやすいので、やったその日の課題はシールを貼って視覚化しやすいようにした。

その結果がこちら

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いや、真面目かよ。

そうして次のセッションの日が来た。

その内容は長くなったので、また次回。

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