透明なヒーロー|短編小説

 死のうと思ったことがある。
 誰しもが一度は考えたことがあると思う。私にとってはその日がそうだった。何もかもが嫌になった。逃げ場がなくて、でも一矢報いたくて、必ず人目に触れる駅で死ぬことにした。通学のためにいつも一人で通っている駅だった。何も関係がない駅関係者各位には徹頭徹尾迷惑なだけの話だっただろうけど、私は家族も、学校の人間も大嫌いで、助けてくれない他の人間もまとめて嫌になっていた。迷惑をかけて死にたかった。ずっと透明人間だったけど、その瞬間だけは、私のことを見て欲しかった。それぐらいしか見てもらえない私のことが、一番嫌で嫌で、死にたかった。
 夕方の駅に西日が差していて少し眩しかった。大勢の人がいたけど、私は一人だった。今日も一人だった。一人で十五分刻みでやってくる電車を待っていた。授業はとっくに終わっているから帰宅部の人間は既に居なくて、逆に部活動に励む人間は日が落ちた後に帰るからまだ学校にいる。後者の人間がやって来る前に線路に踏み出そうと考えて、だけれど私は立ち尽くしていた。立ち尽くしている私をただの壁のようによけて、大勢の人が電車に乗り込んでいく。どんどん人が減っていく。そろそろ、そろそろとじわじわ焦りながら、何本目かの電車がやってきたときだ。
「大丈夫?」
 大げさなほどに両肩が跳ねた。その勢いでいつの間にか俯いていた顔を上げる。そこで、私は再び固まった。
 綺麗な人だった。均等に配置された顔のパーツがよく手入れされた人形のように整っていて、悪印象を覚えない。母や学校の女子がするような、ただゴテゴテと顔に色やパーツを余分に追加するような化粧ではない。元ある顔を更に綺麗に整えるような、丁寧で清潔感のある薄化粧が施された顔。テレビで見るような印象的な美人ではないけれど、何処に出しても恥ずかしくない綺麗な大人の女性だった。
「ずっと立っているけど。体調悪い?」
「ぁ……ぃぇ……」
 久しくまともに誰かと話すことはしていない。声の出し方も忘れていたことに実際声を出してみて気付いた。はく、と酸素が足りない魚のように無意味に口を開閉させて、目を逸らした。会話を続けられそうにない。
「そう? ……良かったら、これもらって」
 目を逸らした先に、クリスタルのような輝きが突然割り込んだ。透明なミネラルウォーターのボトルが、西日を受け止めて全身で光を放っていた。手元に差し出されたそれを反射的に受け取る。
「未開封だから、嫌なら捨てて」
 それだけ言い残して、その女性は立ち去った。丁度、次の電車がやってきたのでそれに乗り込んだのだ。私はそれを呆然と見送った。扉が閉まる直前、女性は最後に小さく手を振り返してくれた。それが最後だった。
 私は手の中で手の温度を奪って表面がぬるくなっていくペットボトルをそのまま見下ろして、結局次の電車が来る前に蓋を開け、口を付けた。ペットボトルの中身はまだほとんど冷たいままで、山の中の清流を飲んだような心地よさが喉を通り過ぎて。
 透明なペットボトルの透明な中身を全て飲み干して、私は結局死ぬのをやめた。
 それから数年。同じ駅で通学を続け、私は無事学校を卒業した。けれど、あの女性に会うことは二度となかった。

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即興小説リメイク作品(お題:綺麗なヒーロー 制限時間:30分)
リメイク前初出 2020/03/31
この作品は(pixiv/小説家になろう/アルファポリス/カクヨム)にも掲載しています。

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