チャリティームーブメントの意義
はじめまして、関東SIVIO14期かずです。
私は、チャリティームーブメントの意義について自分の考えを述べさせていただきます。
チャリティームーブメントという言葉は、日本語で「慈善活動の普及」と意訳できます。
では、まず慈善活動とはなんでしょうか。
日々、関東SIVIOにおいてはこの問題を討論します。
特に、「魚をあげるか、魚の釣り方を教えるか」論争はつきません。
食べるものがない人に魚をあげることは、その人の空腹を満たすことにつながる一方で、その支援は一元的であり、継続的効力を発揮するものではありません。
これに対し、魚の釣り方を教えることはその場で空腹を満たすことはできませんが、継続的にその知識を活かし、自身で食べものを獲得する力を与えます。
どちらを選ぶべきでしょうか。
また、我々のような団体が発展途上国に支援することは、魚をあげることと釣り方を教えてることのどちらにあたるのでしょうか。
学校建設の例を挙げます。
学校建設により、子どもたちは学ぶ環境を得て、持続的に勉強することができます。これは魚の釣り方を教えることと同義です。
その一方で、学校建設を先進国の支援団体が行うことによって、発展途上国自身が学校を自発的に建設する能力・意欲がなくなります。これは、魚をあげていることと同義です。
学校建設は、発展途上国の支援という観点で正しいのか。
正解は無いと思います。
話を戻し、慈善活動を定義します。
私は、慈善活動とは上記のように存在しない正解を追い求める活動そのものだと私は考えます。
正しい支援活動の正解は永遠に見つからず、後発国が一定の発展をした後に振り返り、過去の支援活動について問い直すことによってのみ各支援の正解、不正解について判明します。
そして、その学びを未来に繋げることが非常に大事です。
次に、慈善活動の「普及」の重要性について考えを述べます。
「普及」はその語意の通り、広く一般に行き渡らせることです。
では、なぜ普及が必要なのか。
学生団体等、既存の集団だけが発展途上国に支援するのではなく、共感し支援する人数を日本国内で増やしていくことの重要性は何か。
それは、日本だからこそ意識的にすべきだと考えます。
日本は、一億総中流階級社会と言われるほど格差が世界的にみて少ない国です。
したがって、金銭的に貧しい人に対して支援を行う文化が根付いていません。
むしろ、寄付行為などは否定的に捉えられるケースも多いです。
Twitterでお金を配っていた某有名企業の元社長もその行為は売名目的と批判される節もありました。
そこで、社会として支援を行う雰囲気を作っていくことが重要と考えます。
以上のように、慈善活動の普及たるチャリティームーブメントは重要であり、それを起こすべく、関東SIVIOで引退まで活動していきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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