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【短編】黄昏の殺人者 前編

 不況のせいで首を切られ、あれこれ足掻いてはみたものの、結局東京で生活を続けることを断念し、ぼくは帰郷することにした。地方では仕事が少ないと頭でわかっていても、なんだかもう都会暮らしに疲れ果ててしまったのである。

 控えめに言うと、三十半ばの長男が実家暮らしに戻ることについて、両親はとくに歓迎しなかった。するわけがない。地元の友だちとは一切連絡を取らなかった。さすがに部屋に閉じ籠もっているわけにもいかず、狭い田舎だからどこかで顔を合わせることもあるかと思ったけれど、実は残っているのは挫折して戻ってきた自分だけなのかもしれない。百貨店が撤退し、映画館は潰れ、大型パチンコ店も閑古鳥が鳴いている。

 ハローワークに顔を出してみて、今さら仕事の少なさに驚きはしないけれど、応募可能な職種の少なさには驚いてしまった。この歳までキャリアを築くことなくふらふら気ままに生きてきたので、ぼくにはなんの資格も技能もなかったのだ。そこで新たに人生を仕切り直すのだと覚悟を決めて(仕方なく)飛び込んだのが介護業界だったのである。送迎車の運転、食事や入浴、トイレの介助、簡単な調理、資格は働きながら勉強して追々取ってゆくつもりである。

 何でもやってみるものだと思う。お年寄りの世話は、実はぼくに向いているかもしれない。たしかに給料は良くはなかったけれど、満員電車もなく、ノルマもなく、パワハラ上司もいない、とにかくストレスがないのが助かるし、人の役に立っていると思えばやり甲斐も感じられる。それにちょっと寂しいことかもしれないけれど、すでにぼくは都会のナイトライフが恋しいという年齢でもなくなっていたのだ。

 ぼくの勤めるデイサービスは、住宅地の一軒家を改造した小規模なもので、預かっているお年寄りも五人から十人ほど、TVを観たり、近所の公園まで散歩をしたり、それから簡単なゲームやレクレーションをしたり、常駐のスタッフとパートが大体二、三人で面倒をみることになる。老人たちの体は脆く、今にも粉々に壊れてしまいそうで、最初は介助もヒヤヒヤものだった。

 そんなぼくを親切に導いてくれたのが、ベテランスタッフの牧さんだった。四十すぎの主婦で、小学生の娘が二人、体型もそろそろ崩れかけているけれど、妙に活気があり、そして妙に色っぽいところがあって、ふと気づくとぼくは彼女のふくよかな胸元や臀部に見入っていることがあった。なんだろう、やはり衰弱してゆく一方の年寄りたちばかり眺めてるのが辛いというのはあると思う。

「さあさあ! 皆さん、ご飯よ!」と、昼食の呼びかけひとつとっても、よく通る張りのある声が心地よい。

 ケアされる側からしたら、牧さんだって自分たちの娘より若いわけだ。セクハラというか、甘えというか、わざとらしく、あるいはさりげなく彼女の豊満な肉体に触れてくるスケベ爺いも一人や二人ではない。普通なら、嫌悪を催すところかもしれないけれど、牧さんが「あら、いやだ! エッチねえ!」などと、張りのある大声をあげると、不思議とそうでもない。

 おそらくぼくの視線も気づかれていたかと思う。殊更に大きな声を出すのは、きっと牽制の意味合いもあるのだろう。とはいえ、彼女はぼくの先輩であり、師匠であり、同僚でもあった。朝の挨拶を交わすときに、自然と笑みがこぼれるほど仲良くなっていた。

「ちょっと神谷くん、いいかな」牧さんがめずらしく声をひそめて、手招きしたのは、昼食の介助を終えて、年寄りたちがソファーで居眠りしたり、TVで時代劇を観たりしている、比較的暇な時間帯のことだった。
「新しく入った佐々木さん、ちょっとおかしなところがない?」
 佐々木さんは、軽度な認知症の、車椅子の老爺である。人の輪に入ろうとしないし、こちらから話しかけてもはかばかしい返事もないけれど、入浴はともかく、食事とトイレは自立してできた。
「いや、別に」何か至らないところがあったのだろうか、と身構えた。「何かクレームとかありましたか?」
「そうじゃないのよ」いっそう声をひそめると、車椅子で背を丸めてこっくりこっくりしている佐々木さんをチラと見やり、「あの人ね、人殺しなのよ」

 送迎を終えて福祉車両を戻すと、「たまには呑みにいこう」と牧さんに誘われた。
「あれ、ご家族は?」
「いーの、いーの」
 駅前は閑散として人通りもなく、アーケードの商店街も軒並シャッターを下ろし、田舎の居酒屋は大通り沿いにあり、立派な駐車場が付いている。

 もちろん、話題は殺人者についてだ。牧さんが言うには、四十年ほど前に地元を騒がせた連続殺人事件があった。およそ十年に渡って断続的に続いて犠牲者七人は皆若い女性、行方不明になったのが月曜日で、いずれも絞殺が死因だったために、月曜日の絞殺魔事件と呼ばれたという。

 当時、TVや週刊誌でもずいぶん騒がれたというのだが、はて、そんな猟奇的な事件が自分の故郷(といっても、遺体が発見されたのは山の中)であったと聞かされた覚えがない。まあ最後の殺人ですら、生まれる前の話ではある。

 容疑者が逮捕され取調べで自供し、立件されたものの、証拠不十分で無罪になったという(自白の信憑性が問われ、取調べの可視化へと繋がった、と)。その容疑者が、車椅子の佐々木さんだというのだ。

「あのー、単なる同姓同名という可能性はないですか?」
「ある」とコクリとうなずく。
「あるのかよ!」
「でも、年齢がピッタリだし、下の名前がケンイチロウって、めずらしくない?」
「いや、別にめずらしくはないでしょう」
「でも、ケンがツルギの剣なのよ。それで剣一郎」
 ぼくはため息をついた。
「無罪だったんですよね」
「無罪放免されてから、また殺人を犯した奴らはいっぱいいるじゃないの」
「たとえば?……ほら、答えられないでしょう。もう時効じゃないですか。そっとしておきましょう」
「時効なんてとっくに廃止されてるでしょう。神谷くんなら、わかってくるれると思ったのに」
 牧さんのふっくらとした頬が上気しているのは、酔いのためか、興奮のためなのか。陽気な姿は仕事で見せる表向きの顔でしかないのかと思わせるほど、仄暗くて執拗な情熱に気圧される。
「わかりました。気をつけて見ておくようにします。でも、あの人は、もう現実を薄ぼんやりとしか認識できていないし、今さら誰かに危害を加える心配もないじゃないですか。そもそも何も覚えていないかもしれない……」

 日曜日はとくに予定もなく、家にいて親と顔を突き合わせているのも憂鬱で、図書館まで車を走らせる。実は資格の勉強そっちのけで、月曜日の絞殺魔事件についてネットで調べ尽くしたので、今度は当時の新聞を調べてみるつもりだった。

 ウェブで驚かされたのは、未解決事件に関するブログや記事、掲示板のスレッド、動画(遺体発見現場からの素人リポートまであった)の豊富さであった。それらは、嘘だか、怪しい噂だか、無責任な推理で埋め尽くされている。真相が謎に包まれていることが、暇を持て余した人々の想像力というか、妄想力をえらく掻き立てるらしい。次から次へと読んでいるうちに、こちらもしだいに頭が冴えてきて眠れなくなる。

 何の罪もないのに無惨に殺されて、およそ半径二十キロ以内の山谷や田んぼの側溝、学校の汲み取り式便所の便槽に捨てられた女性たち……。夫婦が田園で犬を放して遊ばせていたら、人の骨らしきものを咥えて戻ってきたと、あるブログにはあった。手分けでして探してみると、林の中に三体の遺体(白骨、腐乱死体、まだ新しいもの)が並んでいるのを発見したという。

 ある掲示板では、どういうわけか自分が若い頃働いてたスナックの常連が犯人だと決めつける書き込みがある。犯人に声をかけられたという話もあった。つまり、自分に声をかけてきた怪しい男が連続殺人犯だと何の根拠もなく思い込んでいるのである。被害者が全員月曜日に失踪していることから、犯人は床屋に違いないと主張するブロガーがいる。いや、遺体が発見された便所のある学校の関係者が怪しいという推理というか、憶測を述べる者もいる。女生徒にイタズラをして免職された教師に様々な余罪があるという噂が流れたらしい。もちろん、胸をざわめかせるそんな怪しげな妄想の数々を鵜呑みにするわけにもいかず、堅実な情報を求めてわざわざ図書館まで足を伸ばしたのである。

 昼下がりの図書館で、分厚い縮刷版の細かい活字を追っていると目がチカチカしてきて、ふと顔を上げるとすでに暗くなっており、周囲も閑散としている。我知らず没入していたのだ。事件の詳細としてはとくに新しい情報はなかったけれど(犬が人骨の一部を咥えてきたというのは創作らしい)、下校途中の女子高生が行方不明になり、後に遺体で見つかった事件については、学校の近くで次々と女子高生にしつこく声をかけていたという男の似顔絵が載っていた。

 広い額の下の値踏みするような細い目といやらしく薄い唇、似ていると思った。いや、利用者の老佐々木氏は値踏みするような目も、いやらしい唇ももはや持っていない。ただそこはかとなく痕跡をとどめているといえば伝わるだろうか。さらに無罪になった容疑者の写真も載っていたが、まるで逮捕された後に似顔絵が作成されたかのように、そっくりそのまんまなのである。

(続く)

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