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『詩経』「陟岵」~弟よ、死ぬんじゃないぞ!

『詩経』の概説は、こちらの記事をご参照ください。↓↓↓


 『詩経(しきょう)』は、中国最古の詩集です。
 男女の情愛、収穫の喜び、兵役の苦しみなど、古代人の日常生活の哀歓を素朴な表現で伝えています。

 「魏風(ぎふう)」に収められてい歌「陟岵(ちょくこ)」は、戦場に身を置く若い兵士の歌です。

十五国風

陟彼岵兮       彼(か)の岵(こ)に陟(のぼ)りて
瞻望父兮         父(ちち)を瞻望(せんぼう)す
父曰嗟予子   父(ちち)曰(いわ)く嗟(ああ)予(わ)が子(こ)よ
行役夙夜無已  行役(こうえき)しては夙夜(しゅくや)已(や)む無(な)からん
上愼旃哉    上(ねが)わくは旃(これ)を慎(つつし)めよ
猶來無止         猶(な)お来(き)たれ 止(とど)まること無(な)かれと

――あのハゲ山に登って、
故郷の父のいる方角を望み見る。
(自分が従軍する前)父はこう言っていた、
「ああ、我が息子よ、
戦場に行ったら、朝から晩まで休む暇もないだろう。
くれぐれも気をつけるのだぞ。
戦地に留まることなく、きっと帰ってくるのだぞ」

陟彼屺兮         彼(か)の屺(き)に陟(のぼ)りて
瞻望母兮    母(はは)を瞻望(せんぼう)す
母曰嗟予季   母(はは)曰(いわ)く嗟(ああ)予(わ)が季(き)よ
行役夙夜無寐  行役(こうえき)しては夙夜(しゅくや)寐(い)ぬる無(な)からん
上愼旃哉    上(ねが)わくは旃(これ)を慎(つつし)めよ
猶來無棄    猶(な)お来(き)たれ 棄(す)つらるること無(な)かれ

――あの緑茂った山に登って、
故郷の母のいる方角を望み見る。
母はこう言っていた、
「ああ、我が末っ子よ、
戦場に行ったら、朝から晩まで寝る暇もないでしょう。
くれぐれも気をつけておくれ。
戦地に打ち棄てられることなく、きっと帰ってきておくれ」

陟彼岡兮   彼(か)の岡(おか)に陟(のぼ)りて
瞻望兄兮   兄(あに)を瞻望(せんぼう)す
兄曰嗟予弟  兄(あに)曰(いわ)く嗟(ああ)予(わ)が弟(おとうと)よ
行役夙夜必偕 行役(こうえき)しては夙夜(しゅくや)必ず偕(とも)にせよ
上愼旃哉   上(ねが)わくは旃(これ)を慎(つつし)めよ
猶來無死   猶(な)お来(き)たれ 死(し)すること無(な)かれと

――あの山の尾根に登って、
故郷の兄のいる方角を望み見る。
兄はこう言っていた、
「ああ、我が弟よ、
戦場に行ったら、朝から晩まで必ず仲間と一緒に行動するんだぞ。
くれぐれも気をつけろよ。
きっと帰ってこい! 死ぬんじゃないぞ!」

 この詩は、設定に一捻り加えています。

 国境へ駆り出された若い兵士が、戦いの合間に丘に登り、故郷のある方角を眺望します。そして、兵士の独白になりますが、それは兵士本人の言葉ではなく、出征する前に、故郷の家で、父母と兄が自分に向かって語った言葉です。切々とした家族の言葉を兵士がそのまま歌う、という設定になっています。
 
 父親は「留まるな」と言い、母親は「棄てられるな」と言い、兄はもっとストレートに「死ぬんじゃないぞ」と言います。

 父と母が内心本当に言いたいことは、兄の言葉と同じはずです。しかし、親としては、息子に対して「死」という言葉は使いたくない、口に出したくない。それを兄が代弁しているのです。
 
 同じ肉親でも、それぞれ立場によって気持ちの伝え方が違い、それが三つの異なるセリフによって表現されています。

 戦争の苦しみや悲しみを声高に「ああ辛い」「なんと悲しい」と訴えるのではなく、若い兵士が戦場で家族の言葉をしみじみと思い出す、という穏やかなトーンです。

 であるからこそ、かえって人の胸に強く迫るものがあるのでしょう。

 「仲間と一緒に行動しろ」という兄の言葉は、父や母の言葉より具体的で、戦場で生き延びるための知恵を授けているように聞こえます。

 しかし、これは、兄自身の従軍経験に基づいたものではありません。

 兄は跡継ぎであるため家に残り、代わりに弟が兵役に駆り出されている、と解釈するのが自然です。

 そもそも、もし戦場に赴いたことがあったのなら、兄はすでにこの世にはいないはずです。いざ戦場に駆り出されたら、まず生きて帰っては来られないからです。

 時代は下りますが、漢の楽府「戦城南」に、

朝行出攻   朝(あした)に行き出でて攻め
暮不夜歸   暮れに夜帰(やき)せず

とあり、また、唐・王翰「涼州詞」にも、

醉臥沙場君莫笑   酔いて沙場(さじょう)に臥(ふ)す 君 笑うこと莫(な)かれ
古來征戰幾人囘   古来 征戦(せいせん) 幾人(いくにん)か回(かえ)る

とあるように、出征した兵士が生還することはまず無いのです。 
 
 ましてや、大昔の周代となれば、戦場から生きて戻れる者は、ごくわずかであったはずです。

 当時の実際の生還率がどれほどであったか、考証的にはわかりません。
 しかし、少なくとも文学の世界では、出征イコール戦死であり、息子や夫が親や妻のもとに戻るという場面が描かれることはほとんどありません。

 
 『詩経』の時代から今日まで、三千年。
 この間の人類の歴史に、戦争がなかったことは一時たりともありません。

 戦う本性がホモサピエンスの DNA に組み込まれているのであれば、人類は止むことなく殺し合いを続ける運命にあります。

 人間の知恵と良心が科学の示す運命に打ち克ち、戦いのない平和な世界がいつか実現することを願うばかりです。


↓↓↓「陟岵」朗誦(中国語)

↓↓↓「陟岵」吟誦(中国語)

↓↓↓「陟岵」児童歌(中国語)


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