印度の説話
近代日本を代表する文豪・芥川龍之介の小説「杜子春」が、中国の小説を改編したものであることはよく知られている。
実は、その中国の小説にも、さらに元ネタがあった。
昔、仏教が印度から中国へ伝わった時、印度の神話や説話もそれに伴って中国に流入した。杜子春の物語も、その中の一つである。
杜子春の物語の原型と考えられる説話が『大唐西域記』に見える。
『大唐西域記』は、三蔵法師玄奘の見聞録であり、小説『西遊記』の前身ととして知られる。印度および西域諸国の歴史・地理・風俗を記した書物で、中には不可思議な伝説の類も多く含まれている。
その巻七「波羅痆斯国」の条に、次のような説話が記載されている。
この説話が中国へ伝わり、中国化した物語となり、唐代伝奇「杜子春伝」が成立した。唐・李復言の怪異小説集『続玄怪録』の中に収められている。
以下、「杜子春伝」全文を書き下し文と現代日本語訳で読み、その背景にある思想・宗教を考察し、さらに、芥川の「杜子春」との比較を試みたい。
唐代伝奇「杜子春伝」
都長安のダメ男
東市の西門
長安の街は、東西対称に碁盤の目のように整然と区画整理されている。
東と西の市場は、都の繁華街であった。とりわけ東市の西側の平康坊は、妓楼街(遊郭)として知られる。
謎の老人
ペルシャ屋敷
当時の長安は、華やかな国際都市であり、多くの異国人が居住していた。
西域から来た人々は「胡人」と呼ばれ、なかでも「波斯人」(ペルシャ人)が多かった。
651年、ササン朝ペルシャがサラセン帝国に滅ぼされ、多くのペルシャ人が戦乱を逃れて中国に渡来し、長安ではペルシャ風の文化が一大流行した。西市の北には、ペルシャ人の信仰するゾロアスター教の寺院もあった。
ペルシャ商人は、西域から珍しい品々をもたらし、巨万の富を築いた。中には高利貸しを営む者もいた。
老人が杜子春に金を渡す場所がペルシャ屋敷となっているのは、こうした時代背景を反映したものである。
三度目の正直
三度の大金
老人が三度に分けて金を渡しているのは、物語を面白く引き延ばすための演出である。
劉備らが諸葛孔明の草廬を三度訪ねる「三顧の礼」、孟子の母親が息子の教育のため三度引っ越す「孟母三遷」など、三度繰り返すのは、説話の常套である。
これは中国に限らず、日本の「桃太郎」でも、犬・猿・雉は、三度に分かれて登場している。
長安と揚州
揚州は、淮南(今の江蘇省を中心とした地方)の主要都市であった。南北を貫く大運河、長江、東シナ海のいずれにも接していて、とりわけ海上貿易で栄えた。
揚州は、南方の経済・文化の中心地であり、当時の長安と揚州は、現在の北京と上海の関係に似ている。ちなみに、唐代、上海はまだ海の下で、地図上に存在していない。
当時、安禄山の乱によって都長安が戦場と化すと、資産を持つ者の多くは難を逃れて南へ移住した。「孤児や寡婦の多くが淮南地方に寄寓していた」云々とあるのは、こうした社会状況を反映している。
華山の雲台峰
道教
「杜子春伝」は道教が中核となっている。道教は、中国固有の宗教、民間信仰である。多神教で、ありとあらゆる雑多な神々がいる。
老子を開祖とし、太上老君と呼ぶ。但し、老子はシンボル的に祀られているだけであり、道家と思想的・教義的な関連はあまりない。道家は、思想・哲学であるのに対して、道教は、宗教・信仰である。
道教は、福・禄・寿の御利益を求める。中でも、寿を希求し、道教最大の目的は、不老長生の仙人になることである。
「杜子春伝」では、ここの段落で、道教に関わる事物が数多く出てくる。「華山」は道教の聖山、「黄冠絳帔」は道士の衣裳、「嘯」は道教の修行の一つ、「鸞鶴」は仙人の乗り物、「薬炉」は仙薬を精錬する溶鉱炉、「玉女」は仙女、「青龍白虎」はそれぞれ東方の神と西方の神で、道教の錬丹術では、それぞれ水銀と鉛を象徴する。
道士と仙人
「杜子春伝」の老人は道士であって、仙人ではない。道士は、仙人になるための修行を積んでいる者をいう。
道士は、瞑想・呼吸法・辟穀法・道引などの修行をし、不老長寿の仙薬(金丹)を造る。
仙人には等級があり、高い次元の仙人「飛仙」となるには、身体を軽くするために丹薬の服用が不可欠とされた。
古代の中国人は、本気で仙人になろうとした。秦の始皇帝は、東海の神山に仙薬を求めて徐福を派遣した。晋・葛洪の『抱朴子』は、仙人になるための指南書である。仙薬の調合の仕方を理論的・科学的に記述している。
錬丹術
錬丹とは、不老不死の金丹の製造のことをいう。唐代は、『易』の八卦や陰陽五行思想と結びついた錬丹術が盛行した。科学的な物質合成と宗教的、形而上学的な概念を結びつけたものである。
錬丹術は、いろいろな鉱物を強い火力で溶かし合わせるものであるが、中でも水銀が重要であった。水銀は、鉱物でありながら水のように流動する謎めいた物質である。赤い丹砂(硫化水銀)から精製されるが、塩素や酸素と化合して、白にも黒にも変化する。つまり、水銀は形の上でも、色の上でも変化をする物質変成の象徴であり、これを体内に取り込むことによって人体を変化させることができると考えたのである。
ちなみに、道教を信奉した唐王朝では、歴代皇帝の多くが水銀中毒で命を落としている。
幻の試練
殺された杜子春
女になった杜子春
仙人失格
杜子春と老人
老人(実は道士)が、三度大金を与えて、杜子春に俗世の事を全うさせたのは、そうして恩を売ることによって、杜子春に仙薬造りの手伝いをさせるためであった。
では、杜子春が幻の試練を受けている間、老人はどこで何をしていたのだろうか。
老人は、杜子春の目の前で、金丹の精錬に励んでいたのである。
金丹を完成させるには、技術と精神が必要とされる。
技術とは、鉱物に薬品を配合して強い火力で金丹を造ることであり、これは老人の担当であった。
精神とは、精神的修練をすること、すなわち世俗の七情(喜・怒・哀・懼・悪・慾・愛)を超越することであり、これは杜子春の担当であった。
老人は、杜子春に作業を分担させて金丹を錬り上げようとしたが、杜子春が最後の関門でしくじって声を出してしまったので、金丹造りは失敗に終わったのである。
杜子春が声を出した直後、大火事になるのは、金丹を造る溶鉱炉が爆発したことを意味する。そして、老人が小刀で鉄柱から削り落としていたのは、金丹になり損ねた金属のかすである。
陰陽と男女
錬丹には、主に水銀と鉛を用いる。
陰陽思想では、水銀は陰、鉛は陽である。水銀と鉛を溶け合わせるので、出来上がった金丹は、陰と陽の結合体となる。
また、陰陽思想では、女は陰、男は陽である。したがって、金丹は陰と陽の結合体であり、同時に、男と女の結合体でもある。
幻の試練の中で、もともと男であった杜子春が、死後に女に生まれ変わるのは、まさにそのためである。杜子春は、陰と陽、男と女の双方の性質を備えた両性具有の存在であった。
したがって、幻の試練を受けていた時の杜子春の身体は、今まさに造られつつあった金丹そのものを象徴しているのである。
道教・仏教・儒教
「杜子春伝」の中心的思想は道教であるが、仏教と儒教も混在している。
道教的要素については、すでに上で述べた。
閻魔大王が出てきたり、地獄が登場したり、輪廻で生まれ変わったりというプロットは、言うまでもなく仏教によるものである。
また、杜子春の幻の試練そのものも、実は、釈迦の修行物語を真似たものである。
『大唐西域記』巻八の「魔掲陁国」の条に、「釈迦が菩提樹の下に座って瞑想し、悟りを開こうとすると、魔王が邪魔をして襲いかかる。神々を集めて魔軍を結成して攻撃し、雷雨を降らせ、大火を浴びせた。釈迦が悟りを開くと、魔軍の武器は蓮華に変じ、魔軍は恐れをなして退散した」云々という記述がある。
一方、儒教的色彩が見えるのは、杜子春が大金を得て俗世のことを為し遂げる場面である。
杜子春は、「吾、此れを得れば、人間の事以て立つべし。孤孀も以て衣食せしむべく、名教に於いて復た円かならん」と述べている。
「名教」とは、儒教を指す。杜子春が三度目の大金で行ったことは、儒教の人倫道徳上良しとされることである。血縁関係のある親族の面倒をみることは、儒教の教えの一つであり、「修身・斉家・治国・平天下」における「斉家」に当たる。
中国では、唐代にすでに儒・道・仏の三教が互いに対立したり、融合したりして影響を与え合い、思想宗教は渾然としていた。
「杜子春伝」の中で、三教が混在しているのは、そうした当時の社会状況を反映したものである。
芥川龍之介「杜子春」
芥川龍之介(1892~1927)は、唐代伝奇「杜子春伝」を改編して、小説「杜子春」を書いている。
芥川龍之介の「杜子春」全文は、以下のサイト参照。
ここで取り上げたいのは、第五章、第六章である。
第五章の後半では、死んで地獄(畜生道)に落ちて、馬に生まれ変わった父母が閻魔大王の前に引っ立てられ鞭打たれる。母親の声を聞いて杜子春が目を開けると、瀕死の馬が倒れて自分を悲しげに見ている。杜子春は、とうとう鉄冠子の戒めを忘れて、馬に駆け寄り、「お母さん」と一声叫ぶ。
そして、以下は、第六章(最終章)の全文である。
「杜子春伝」と「杜子春」
芥川龍之介の「杜子春」は、唐代伝奇「杜子春伝」の翻案である。
翻案とは、「小説・戯曲などで、既存の作品を原案・原作として、新たに別の作品に作り替えること」であるが、芥川の場合、何処を如何にして作り替えたのであろうか。
以下、便宜上、唐代伝奇「杜子春伝」を「伝奇」、芥川龍之介「杜子春」を「芥川」と略称する。
「芥川」では、時代が南北朝末期から唐代に、季節が冬から春に、場所が長安から洛陽に、道教の聖地が華山から峨眉山に書き替えられ、また老人の正体も道士から仙人の左慈(号は鉄冠子)になるなど、かなり多くの設定や小道具を変えているが、物語の大筋は変わっていない。
しかしながら、「芥川」の最終章に至って、両者が、文学作品として本質的、根本的に大きく異なることが明らかになる。
作品のテーマ
作品のテーマ、そして、それが最も凝縮されているキー・フレーズを比較してみると、以下のようになる。
【伝奇】
作品は、仙道の修行がいかに困難であるかを説いている。
テーマは、「仙人になること」である。
キー・フレーズは、道士のセリフで、「仙才の得難きや」である。
仙才は、仙人になれる才能・素質のことをいう。
前掲の『抱朴子』の「対俗篇」に、「仙道は成ること遅く、禁忌する所多し。自ら超世の志、強力の才無くんば、之を守ること能わず」とあるように、仙道を成すには、世を超越する強靱な意志と才能が必要とされる。
「仙道を成す」とは、仙人となって永遠の命を得ること、有限の俗界から無限の仙界へと存在のステージを上げることである。そのためには、世俗のこと一切、人の情の全てを超越しなければならない。
杜子春は、仙道の修行に失敗し「其の誓いを忘れしを愧じ」て去る。
仙人失格は、杜子春にとって、取り返しのつかない挫折であった。
【芥川】
作品は、この世の中で人間がどう生きるべきかを説いている。
テーマは、「人間として生きること」である。
キー・ワードは、杜子春のセリフで、「人間らしい、正直な暮しをするつもり」である。
人である以上、人の世で人間らしく生きることが、何よりも価値あることであるとし、仙人になろうとすることは、妄想・野望として、否定的に書かれている。
杜子春は、仙人になれなかったことを「反つて嬉しい気がする」と言う。
仙人失格は、杜子春にとって、新たな明るい人生への転機であった。
杜子春の人物形象
【伝奇】
杜子春は、もともと遊び呆けて資産を食いつぶした放蕩者である。
老人は、そうしたダメ男の杜子春を「仙才」のある男と見込んだ。
真面目で立派な人間よりも、杜子春のように、ずぼらで成り行き任せで、世俗の臭みのない人間、つまり儒家的な意味では望ましくない人間の方が、仙才があるとされた。
社会的常識、つまり俗世間の価値基準ではむしろダメ人間の方が、無欲、無頓着で、富や名誉に執着がなく、超俗的素質があるとされたのである。
ところが、結局、「愛」を超越することができず、仙人失格となった。
物語の中で、杜子春は「敗北者」である。
【芥川】
杜子春の人物形象は、基本的には「伝奇」と同じで、もともとはダメ男であった。
ところが、最後に「愛」に目覚め、人として生きることの意味を悟り、人間不信に陥り厭世的であった杜子春は、真面目人間になる決意をし、精神的に立ち直る。
物語の中で、杜子春は「更生者」である。
老人の目的
【伝奇】
老人は、仙薬を練り上げようとしている道士である。
金丹を精錬する上で、精神面での役割を分担させるために杜子春を必要とした。そのために、杜子春に幻の試練を与えて、老人の技術面での作業と合わせて、仙薬を完成させようとした。
老人は、杜子春を「利用」したかったのである。
【芥川】
「伝奇」の老人に当たる鉄冠子は、やはり幻の試練を与えた。
ところが、最後に「もしお前が黙つてゐたら、おれは即座にお前の命を絶つてしまはうと思つてゐたのだ」と言う。
幻の試練は、実は、仙人になるための修行でも何でもなく、杜子春に愛の大切さを教え、人間らしさを取り戻させるための手段であった。
鉄冠子は、杜子春を「教育」したかったのである。
「愛」の意味
【伝奇】
「伝奇」で杜子春が忘却できなかったのは「愛」であった。
子供が殺されるのを見て、とうとう「噫(ああ)」と声を上げてしまう。
ここで言う「愛」は、肉親に対して、とりわけ母親が子供に対して抱く盲目的な、どうしても断ち切ることのできない宿命的な、絶対的な愛執の念である。
七情の中で最も断ちがたい「愛」さえも断ち切れ、忘却せよ、というのが、老人の杜子春に対する要求だった。
「愛」は、最大の障害物とされているのである。
【芥川】
「芥川」は、「伝奇」とちょうど逆で、子の母に対する「愛」である。
馬にされて鞭打たれている母親を見て「お母さん」と声を上げてしまう。
幻の試練の中で杜子春が発した一言によって、人間にとって何が大切か、という問いかけに答を与えている。
「愛」は、人の世で最も価値あるものとされているのである。
文学ジャンル
【伝奇】
「伝奇」は、道教に基づく説話文学である。
したがって、宗教的色彩が強い。
【芥川】
「芥川」は、ヒューマニズムに基づく児童文学である。
したがって、教育的色彩が強い。
「芥川」は、大人の知識人を対象とした説話文学を、少年少女を対象とした児童文学として書き改めている。
子供の頭が割れて血が飛び散るシーンは、年少者に読ませるにはあまりに残酷なので、教育的配慮からプロットを書き換えている。
物語は、倫理的に美しい童話に仕立てられ、子供向けの教訓を盛り込んだハッピーエンドで終わる。
杜子春は、家と畑を与えられ、「今頃は丁度家のまはりに、桃の花が一面に咲いてゐるだらう」という鉄冠子の牧歌的なセリフで幕を閉じる。
これは、「真面目に生きれば必ず明るい未来がある」というメッセージであり、「金持ちになったり、仙人になったりという特別なことを追い求める必要はない。平凡な暮らしの中にこそ、真の幸せがあるのだ」という価値観の提示でもある。
以上のように、芥川龍之介の「杜子春」は、物語の大筋は、唐代伝奇の「杜子春伝」とほぼ同じで、細かいプロットもおおよそ原作に沿っているが、最後の章に至って、両者の文学的傾向がまったく違う方向を向いていることが明白になる。
但し、これはあくまで両者の違いを言うものであり、優劣を論じるものではない。児童文学が、文学として価値が低いとは言えない。
芥川は、漢籍に精通していた。原作のテーマを読み違えて子供っぽくしてしまったわけではない。原作のテーマは百も承知で書き換えをしている。
とりわけ最後の部分では、道徳的で前向きな生き方を促すメッセージが込められているが、これは儒家的な価値観に沿ったものである。
江戸時代に朱子学が官学となって以来、明治・大正時代における学童の道徳教育では、儒家の教えを規範とするところが多い。芥川の作品には、こうした時代背景も少なからず反映されている。
そして、今日では、小中学校の国語教科書にしばしば採録され、学芸会や文化祭での出し物にもなっている。
かくして、杜子春の物語は、印度から中国へ、そして中国から海を渡って日本へと伝わるにつれ、西域の民間伝承から唐代の伝奇小説へ、そして近代日本の文豪芥川の児童文学へと、長い歳月を経て、ダイナミックに変貌を遂げてきたのである。