【老子】「天下に水に勝るもの莫し」~柔らかくて弱いものが堅くて強いものに勝るという話
老子については、以下の記事をご参照ください。↓↓↓
「道」と「柔弱」
「道」(タオ)は、難解だ。
「玄」「一」「大」「常」などと言い換えても、
やはり、抽象的で、なんだかよくわからない。
そこで、よくわからない人のために、
老子は「水」を比喩に使った。
なぜ「水」かと言えば、
「道」の本質が「柔弱」であり、
「柔弱」を体現するものが「水」だからだ。
「柔弱」について、『老子』第七十六章で、こう語っている。
老子独特のパラドックス(逆説的論法)である。
強いものが、弱くて下位。
弱いものが、強くて上位。
というように、世の通念の逆を説いている。
一般的には、「剛強」が「柔弱」よりも良しとされるが、
老子は、「柔弱」の方を良しとする。
「柔弱」は「生」を象徴する。
万物を生成するのは「道」である。
ゆえに、「柔弱」は「道」に繋がる。
というレトリックである。
「上善は水の如し」
「道」を体現する概念が「柔弱」である。
「柔弱」を具象化したものが「水」である。
「道」 = 「柔弱」 = 「水」
という図式になる。
日本酒の「上善如水」は、『老子』第八章に由来する名称だ。
水は、万物を育み、他と争うことがない。
「争わず」というのは、
水が如何なるものにも随うことをいう。
碗に入れれば碗の形に、壺に入れれば壺の形に、
自らの形を変えて、あらゆる器に随順する。
「衆人の悪む所に処る」というのは、
水が、つねに下に向かって流れ、下に滞ることをいう。
これは、謙遜・謙譲を意味する。
老子は、そうした水の性質を「上善」と呼んでいる。
「水」は万物最強!
水は、全てのものに随順し、他と争うことがない。
そうでありながら、また何物よりも強い力を秘めている。
『老子』第七十八章では、水の強さを語っている。
水は、最も柔らかく弱い存在でありながら、堅く強いものを攻め落とす。
水は、攻撃のしようがない。
刀で斬ろうにも斬れない。
鉄槌で壊そうにも壊れない。
水に攻められたら、守りようがない。
変幻自在で、どこからでも迫ってくる。
洪水は、人馬も家屋も洗い流す。
中国は、古来、黄河の氾濫に悩まされてきた。
禹に始まり、歴代の為政者にとって、治水は一大事業だ。
戦術では、敵に最も壊滅的な打撃を与えるのが、
城の水攻めだ。
水は、万物最強の物体である。
ブルース・リーと「水」
小さな身体で、大きな相手を投げ倒す。
これぞ、柔道の醍醐味だ。
柔道では、「柔よく剛を制す」という。
兵法書『三略』に、
とあるのが直接の由来だが、もとは、老子の「柔弱」に由来する。
「柔よく剛を制す」は、柔道のみではない。
合気道や功夫(カンフー)など、広く東洋武術の神髄をいう。
かのカンフースター、ブルース・リー(李小龍)は、
という名言を残している。
ブルース・リーは、香港カンフー映画の先駆者だ。
巨漢の悪党が「ブンブン」と力任せに襲ってくる。
ブルース・リーは「ヒョイヒョイ」としなやかに躱して、
「アチョー!」と一撃、敵を倒す。
ブルース・リーは、小柄だ。
公称では、身長172センチだが、実際には、もっと低い。
師匠のイップ・マン(葉問)は、さらに小柄だ。
カンフーは、物理的、体力的な鍛錬に加えて、
精神的な鍛錬と、それを支える哲学的理念が不可欠だ。
ブルース・リーの場合は、それが「水」であった。
鉄人ブルース・リーは、とびきりのインテリでもあった。
渡米後、ワシントン大学の哲学科で学んだ。
図書館ができるほど書物を積み上げた読書家と言われ、
東洋哲学に精通していた。
『老子』の章句は熟知していたに違いない。
2019年、香港。
民主化運動のスローガンは、Be water だった。
ブルース・リーの名言にちなんだものだ。
デモ隊は、リーダーを置かず、SNS を駆使し、
臨機応変、変幻自在、神出鬼没の戦術を用いた。
結末がどうなったかは、周知の通りだが、
香港の若者は「水」の力を信じ、最後まで戦っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?