恩師~塾をクビになった先生~

高校2年生の時通っていた英語の塾の先生。私が間違いなく恩師と呼べる方の一人だ。

群馬県のある村で育った私は、周りにはいわゆる学習塾はなかった。町の高校に行き楽しさを知ってしまった私は、まじめに勉強していたとは到底言えず、しかし何となく英語は、いざという時に自力で習得するのが難しいので何とかしなくてはと思っていた。そこで両親にお願いして、高2から英語だけ塾に行かせてもらった。

先生は40代くらいの男性だった。

初日か2日目か忘れたが、先生の口からこんなセリフが出てきた。「昨夜から朝まで女性と飲んでいまして、今朝その事で妻と喧嘩したので、今日は機嫌が悪いんですよ・・。」

・・え? 何、この先生。

繊細そうでダークな感じで、でもちょっと色気がある男性、という印象の先生だった。

は!?と思いながらも、なんかこの人面白そう、と思った。そして私は1年間、一番前の真ん中の席に座り続けた。

週1回の授業だが、毎回必ず緊張が走る。

一言だけ私語をした生徒がいた。「あなた、出ていきなさい。」その生徒はそれきり来なくなった。

ボールペンをカチッ、カチッと鳴らした生徒がいた。「あなた、あとで職員室に来なさい。」その生徒もそれきり来なくなった。

同じ高校に、前年度その先生に教わった生徒がいた。「あの先生のクラス、40人くらい居たのが最後5人になったらしいよ。私も辞めたど。」

・・・。しかし初めて行かせてもらった塾だし、そもそも厳しさにそれほど反感が湧かなかった。でも怖いので、私は毎週必ず3~4時間かけて予習をしていった。

予習をしているので当てられれば黒板に書けるし、自分から手も挙げられる。そして何が起きたか・・。私が黒板に書いた答えには毎回ハナマルを付けてくれた。ひいきと言えばひいきだった。私は調子に乗って更に予習をしていく。これを一年間続けた。それまで英語で足を引っ張ていた成績が、英語で点数を稼ぐようになっていた。

この頃私は進学先を私立の薬学部と決めていた。受験3教科を必須の数学と英語、選択教科は自力で勉強しやすそうな化学と考えていた。そして先生が授業中に「僕は化学も専門なんですよね」と、ポロっと言ったのを覚えていた。

年度の終わり近くに職員室へ行き、これから化学を自分で勉強しようと思うがお勧めの参考書などあるか、と聞いてみた。その時は、これという明確な答えは返ってこなかった。

そして数日か数週間後、「東京に行く用事があったのでね、ついでに買ってきましたよ。この化学の参考書、この辺じゃ売ってませんからね。これ、ホワイトデーのお返しということで。」

適当なお菓子のお返しよりも、数十倍嬉しかった。

その年度最後の授業の日、先生は唐揚げやポテトなど、たくさんの食べ物を持ってきて、教室でみんなに振舞ってくれた。「妻がやってくれましたよ。」 年度初め、先生が女性と朝まで飲んで、その事で喧嘩したという奥様。私たちのために沢山美味しいものを作って下さった。

前年度は5人しか残らなかったという先生のクラスだが、この年は半分くらいは残ったと思う。一番前に座っていたため周りの生徒の顔を見ず、誰とも言葉を交わさない一年だったが、この最終日にみんなが笑っていたことだけは覚えている。

高3になると私は1か月間、寝ても覚めても他の授業中も、ひたすら化学を勉強した。数学には興味が湧かなかったため学校の教科書のみに絞り、基本中の基本だけ2週間で押さえた。そして何とか薬学部に合格した私は塾にあいさつに行った。塾長に先生の事を尋ねた。

「あの方には辞めていただきましたよ。生徒がみんな辞めちゃうんでね。」当然先生についての情報を教えてもらうことは出来なかった。未来への希望の方が勝っていた当時の私は、それ以上探すという行動は起こさなかった。

今はどうされているか、ご健在かも分からないが、先生の事を絶対に忘れない生徒がここにいる。

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