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寂しさを超える

昨日の夕方は街中にいた。


少しの時間だけど、久しぶりに歩く繁華街。


最初は道行く人の今どきのファッションに見とれていたりしたが、そのうちふと、自分が一人で歩いている事に気付き、急に寂しい気分になった。


いや、いつだって大抵、一人なのだけど。
厳密には家に帰れば家族がいるから、一人で孤独に生きている訳では無い。
誰かを誘うのも正直苦手だし、誘われると嬉しいが、普段は一人で気ままに歩くのが好きだ。


だけど、良く似たファッションで服を選びながら友人と笑い合う女子同士や、寄り添い歩くカップルを見ていると、急に


「私にはそういう事が気軽に出来る連れがいない」
と思って、寂しくなってしまったのだ。


寂しくなると、今度は昔、時々つるんで遊んでいた仲間達がいた時期があった事を思い出した。


楽しかったなぁ。
今は…皆きっと、それぞれの人生を忙しくしている。


去年までよく会っていたのに、今年になってめっきり会えなくなってしまった友人達の顔も浮かぶ。


それから、亡くなってしまった人。
最近亡くなってしまった友人は、今年は会う度に
「最近綺麗になった」
と褒めてくれた。
「子供が無事育って安心したからかな」
と、その度に笑って答えた。
綺麗になったと、その友人にもう言ってもらえないのも寂しい。

気温も急に寒くなってきた。
日が傾き、暗くなるのも前より早い。
こんな時、ふと寄りたくなるお店も閉店してしまったり。


…楽器店に寄り、もう一本必要になった譜面台を買う。
これ以上寂しくならないうちにと、帰りの電車に足早に乗り込んだ。
***
今日になって、こんなブログ記事を読んだ。


田宮陽子さんというエッセイストの文。
田宮さんの本はよく、自己啓発書コーナーなどに置かれている。

寂しいのは
「過去に意識が向いている」から。


…確かにそうだ。
昨日は、もう戻らない、過去のことや過去の人ばかり思い出していた。

考えてみれば今は、その頃とは違う人達と会う回数が増えている。


仕事も変わったし、私自身、きっと昔とは変わった部分もあるだろう。


そうしたら、今そばに居る人、会える人を大事にしながら、今の自分に出来る事を精一杯して生きていくしか無い。


それが積み重なった時、何年か後には
「あの頃は良かった。
良い出会いに囲まれていた」
と、昨日の私が思ったのと同じように、今日の日のことを思っているかもしれない。

そう思えば、まだまだやる事が沢山あるのだ。
寂しいと思う暇も無いくらいに。

…今日は用事が終わった後、久しぶりに外でランチを食べた。

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手ゴネで作ったと思われるジューシーなメンチカツ、
サツマイモや大根、豆腐などがたっぷり入った、白味噌仕立ての味噌汁。

小鉢代わりの箸休め。
…どれも食材がフレッシュで優しい味。
食べると活力が出る気がする。
アフターコーヒーを飲みながらぼんやりした。
ここ何週間も気が休まらない日々だった。
今夜は少し、ゆっくりして自分を甘やかそう。

文章が誰かの心に響いて、それが対価になって、それを元手にさらに経験を積んで文章など色々な表現で還元出来たらと思い続けています。 サポートお待ちしております♪