今日のアウトテイク#102「自動運転オフィスってそんなものが必要か? ほか」【メンバーシップ特典】(2024-02-28)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ
・投稿せずに、いや、やっぱりやめておこう、と思った殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・要するに「伊藤の現在地点」

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読んだり見たりしてばかりいないで人と話そう。

#今日のBGM

#今日のコトバ

"動かない者は、自分が繋がれている鎖に気づかない。"
(ローザ・ルクセンブルク)

#ネタはどこから

この「アウトテイク」も102回目、というか102日目。
よくまぁ、続いているなと自分でも思う。
このまま毎日の生活のペースメーカーになればいいなと思ってる。

ただ、毎日書いているとネタに困ることも時にはある。
あらかじめ、日頃から、内外のいろんなルートで情報は収集しているので、そこからインスピレーションを得て書くことが多いけれど、いまいちピンとこないものばかりの日もある。

例えば、どこそこの国のコワーキング事業者がまたどこそにスペースを開いてこれで◯◯ヶ所になった、とか。
最近、その手の不動産業的なトピックスが多いが、ぼくはまったく関心ない。
数なんかどうでもいい。

もっと、誰がどんな目的でそのコワーキングを開いて、そこで誰がどんなことをやってるのか、それに誰がどう反応して、その地域に、社会に、どういう変化を、価値をもたらしているのか、そういう話が聞きたい、読みたい。

でも、毎日そういうビビビと来る話ばかりではない。
で、あー、今日はどうするかなぁ、と思いつつ、とりあえず書き始める。

すると、書いてると、降りてくる。
あまり広がらないかな、と思いながら書いていくと、ボコボコと想念が湧いてきて、言葉が溢れ出してくる。
考える前に行動すると言葉になる。
書きながら考える。
考えたことが言葉になる。
不思議。

他のネタを準備してても、こっちを書いてるうちに、書けてしまう。
結局、用意していたネタは明日に回される。

もうひとつある。
誰かと話してるといろんな発想があって、で、書けるということもある。
意見を交換したり、ヒントをもらったりして自分のアタマだけでは辿れなかった思考の経路が先へ先へとつながっていく。

すると、以前、考えていたこと、話したこと、書いたことにつながる。
思いもしないつながりを、そこで得る。
それを言葉にすると書けてしまう。
面白いものだなぁ、書くってのは。

つまるところ、思考すること自体が書くことなんだろうな。
あ、逆かも。
書くこと自体が思考するということか。

と、考えながら書いてしまった。

#怖い話

昨日、怖い話を聞いた。
友人がある政府要人にごく近い人と会合した。
仮にAさんとする。
それが、2度ほど続いた。

そしたら、SNSのタイムラインに「お友達ではありませんか?」と、Aさんが何度も表示されるようになった。
「え?なんで?」
そこで思い当たったのはGPS。

きっと友人もAさんもスマホのGPSでトラッキングされていて、同じ時刻の同じ場所にいたということが判ってる。
それで、SNS上でもつなげようとしてきたのだろう。

こうしてどこで誰と会ってたかが筒抜けになっている。
それがデータとして保存され、二次利用されている。
それでビジネスになるから。
怖い。

個人情報の保護もへったくれもない。
利用規約にそのへん回りくどく書いてあるのだろうが、熟読してる人なんてほとんどいないだろう。
だから、知らないうちにプロファイルされてデータがアーカイブされて利用されている。
怖い。

ちなみにその友人は、SNSをほとんど使っていない。
宣伝ばっかりでつまらなくなったからだが、こういうことがあると、なおさら使う気がしなくなる。
判る。

インターネットは個人のつながりを飛躍的に広げてくれた。
個人が発信して、それに個人が反応する。
それをオープンの場で繰り広げられる。
確かに、コミュニケーションの未来を感じさせる出来事だった。
けれども、ここへ来て、度が過ぎていると感じることが多い。

忘れてはいけないのは、これらはすべてプラットフォーマーのビジネスの根源になっているということ。
彼らが儲けるために、果たしてユーザーはどこまで自分を売ってもいいのか。
そろそろ、潮時ではないかな。

#タイパてなんやねん

いや、タイムパフォーマンス、つまり「時間対効果」てことは知ってる。

けれど、そんなに急ぐ必要、ありますか?
それより、誰かに急がされてることに気づかないと。

と思ってたら、この記事が。

#自動運転オフィスってそんなものが必要か?

自動走行車の開発、実験が各国で繰り広げられているが、これが単にクルマの話にとどまらず、移動時間の価値を高めることになってきている。

例によって、DeepLかなんかで翻訳して読んでいただきたいが、要するに自分で運転しなくてもよくなったのだから、その移動時間は他のことに使おう、という話。

で、その他のことというのが、「仕事」だ。

ボルボ、アウディ、キャデラックなどの有名自動車メーカーは、リビングルームのような空間からオフィスまで、自律走行する電気自動車の範囲内でのレイアウトを披露して いる 。

まあ、インテリアは変えるだろう思ってたが、もっとすごいことになってる。

・ホログラフィック技術の進歩により、車内のモバイルオフィスで「対面」ミーティングが可能になる。
・ジェネレーティブAIの進歩により、仕事に関連したタスクのための車載音声アシスタントが提供される可能性もある。

それどころか、

従業員が2つの場所で同時に活動することを可能にするデジタル・クローンの概念と同様に 、拡張現実(AR)、仮想現実(VR)、メタバース統合によって、車内に物理的なオフィスの「デジタル・ツイン」が再現され、従来の職場環境とモバイル職場環境の間のシームレスな移行が可能になる。

もう、最新テクノロジーのてんこ盛りだ。これだけ装備すれば、それこそタイパも最高だろう。

記事は「通勤が単にA地点からB地点への移動にとどまらず、どこからでも生産性とコネクティビティを発揮できる未来を示唆している 」と締めくくっているが、さて、そこまでして仕事する意味はどこにあるのだろう。こうしてまた、燃え尽き症候群が量産されるのではないかしらね。

で、素朴な疑問。

そうして移動中の車内で仕事ができてしまうのなら、オフィスに行く必要なんかないんじゃないのか?着いた頃には、すべての仕事が完了していて、そのままUターンして家路についたりするとか?

コントか?

あ、いや、オフィスに行くとは限らないか。どこか行きたいところ、行かねばならないところに行く途中でも仕事ができる、と言いたいわけか。ワーケーションなんかにも導入される可能性はないでもない。

だとしても、そんなに寸暇を惜しんでやらなければならないことって一体なんだろう?仕事が生活の中心にあることに疑問を挟まない、その感覚のほうが危うい。

人間の生き方に寄与してこそ技術の進歩は称賛される。これらが現れた当初は新しいおもちゃを嬉しがる人たちには受けるかもしれないが、人間の本能が赤信号を点滅させる気がする。

そこまでして仕事するべきか?と考えるべきフェーズに入っていると思う。むしろ移動距離や時間を短かくできる、自宅に近いコワーキングで仕事することを選択したほうが、ワーク・ライフ・バランスにはいい。

人間は機械ではないのだから。

ということで、今日はこのへんで。

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