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いつかマックで|連載「記憶を食む」第6回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第6回は、記憶力の良い著者が「覚えておきたい」、ちっちゃな人との大切な約束のお話です。

 わたしは記憶力が良い。とても、良い。自分でも苦しいくらい色々なことを覚えているし、忘れられない。友達が通っていた中学校の名前や、夫の幼馴染が結婚式を挙げた日など、周りが怖がるほどよく覚えている。似たもの同士か、夫もかなり記憶力が良い方だったが、わたしの記憶力が桁違いにすごいので、自分は何かを記憶するのをやめたと言い出した。
 しかし、そんなわたしも舌を巻くほど記憶力の良い人がいる。三歳の姪っ子だ。彼女も本当に些細なことまで覚えている。まだ三年ほどしか生きておらず、言葉を話し出してから二年足らずだが、その実、自分が見聞きしたことはよく覚えていて話してくれる。

 というのも、この一年ほどで会話や意思疎通ができるようになった彼女と、何度となくビデオ通話をすることがあり、そのときに話していることにいちいちびっくりするのだ。まだ会話らしい会話ができなかった頃の話を、昨日のことのように切り出してくる。髪の毛を初めて切りに行ったのに怖くて泣いてしまったこと、山に遊びに行ったら虫がたくさんいて嫌だったこと、ばあばの家でプールに入った時、なんで〇〇はおらんかったんかなあ……という疑問など、「そういえばそうだったね」というような、大人が忘れている些細な記憶も随分鮮明にあるようだった。ただ寝転がって、ほにゃほにゃ泣いていた赤ちゃん時代を恋しく思う気持ちもあったが、そんな風に会話ができるようになってからは本当に愉快に感じる。予想外の言葉や話題が飛び出して、いつも大笑いしてしまう。わたしは姪と通話したときのことを、いつも日記に事細かに書き残している。ビデオ通話で呼び出されるのはだいたい夜の八時前後で、それは姪がごはんやお風呂も済ませ、あとは寝るだけののんびりした時間である。画面に映る彼女はいつもパジャマ姿で、長い髪の毛も下ろしている。伯母はほとんど家にいるので、だいたい応答できる。

 我が家ではその時間は夕飯時なので、テーブルにiPadを置いて食べながら会話する。笑えるのは、自分からかけてきておいて、いざ繫がると恥ずかしいのかお尻を向けてしばらく固まっているところだ。「あれ?」「おーい」と呼びかけて、世間話をふり、なんとか平常モードに持ち込める。ノってくると、おしゃべりになって色んな質問で攻めてくる。「なに飲んでるん?」「それなに?」など、矢継ぎ早に聞いてくる。あるとき感動したのは、「(自分はいまお星様のパジャマを着ているが)まりちゃんは何のパジャマ?」と聞いてきたことだ。これまではあまり脈絡なく、「この絵本読んだ」とか「七五三だから髪を伸ばしてる」と言うだけだったのに、質問をするようになっている。コミュニケーションのレベルが、ひとつ上がったのを感じた。

 新幹線の距離なので、実際に会うのは一年に五回くらいだが、会うとつい甘やかしてしまう。ビデオ通話の時のように、会って最初は恥ずかしそうにくねくねしているが、少し時間が経てばべったりで、トイレも絵本もごはんもまりちゃんと、と甘えてくる。特にトイレの手伝いは難儀して、外出先ではいつも緊張する。自分自身が末っ子で、子供もいないので、色んなことが探り探りであるが、小さな子供と過ごしていると時間が一瞬で溶けることがわかった。ちなみにこの姪の他にもあと二人、二歳と一歳の姪がいるので、暮れに集まった時はたいそう賑やかな家になった。特に食事の時間はばたばたで、食材をハサミで小さく切って食べさせたり、食べこぼしたものを拭いたり、ハイハイしている一歳を捕まえてお尻のにおいを嗅いで兄にバトンタッチしたり、子供の倍以上の数の大人がいるのに、誰も腰を落ち着けることができなかった。子供の中では年長である三歳の姪は、お腹いっぱいでもう食べられないのに、あと少し残った味噌汁を飲むか飲まないかで一時間揉めて号泣していた。寝る前に抱っこしてトントン背中を叩いていると、すごい勢いで姪の身体がぽかぽか温まってくる。眠そうにしている顔は、赤ちゃんの頃のままだった。

 姪は最近話したいことがありすぎるのか、息継ぎさえ忘れるほどずっと喋っている。大体は、今日何をして遊んだとか、妹が絵本を齧って困るとか、地域の支援センターで風邪をもらってきたとか、そういう話であるが、先日突然「まりちゃんってコーヒー飲めるん?」と聞いてきた。「飲めるよ、好きよ」と答えると、「コーラは?」と言う。「それも飲めるよ」と返し、なんの話だろうと思っていたら、「まりちゃんと今度マックに行きたいんやけど」ということだった。マクドナルドのチラシを持ってきて、コーヒーやコーラ(と思しきソフトドリンク)を指さして「マックにあるけんさ……」と呟く。「もちろんいいよ、行こうね」と返事をしたが、その誘い方に笑ってしまったのと同時に、コミュニケーションが更にレベルアップしていることに何より驚いた。夫にそのことを話すと、「タイ料理屋に誘う導入で、『パクチー好き?』って聞くみたいな感じだね」と、やはり笑っていた。相手の好みをリサーチしながら誘う仕草がなんとも大人みたいで、うれしいような寂しいような不思議な心持ちになった。

  近いうちに引っ越しする予定で、この春から幼稚園に通う話もしてくれた。この前幼稚園を見に行って、園長先生に自分の名前も言えたのだそう。ずっと家で育ってきたから、春からがらりと生活が変わることだろう。同い年の友だちがたくさんできて、毎日色んなことが起きて、離れて住む伯母の存在は小さくなっていくと思う。親のいないところで様々な経験を積み、社会を学んで、彼女の世界は広がってゆくはずだ。今まで彼女のなかで生きていた些細な記憶も、どこかへ押しやられていくかもしれない。だから、ちっちゃかった姪のかわいい思い出は、わたしがずっと覚えていることにする。でもいつか二人で、マックでお茶をする約束を覚えていてくれたら、とてもうれしい。

僕のマリ
1992年福岡県生まれ。著書に『常識のない喫茶店』『書きたい生活』(ともに柏書房)『いかれた慕情』(百万年書房)など。自費出版の日記集も作っている。

次回は4月5日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


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