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【中国語】アニメで楽しむ「桃花源記」

中国古代、東晋の陶淵明に「桃花源記」という文章があります。

「桃花源記」は、漢文教材にもなっているので、日本人にも馴染み深い作品です。

漁夫がふと迷い込んだ別世界「桃源郷」は、東洋の理想郷(ユートピア)と呼ばれています。

「桃花源記」は、通常、田園詩人・陶淵明の思想を反映した文学作品として読まれています。

しかし、実は、この文章は、陶淵明の創作によるものではなく、古代中国の民間信仰に基づいた異次元の世界の説話です。

そこには、宗教的、思想的、歴史的な背景があり、とても複雑で奥深い作品です。

↓↓↓ 詳しくは、こちらの記事をご参照ください。


今回は、そうした学術的な議論はさておいて、不思議な理想郷を描いた物語として、アニメで楽しんでみましょう。

まず、「桃花源記」のあらすじをご紹介します。

 晋の太元年間、武陵の漁師が川で漁をしていて道に迷ってしまった。ふと桃の林に出逢った。桃の花があたり一面に乱れ舞う光景を不思議に思い、更に川を上って行った。すると桃の林は水源の所で尽き、そこに山があった。山には小さな洞窟があり、中から光が射している。漁師はそこで舟を乗り捨て、洞窟に入っていった。
 初めのうちはとても狭く、しばらく進むと、急にパッと目の前が開けた。そこには広々とした美しい田園風景があった。人々は野良仕事に汗を流している。男も女も俗世間の人と同じ服装をしている。老人も子供も皆のんびりと楽しそうだ。
 ある村人が漁師を家に招いてもてなした。このことを聞いた村の人々が集まってきた。村人の話によると、彼らの祖先が秦の始皇帝の時代の戦乱を避けてこの土地にやって来て、それ以来一歩もここを出たことがないとのこと。彼らは、漢という時代があったことを知らず、魏晋のことなどもちろん知らない。漁師が俗世間のことをいろいろ語って聞かせると、皆深いため息をついた。他の村人たちも漁師を自分の家に招き、酒や食事でもてなした。
 こうして漁師は数日間滞在して、いとまごいを告げた。桃源郷の人たちは、漁師に向かって、「どうか俗世間の人に我々のことを話さないでください」と言った。
 やがて漁師はそこを出て、自分の乗ってきた舟を見つけ、道に目印を付けながら帰った。町に戻った漁師は、郡の長官の所へ行き、かくかくしかじかのことがあったと話してしまった。長官は人を派遣して漁師の目印を頼りに捜させたが、ついに見つけることはできなかった。その後、その地を訪れた者はなかった。

記事の末尾に「桃花源記」全文(原文、書き下し文、現代日本語訳)を載せてありますので、ご参照ください。

さて、以下の3つの動画は、それぞれ趣向が異なります。
ご興味のあるものでお楽しみください。

1 原文+ピンイン

原文にピンイン(発音表記)が付いています。
中国語の発音練習に活用できるかもしれません。


2 原文+アニメーション

原作を忠実に再現したアニメです。
原文のままの字幕が付いています。


3 現代中国語+アニメーション

現代中国語によるアニメです。
伝統的な切り絵や影絵などを使っていて、芸術的な風趣があります。
原作とはかなり異なる脚色なので、まるで別の物語のようです。
字幕がないので、中国語の教材としては上級者向けになります。



【付録】「桃花源記」全文(原文+書き下し文+現代日本語訳)

原文:
 晋太元中、武陵人捕魚為業。縁渓行、忘路之遠近。忽逢桃花林、夾岸数百歩、中無雑樹、芳草鮮美、落英繽紛。漁人甚異之、復前行、欲窮其林。林尽水源、便得一山。山有小口、髣髴若有光。便捨船従口入。
 初極狭、纔通人。復行数十歩、豁然開朗。土地平曠、屋舎儼然、有良田美池桑竹之属。阡陌交通、鶏犬相聞。其中往来種作、男女衣著、悉如外人。黄髪垂髫、並怡然自楽。
 見漁人、乃大驚、問所従来、具答之。便要還家、設酒殺鶏作食。村中聞有此人、咸来問訊。自云、先世避秦時乱、率妻子邑人来此絶境、不復出焉、遂与外人間隔。問今是何世。乃不知有漢、無論魏晋。此人一一為具言所聞、皆嘆惋。餘人各復延至其家、皆出酒食。停数日、辞去。此中人語云、不足為外人道也。
 既出、得其船、便扶向路、処処誌之。及郡下、詣太守、説如此。太守即遣人随其往、尋向所誌、遂迷不復得路。
 南陽劉子驥、高尚士也。聞之、欣然規往、未果、尋病終。後遂無問津者。 

書き下し文:
 晋の太元中、武陵(ぶりょう)の人 魚を捕らうるを業(ぎょう)と為す。渓(たに)に縁(そ)うて行き、路(みち)の遠近を忘る。忽(たちま)ち桃花の林に逢い、岸を夾みて数百歩、中に雑樹無く、芳草鮮美、落英繽紛(ひんぷん)たり。漁人甚だ之を異(あや)しみ、復(ま)た前(すす)み行きて、其の林を窮(きわ)めんと欲す。林は水源に尽き、便(すなわ)ち一山を得たり。山に小口有り、髣髴(ほうふつ)として光有が若(ごと)し。便ち船を捨て口より入る。
 初めは極めて狹く、纔(わず)かに人を通ず。復た行くこと数十歩、豁然(かつぜん)として開朗なり。土地は平曠(へいこう)、屋舍は儼然(げんぜん)として、良田美池桑竹の属(たぐい)有り。阡陌(せんぱく)交(こもご)も通じ、鶏犬(けいけん)相聞こゆ。 其の中に往来種作(しゅさく)し、男女の衣著(いちゃく)は、悉(ことごと)く外人の如し。黄髪垂髫(すいちょう)、並びに怡然(いぜん)として自ら楽しめり。
 漁人を見て、乃ち大いに驚き、従(よ)りて来る所を問う。具(つぶさ)に之に答う。便ち要(むか)えて家に還(かえ)り、酒を設け鶏を殺して食を作る。村中此の人有るを聞き、咸(みな)来りて問訊(もんじん)す。自ら云(い)う、「先世 秦時の乱を避け、妻子邑人(ゆうじん)を率いて此の絶境に来りて、復た出でず。遂に外人と間隔す」と。今は是れ何の世なるかと問う。乃ち漢有るを知らず、魏晋に論無し。此の人一一為(ため)に具に聞く所を言うに、皆嘆惋す。余人各々復た延(まね)いて其の家に至らしめ、皆酒食を出だす。停まること数日、辞して去る。此の中の人語(つ)げて云う、「外人の為に道(い)うに足らざるなり」と。
 既に出で、其の船を得、便ち向(さき)の路に扶(そ)い、処処に之を誌(しる)す。郡下に及び、太守に詣(いた)り、説くこと此くの如し。太守即ち人を遣(や)りて其の往くに随い、向(さき)に誌せし所を尋ねしむるも、遂に迷いて復た路を得ず。
 南陽の劉子驥(りゅうしき)は、高尚の士なり。之を聞き、欣然(きんぜん)として往かんと規(はか)るも、未だ果たさざるに、尋(つ)いで病みて終わる。後遂に津(しん)を問う者無し。

現代日本語訳:
 晋の太元年間のこと、武陵の漁夫が谷川に沿って舟を進めるうちに、どれほどの道のりを来たかわからなくなってしまった。その時、ふと桃の花の咲く林に出逢った。川の両岸数百歩にわたり、すべて桃の木ばかり。芳しい草が色鮮やかに美しく、桃の花びらが辺り一面に乱れ舞っていた。漁夫は大変不思議なことだと思い、更に進み行き、林の先を見極めようとした。林は水源の所で尽き、そこに山があった。山に小さな洞穴があり、中からほのかに光が射している。漁夫はそこで舟を乗り捨て、洞穴の中に入っていった。
 初めのうちはとても狭く、やっと一人が通れるほどであったが、更に数十歩進むと、急にパッと目の前が開けた。そこは広々とした平らな土地で、家屋は整然と建ち並び、肥沃な田畑や美しい池、桑や竹などがあった。あぜ道は縦横に行き交い、鶏や犬の鳴き声が聞こえてくる。その中を行き来して耕作している人々は、男女とも俗世間の人間と全く同じ格好をしていた。老人も子供もみなのんびりとして楽しそうだった。
 ある村人が漁夫を見てたいそう驚いて、どこから来たのかと尋ねた。漁夫はそれに詳しく答えた。すると村人は漁夫を家に招いて、酒を勧め鶏を割いてもてなした。こんな人がやって来たと聞いて、村中の人が集まってきて、あれこれと尋ねた。村人が言うには、自分たちの祖先が秦の時代の戦乱を避けて、妻子や仲間を連れてこの人里離れた土地に来て、それ以来ここを出たことがなく、そのまま外界の人々と隔たってしまったとのこと。そして、今は何という時代なのかと尋ねた。なんと漢という時代があったことさえ知らず、ましてや魏や晋は言うまでもない。漁夫が自分の聞き知っていることを一つ一つ事細かに語って聞かせると、皆深いため息をついた。他の村人たちもそれぞれ漁夫を招いて家に連れていき、酒食を出してもてなした。こうして数日間とどまって、いとまごいをすることになった。ここの人たちは漁夫に「外界の人にはお話にならないでください」と告げた。
 やがて漁夫はここを出て、自分の舟を見つけ、やって来た道に沿って、あちこちに目印を付けた。郡の城下に戻った漁夫は、太守の所へ行き、かくかくしかじかのことがあったと話してしまった。太守はすぐに人を遣って漁夫の後について行かせ、先に付けた印を捜させたが、迷ってしまい、道を見つけることはできなかった。
 南陽の劉子驥は高潔な人物であった。この話を聞いて、喜んで行こうとしたが、目的を果たさぬうちに、まもなく病気で亡くなった。その後はもう誰もそこを訪れようとする者はなかった。

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