カメラのファインダーから見るライブ
noteのお題で「カメラのたのしみ方」というのがあるので、カメラから見たレポートを。
近年カメラのシャッターを切る場面が最も多かったのは、音楽ライブシーンだ。
ライブに行く様になり、その記録をFBへ写真レポートにすると喜んでもらえたのが嬉しく、それを見た人からまた縁が広がった。
そんな訳で、私の知人、友人はミュージャンが多い。
そんな日々もコロナ自粛でピタリと止まった。
ライブハウスや演奏出来る店は休業。
ライブもほぼ無くなる。
そのうち有料、無料配信を始める人も出てきた。
配信でも音楽があるのは有り難い。
実際の音楽を想像しながら聴いている。
だけど今のところ有料配信には手を出せていない。
というのは、私自身もコロナ自粛真っ最中の4月に転職し、生活が一変した。
労働時間が減り、自由な時間が増えた代わりに、生活は前より小さくする事にした。
だから、まずは自分の家庭を守りたい。
そんな訳で、どうしても家族を食べさせていく方を優先してしまう。
応援したい気持ちは山々なのだけど。
それでも、生演奏のライブがあれば、また出来る範囲で聴きたいとライブ配信を聴きながら切望した。
生ライブでは、映像では聞こえない音が聴こえる。
倍音だったり振動だったり。
色や模様、風景や映像が脳裏に見えることもある。
奏者の本質を感じる瞬間も。
私にとって音楽は、耳だけで聴くだけのものではなく、身体全部で聴くものだ。
同時に空間とエネルギーを体感したい。
良い演奏を続けて聴くと、身体の細胞ひとつひとつが振動する感覚になる。
そうすると心も体も元気になる。
音楽は、心身の健康を保つ為に必要なものだ。
前回、映像配信でも涙した記事をあげたが、(小曽根真さんのライブ配信)
やはり生のライブでしか感じられないものがあるのだ。
***
3ヶ月ほど、全く生演奏を聴く機会を無くしていたが、誘いを受け、5/30は久しぶりに生演奏を聴きに出かけた。
会場はyueという、月という意味の古民家。
初夏を感じさせる草木が出迎えてくれる。
後は奏者が座るだけで絵が完成する様なセッティングに、ワクワク、ドキドキする。
疫病を退治する妖怪と言われるアマビエの絵がかかっている。
足元にはカシワバ紫陽花と猫の置き物。
本日のライブは、ライアー奏者の宇月彩さん。
客席は定員半分の10人。窓を開け放ち、ひっそりと行われた。
パズルのピースがはまり完成した様なライブ風景。
高い天井に漆喰の様な白い壁。
アルトライアーの低い音がボンと、マイク無しの生音で綺麗に空間に響く。
低い音がゆっくりとした音の波になって体に届く。
演奏スタートはグリッサンド奏法で。
やはり音の波が次々とかぶる様に身体に届いて伝わった。
見えないんだけど、透明の波の層が見える気がする。
忘れていた、生演奏ならではの身体感覚を取り戻し、音が一音鳴るだけでも感激した。
そういうのは、どうしても映像で感じるのは難しい。
素敵な演奏をありがとう^ ^
新曲、素敵だった!
「今日は写真は撮らないかも」
と言っておいたんだけど、やっぱり数枚撮ってみた。
単に記録写真ではあるけれど、私はいつも、綺麗に撮りたいというよりむしろ、自分の発見や驚きを写したいと思う。
奏者によっては、目で見た印象と、カメラのファインダー越しに見えた印象が違う事がある。
華やかな人の目の中に純粋な光を見たり。
クールな人の中に情熱を見たり。
今日の宇月さんの時には、演奏時の気高さと、時折り見せる愛らしさを写したい。
ライブの写真を撮るのは難しいと思う。
演奏の邪魔をしたくないし、自分の中の音楽を途切れさせたくない。
なるべく邪魔をしないで、だけど心動く瞬間を、音楽に乗せてシャッターが切れる瞬間を探す。
奏者は動くし会場は暗いことも多く、写真もブレやすい。
無理だと思う時は無理しないように気をつける。
音楽の中にどっぷり浸りながら、同時に良い瞬間を見逃さないでいようと、客観的なもう一つの目を持とうとするバランス加減は、時に音楽の中でダンスをしている様だ。
カメラは音楽の聴き方を別の視点からも見せてくれる。
終演後、隣室のギャラリーを見る。
静かに風が吹く。
6月になり、店も開き出した。
ライブの案内もポツポツと。
私の方はまだゆっくりだけど、生演奏の喜びの声を聞くのは嬉しい。
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