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50歳手前でセミリタイアして

これまでの私の人生は、間違いなく『働き詰めの人生だった。』と言っても過言では無かったと思う。

若い駆け出しの頃を思い返すと、20代前半は美容師としての技術やセンスを必死に学び、クリエイティブな事に取り組んだ。

20代後半は組織をまとめるリーダーとなり、会社を大きくする為のブランディングやマネージメントを、クリエイティブだと置き換えて、裏方の仕事に打ち込んだ。

会社はどんどんと成長し、30代は東京へ、そしてどんどんと海外もに進出する様になった。

日本だけにとどまらず、シンガポール、ロンドン、香港、台湾、上海という7都市へ、毎週月曜日になると飛行機に乗り飛び回り、それぞれの地でヘアサロンの展開を成功させてきた。

シンガポールでのセミナー活動風景


『50歳になったら、セミリタイアしよう。』

私が28歳の時、55歳という若さで他界した父親の姿をみて、そう心に決めた。

そんな目標を抱きながら、40代になっても相変わらず、ジェットセッターの如く、各都市を飛び回っていた。

1年先のスケジュールまでビッシリと決まっていて、体調を壊しスケジュールに穴を空けることなど許されず、毎日、毎日、気を張って生きていた。

2020年上半期のスケジュール
1月の終わりにコロナで上海から急遽帰国


ただただ、がむしゃらに働き、『時間』というものを仕事にあてて、その対価として『お金』を手に入れてきた。

そんな感じであるから、もちろん『自分の時間』なんてものは殆どない。

友人が、キャンプやゴルフなどを楽しんでいても、その様な行事ごとに参加することなど不可能だった。

もちろん『家族との時間』なんかも、殆どない。

子供の運動会や参観日などにも出席する事なども、私にとっては有り得ない事だった。

その様な感じで、時間が無いのは私個人だけではなく、家族一丸となって、『私たちの時間』を犠牲にしてきたのだ。

しかしながら、それでも決して『不幸』だなんてことは、これっぽっちも感じていなかった。

仕事は楽しかったし、この様な状況が、私たちの未来の目標の為ならば、これが『あるべき形』だと思っていたから、むしろそういう働き方が現実的に出来ている事に『幸せと充実』を感じていたぐらいだった。

家族4人が揃った写真は滅多に撮れない


しかし、そんな『価値観』も、2019年末に発生した『コロナ19』によって、一瞬にして覆された。

びっちりと埋まっていた海外出張のスケジュールは、全て変更となり、私のスケジュール表は『歯抜け』どころか、『白紙』に近いものになった。

走り回っていた脚を、自らの意にそぐわぬ形で止められて、私は不本意にも、初めて『ゆっくりとした生活の景色』を観ることとなったのだ。

私自身の意思ではなく、コロナによって状況的に止まらざるを得なくなったことで、初めて体感する『ゆっくりとした時間の世界』は、『これも悪く無いな。』という、『新しい価値観』を私に与えてくれることとなったのだ。

これまでは、ある意味で『止まったら死ぬ。』と言った様な『脅迫観念』が私の心の何処かにあったのかも知れない。

結果として、世界中を混乱に陥れた『コロナ19』の存在が、『強迫観念』に囚われていた私に自由を与えてくれて、解放してくれた様な気分だった。

空いた時間を使って沖縄旅行



そしてまた、私たち家族の状況も、これまでの『価値観』を見直すキッカケとなる良い時期でもあった。

先ずは、2人の子供。

長女の愛蘭(あいらん/22歳)はイギリスの大学に留学し、既に成人していた。

長男の俐皇明(りこうめい/17歳)はシンガポールの高校で寮に入って生活をする様になっていた。

長女 愛蘭22
長男 俐皇明17


妻に任せっきりだった『子育て』も、ほぼほぼ終わりに近づいており、子供達への直接的な手助けからは手が離れ、妻にも『自由な時間』が増えていた。

妻 則子45


そしてさらに、私たちの『家族の資産』も、『質素な生活を送りながらリタイヤする』のには、充分だと言えるぐらいにキープする事が出来ていた。

それらの状況と状態を全て加味して、妻とも十分に話し合いをし、私たちは一つの結論に至った。

『もうこれ以上、時間をお金に換える様な人生は、俺たちには必要ないな。』

全ての条件が揃って、そういう答えに辿り着いた私は、コロナ禍真っ只中だった2020年の8月、会社から離れる意向を社長に伝えた。

それに合わせて、妻は2020年の9月にシンガポールの家を引き払い、日本へと完全帰国した。

その後、2021年の1年間を、引き継ぎ業務を行いながら、会社からのフェードアウトの時間にあて、12月31日をもって会社から完全に離れる事になった。

25年間お世話になった西村会長と最後の挨拶


2022年1月からは、いわゆる『セミリタイア』という状態になり、現在は妻と2人で『過去の時間を取り戻す』かの様に、楽しい時間を過ごしている。

そんな毎日を過ごしている中で、人生には、『過酷な時間』『ゆとりある時間』の分量が、ある一定量で決まっているのではないか?と、感じることがある。

『アリとキリギリス』の様に、自分の持っている時間をどんな時間として消費するか?によって、そのシーソーバランスの様に、反動が返ってくる様な感じだ。

子供の頃に食べた『お子様ランチ』で、好きな物を先に食べて、嫌いな物を最後に食べる子供と、嫌いな物を先に食べて、好きなものを最後に食べる子供がいた様に、どちらの子供のお子様ランチのプレートの上には、結果的には同じ一定量の幸せと過酷な物があるだけだ。

私の場合は、人生の前半に於いて、『過酷な時間』を費やしたので、これからの人生の後半は、『ゆとりある時間』が手に入る。という様な実感だ。

どちらが先でも後でも良い。

均等に、満遍なくオンとオフを散りばめて行くのも良い。

どういうふうに生きるかは、その人、その家族の『価値観』による決断次第なのだ。

私は、色んな人たちが歩んでいる、どんな人生の生き方にも、否定も肯定もない。

誰かを羨む事も、自分を卑下する事もない。

ただ、私にとっての最小限の単位である『私たち家族』の最大限の『幸せな人生』を望むだけだ。

そして、私達の生き方に『自信』と『誇り』を持つことだけだ。

一年の半分は夫婦2人でバンコクで暮らす



最後に、私達の様な生き方に、少しでも興味を持ってくれる人がいるのであれば、その方達へのアドバイスをさせてもらう。

質素な生活の中にも、十分な幸せがある。
そんな幸せを見つけることのできる人間になれ。
その能力はあなたにとって、最高の強みになる。

一度上げてしまった生活レベルは中々落とせない。
自分に見合っている生活の中で、幸せを見つけろ。
そのカギは、誰かと比べたり、誰かを羨んだりせず、自分の中にある『価値観』を大切にすること。
今現在の状況を卑下しないことが重要です。


目的、目標があるのなら、徹底的に努力すること。
求めるものが高ければ高いほど、努力の量も比例する様に大きくなる。高い目的、目標を持てるのは、それに見合った努力をする覚悟がある人だけだ。
その努力をする覚悟が無いなら、大きな目的、目標は持たないほうがいい。
ただただ、いつまでも憧れるだけのものになってしまう。手に届かない物だという印象が着いてしまうと、一生、そこへは辿り着けなくなる。

自分と向き合って、自分と相談してみて、『どうする?俺?』って感じで、自分で決めてみてください。

いずれにしても、自分を理解して、『わきまえる』事が重要かと思います。

夫婦2人で北海道一周ツーリングの旅

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