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コーチングを四ヶ月受けてみた。その2

三月から始まったコーチング体験期。
記念すべき第一回は前回の記事に纏めたが、

今回はその続きである。

そしてコロナが来た

初回のコーチングを終えて、私はまじめに課題に取り組もうとしていたと思う。コーチングの目標であった個展をひらくために場所を探し、画材費用を調べ、筆を握り、会話を自分の不安から止めないよう気をつけていた。
ところが、だ。
対岸の火事と思い込んでいたコロナは、日本に上陸したかと思っていたうちにあっという間に国内に拡がり、気がついたら皆マスクをしてステイホームが当たり前になってしまっていた。

私もSNSや各種報道からこの正体不明のコロナについて調べ回っていたが、テレビやSNSにアクセスすれば、正誤の判断もつかぬ情報が溢れ、人のヒステリックな感情に触れることになる。

私は感染の専門医が発信する情報を中心に一次情報を見ることに努め、方針を決めて、できるだけむやみに情報をかき集めないことに努めた。
素人が出来ることと言えば買いだめをしない、むやみに出歩かない、うがい手洗いをするぐらいしかない。非常にシンプルな方針だが、それでも沈んだ気持ちが回復するまで二週間以上はかかっていたと思う。

コロナ疲れとはよく言ったもので、私もその例に漏れなかった。

とにかく、疲れたのである。

弱り目に祟り目とよく言うが

何故か人は弱っている時ほど、ダメージを受けるものに接触しやすい。
それは、たまたま、私が日頃よく読むブログに載せてあったある記事だった。
それはとある人々への批判であったが、その人々は私も一時期傾倒していたジャンルだった。今は熱も冷め、殆どそのジャンルの情報には触れていなかったのだが、このSNS全盛時代、情報を引張ればあとは芋づる式とはよく言ったもので、まあここまで出るのかというほどに批判、非難、告発など様々な嵐がそこには吹き荒れていた。

そのジャンルに傾倒しない、批判的な第三者が見たら、こう見えるのか。彼らの視点を借りながら、昔自分が傾倒した人々の現在を見ると今まで見えなかった穴がはっきり見えるようだった。

それで自分は、確かにぐっさり傷付いたのだが、それは批判された人たちにというよりも、考える力を放棄し、頭ごなしに彼らを信じた自分の情けなさに落ち込んだのである。

そのジャンルは、いわゆる心理学や自己啓発やスピリチュアルと呼ばれる精神世界だった。
それは物語や神話も含まれて楽しい世界ではあるのだが、そこに自己承認欲求など自己がからむと、まあ大変。一気に闇が口を開く恐ろしさがあった。

救われたいとき、認めて貰いたいとき、人は盲目になる。

またややこしいのが、情報発信者の発信の中には正誤が含まれており、例えば規則正しい生活や、朝は日の光を浴びて換気し、部屋は掃除して、食事は土地の物を食べ、周りに感謝をすることなど古来人々が培った普遍的なことも人によっては発信されていたのだ。

確かに、それによって弱った心体が回復した覚えが私にもある。

しかし、それとその発信者に認めて貰いたいというのは『己の幸福』を主軸に考えれば、全く別物になるのだ。

そういうところが私はわかっていたようで、ちゃんとわかっていなかった。

『誰かに人生を決めて貰いたい。』
『できればマスター的なすごい人に認めて貰いたい。』
『自分の人生は凄い人に預けておけば大丈夫。』
『失敗したら彼らのせいにすればいい。』

もう手放したと思っていた考えを、この期に及んでまだ後生大事に握っていた。それに気付いたコロナ渦中、私は無職だった。

無様だ。

私はその時の思いをインスタに上げている。

『そんなげっそりしていた時に少し前までの自分のあれこれ、そして今、を対岸の人の目から見て、気づいてショックで眠れなくなってました。
久しぶりに夜中に部屋の中をウロウロしてしまった。オラウータンか。
~~
とうとう夜が明るくなるのを絶望感たっぷりに見てましたが、結局シリアスぶっても、いつのまにかぐーすか寝ていて、起きてからまた自分の残念具合に沈み、諦め、立ち直ろうにもふて寝する、逃げる、ジタバタする、をしてやっと復活したのが…夜?遅くない?
~~
このコロナ騒動から露骨にどの情報を取ればいいのか、何を考えればいいのか、わかりやすく突きつけられてるな、と思います。
ま、逃げましたけど。
逃げれませんでしたけど。
もうあの人についていけば、あの教え・考え方に従えば、じゃダメなんだとわかることばかり起きて。
変な従い方とか頼り方、進路を決めてもらう受け身は、楽なようで自分を弱らせる。
結局その分筋肉がつかなくて、マッスルになっていた同い年の友人と話噛み合わなさ過ぎて笑ってしまうという。
 凄いものやことに関わりたいとか、なりたい時って、自分を見てない。
そういう時程虚像が眩しく見える。』

いや、まじでなんもねぇな。と笑えた。

なんだかんだでオラ描けない

インスタの日記では、絶望したけど立ち上がったオレ感を出していたが、実際の自分が立ち上がるまでには時間が掛かった。

コロナ疲れと自分の情けなさに沈んで、殆ど絵筆を握れなかった。

その間出来なかった課題を溜めた分、残りの日数でこなしていけばいいのかなどをラインでコーチに質問したが

コーチは

今は誰もが体験したことのない特殊な事態であって、自分の状態が普通ではないのは当たり前なこと。まず課題より心身の調整を第一に、多面的な視点を持つことの大切さについて話してくれた。

また私もインスタで引用した吉本ばななさんのnoteから、『本気』という言葉への共感を自身のブログで書かれていたのを紹介してくれた。

本気。ほんと、それな。

『吉本ばななさん始め、素晴らしい人たちは仕事への本気度が凄い。他人に何を言われようともブレず、家族や周囲を大切にしている。
でもその人たちだって始めから今のスタンスを確立できた訳では無く、気張って倒れて沈んでまた浮いてを繰り返している姿に共感できます。』

ライン越しの対話でそう言ったコーチに、私は画面越しに力なく、それでも頷いていた。

やるしかない。

私は再び、絵を描き始めた。

そして来たぜ。コーチング第二回目。

そんなすったもんだがあった課題期間、ラストは見つけた仕事を諸事情により光の早さで辞めた事件で締めくくった私は、コロナ対策を万全にしたショップでぼろっぼろの姿でセッションを受けることになった。

まさに国破れて山河あり。

落ち武者感がひどい。

そしてこちらもこちらで大変だったらしいコーチは、コロナ対策として対面でのセッション方法を変え、離れた場所でカードをひいてもらい、ひいたカードをイメージして石を選ぶことをやめることにしたらしい。

コロナ対策。
私はそれにお店の、というか組織上層部の、客や従業員などへの『人に対する思い』が出るな、とこの時期、周りの話や自分の体験を通して感じていたのだけれど、このお店でこのオーナーからコーチングを受けて良かったと今後のセッションの方法を聞きながら、疲れた頭で思っていた。

で、コーチングである。

当面の先行きが見えない状態で三密にもなりうる個展をどうするか考えた挙げ句、SNSだけの発表を視野に入れながら、とりあえず絵を描く、を課題に、でも全然進まない現状を相談しつつ今月のテーマにあたるカードをひいた。


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お、

ま、

え、

か、

よ。

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個展を開きたいけど描けない。そんなうつつを抜かす女に、カードは死ぬ気でやれやボケと訴えてきた。

決まった課題はどれも苦行

死ぬ気でやれ、とカードは仰るが、四つのテーマで決まった課題はどれもなかなか・・・・、なかなか・・・ほんとにやんの?と泣きたい気分のものだった。

課題を決めたのは自分なのだけれど、毎日自分を褒める日記を書くとか、感情を主体に日記を書くとか、自分なら出来ると口に出して毎日言うとか。

特に最後、オバマかよ。

全ての課題が決まったとき、始まる前より私はがっくり項垂れていた気がする。

もう一度言うが、課題を決めたのは自分なのだが。

とにかく、自分を褒めるとか、自分は出来るとか、思えない人生30数年を過ごしてきたのだ。出来ると思った時も、端からは「どうしていきなり、そんな突拍子もないことを」と言われる始末で、いつからかと問われれば家族は幼児のくせに大人のプールに勝手に一人で行って人知れず溺れていた時からと応えるだろう。それだけ、出来ないし、出来たとしても何か危うい勘違いを含んでいるのだ。だから何事もやれる気がしない。

そんなうっすらと、というかわかりやすくヘドロのような重い空気を漂わせる私に、コーチは大丈夫かと聞いてくれるが、気鬱が過ぎた私はそんな問いも耳から素通りしそうだった。

ついでに、課題のチェンジってできますかね?

「いや~、これをやるしかないねー。」

ですよねー。

そんな、諦観の笑みで締めくくった四月のセッション。

課題をこなす日々でどんな変化が起きたのか。五月のセッションでは、またどんなアレな課題を決めたのか、それについてはまた次回。

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