書くことは考えること、そして感謝すること:今日のアウトテイク#201(2024-06-06)
<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
※ちょっと風邪気味なので、今日はサラッと。
#今日のBGM
#今日のコトバ
#風邪のひきはじめに葛根湯
先日から咳が出る。
喉が痛いのは先日のカンファレンスでしゃべりすぎたせいかな、と思ったが、くしゃみも出る。
どうも風邪の初期症状のようなので葛根湯を飲んだ。
ここんとこ、というかずっとだけど、やること満載。
体は正直。
休め、てことだろう。
ちょっとギアを落として、無理しないようにしよう。
#書くことは考えること、そして感謝すること
2019年9月10日から、ほぼ毎日続けているモーニングジャーナルが、3日前に8冊目に入った。ざっと4年と9ヶ月。飽き性のぼくにしては珍しく続いている。
元はと言えば、この本を読んだのがきっかけ。
そのへんの経緯はこっちに書いてるが、
こういうことをはじめた。
で、何を書くかと言うと
これを文章の巧拙は考えないで、思いついたまま、どんなにきざな言い回しでもこっ恥ずかしい告白でも何でもいいから書いていく。ときには怒りもぶちまけるし、泣き言も書く。誰にも見せないと思えば、ペンは勝手にスラスラ書いてくれる。オモシロイ。
例えば、
なんかを書いていく。心の内を覗き込んで自分をさらけ出す。
普通、そんなことはなかなかできないが、ノートの上なら自由にできる。先の本の著者は「思ったことをありのままに吐き出すリハビリだと思って、やってみてほしい」と書いてた。リハビリ、か。言えてる。
ぼくの場合、続けるうちに日記みたいになってきたけれど(まあ、ジャーナルって日々の記録のことだから間違ってはいない)、これを書いてると今やってること、これからやることへのモチベーションにもなってる。あるいは逆にブレーキにも。「いや、違うな、そうではないな。あー、そうかー、こっちか」とか、独り言言いながら書いてる。
この「手で紙に書く」という行為が、SNSやブログにパソコンで書くのとまったく別の体験をさせてくれる。スマホでメッセージを送るのとも全然違う。手を動かすことで脳を活性化するらしい。しかも公開することがないから、言ってみれば「書きっぱなし」だ。そう思えば気が楽。
気は楽なんだが、書きっぱなしでも、脳はどこかで覚えている。いや、どこかに格納してくれている。それが後々の思考になんらかの影響を与えている、そんな気がする。
正直言って、毎日書いてることの半分以上がコワーキングに関することだ。コワーキングとは何か、これからのコワーキングはどうあるべきか、それを実現するには何をどうすればいいのか、そんなことを、繰り返し書いてるうちに「!」と気づくことがある。
それは、日々のカツドウの中で知らぬ間に自分のアタマやカラダに植え付けられているのだろうが、それが想念として書いてるノートの上に立ち現れてくる。今、書いている文字とは違うイメージがペンと自分の間の空間に像を結ぶ。つまり、日ごろ無意識にインプットしているインサイトが姿を現す。
白状すると、旅に出てるときはサボったりする。というか、忘れている。最初はちょっとした罪悪感がよぎったが、考えてみれば旅に出ることでいつもと違う時間軸で動いて考えている。そこに、いつものルーティンとしてのジャーナルを入れることが、むしろジャマではないかと考えるようになった。ま、言い訳ですけど。
ぼくは書くことも仕事にしているから、それとこのプライベートなジャーナルとは別物と考えているけれど、ただどっちにしろ言えるのは、書くことは考えること、考えることは書くこと、そういうことなんだろうと思う。
モーニングジャーナルについては、過去にこんなのも書いてる。これ、2つで1つ。
ところで、この「今日のアウトテイク」も、一応、毎日続いていて、今日が201日目。最近、会う人会う人が「よくまあ、毎日、続くね〜」と感心してくれる。自分でも不思議だ。
で、昨日、こんなことをTweetした。
ホントにそう思う。
書くことは考えることであり、考えることは書くことだが、同時に感謝することでもある。
今日も感謝の気持ちで。
ということで、今日はこのへんで。
風邪、はやく治そう。
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