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幽霊のお話[中国編]

昔、ある雑誌の企画で「幽霊」をテーマに語ったことがあります。国文学の先生、英文学の先生とご一緒し、それぞれ日本、欧米、中国の幽霊について鼎談の形で話をしました。

本記事は、その鼎談の中からわたしが話した部分のみを抜き取ってアレンジしたものです。

さて、いよいよ夏本番。怪談と言えば夏ですが、なぜなのでしょうか?

そうですね。怖い話でゾッとして涼しくなろうということだと思いますが、やはりお盆の季節だからでしょう。ご先祖様の霊が帰ってくるわけですが、ご先祖様だけならいいのですが、無縁仏とか、怨霊とか、浮かばれない霊も帰ってきますから。ですから、ホラー映画や心霊スポット特集は、だいたい夏ですよね。歌舞伎も「四谷怪談」は夏の演目ですし。

中国でも怪談は夏なのですか?

いえ、中国では夏と怪談が特に結びついているわけではないです。幽霊が出るのも夏が多いというわけではなく、季節に関係なくいつでも出てきます。
明代の『剪灯新話』に「牡丹灯記」という物語があります。女の幽霊が男に取り憑く話ですが、これは元宵節なので冬から春にかけての話なのですが、日本に伝来するとお盆の話にすり替わっている。日本はやっぱり夏、ということなんですね。
ついでに言えば、三遊亭円朝の「牡丹灯籠」になると、カランコロンという下駄の音が印象的ですけど、これもいかにも日本風の翻案ですね。原作では纏足の女性が夜道を歩いているのですから、下駄を履いていることなどあり得ない。(笑)

『怪談牡丹灯籠』

中国の幽霊はどんな風なのでしょうか?

中国の幽霊には、怖いタイプと怖くないタイプがあります。怖いタイプは、恐ろしい形相で、色が黒くて、目が裂けていて、ざんばら髪で裸だったり、いろいろです。怖くないタイプは、こちらがむしろ主流なのですが、普通の人間とまったく同じような姿格好で、全然幽霊らしくないのです。幽霊に出くわしても幽霊だとわからないことがあります。「おまえは誰だ?」「おれは幽霊だ」なんて変な会話もあって、幽霊がわざわざ自分は幽霊だと名乗るんです。(笑)

怪談は歴史的にどのようにして生まれたのでしょうか?

語り物としての怪談はだいぶ後になりますが、書物としての怪談は六朝から始まります。怪談と言うより、怪異小説です。「志怪」と呼んでいます。
六朝以前は儒教の縛りが強かったので、怪異小説のようなものは生まれにくかったのかもしれません。『論語』に「子は怪力乱神を語らず」「鬼神を敬して之を遠ざく」「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」などとあるように、儒教は現世の人間社会だけを問題にする倫理思想ですから、来世のことや超現実的なことは触れずに避けて通るのです。でも、孔子が「怪力乱神」を語るまいとしたのは、裏を返せば、周りにはそういうものを語る人たちがたくさんいたということですけど。(笑)
魏晋では、老荘思想や神仙思想が盛んになって儒教の拘束が緩むと価値観が多様化します。一方、仏教が伝来して、輪廻や来世などが語られるようになり、仏教に伴って印度の民間説話なども入ってきました。印度はもともと幻想的、神秘的、超自然的な事柄を説く文化を持っていますので、当時の中国人には新鮮だっただろうと思います。こうしたさまざまな要因が重なって、この時代に「志怪」が盛行するようになります。

東晋・干宝『捜神記』

「志怪」ではどのようなことが語られているのでしょうか?

「志怪」は、幽霊だけでなく、神仙、妖怪、異類の話とか、仙界遊行や冥土巡りのような別世界の話とか、もろもろの非現実的な奇っ怪な出来事を語っています。「志怪」は「怪を志(しる)す」ですから、怪異の事柄を記録したものということです。どれだけ荒唐無稽でも、建前としてはあくまで事実の記録として書かれています。文学ではなく、歴史の資料として扱われていました。

語り物の怪談はいつ頃からなのでしょうか?

唐代にはお寺で「俗講」という説教があって、そこでは地獄巡りの話などが語られていました。宋代には都市の盛り場で講談が始まるのですが、歴史物や裁判物が中心で、怪談は少なかったようです。庶民としては、話を聴いてスカッと気を晴らしたり溜飲を下げたりしたいわけですから、勧善懲悪とか因果応報とかでハッピーエンドのものが好まれます。わざわざお金を払って怖い思いをするのは御免だということではないでしょうか。(笑)

北宋・張択端「清明上河図」

中国人の考える冥土はどんな場所なのでしょうか?

冥土の捉え方が、仏教が伝来する前と後でまったく違います。仏教が入ってくる前は、「泰山信仰」という土着の信仰があって、実在する泰山に死後の世界があるとされていました。そこには「泰山府君」という主宰者がいます。人が死ぬと冥土の小役人がやってきて泰山へ連行します。地続きの山へ歩いて行くわけですから、いったいどこからが冥界なのか判然としなくなるのですが、いずれにしても地続きということは、あの世とこの世は隣り合わせで断絶感が稀薄なのです。
面白いのは、もともと中国人の冥界の発想自体がこの世のコピーなのです。
中国は古来専制君主制の官僚国家ですから、あの世も同じように泰山府君を頂点とする官僚体制になっています。「府君」は地方長官という意味ですから、あの世は中央に対する地方ということになります。冥土の役人というのがまたいい加減で、賄賂が効いたり、拝み倒すと見逃してくれたり、この世の中国社会をそのまま映し出しているみたいなものです。(笑)
仏教が入ってくるとこれがガラリと変わります。布教のために地獄を語り、仏を信じないと地獄に落ちると説くわけです。仏陀が冥土の主宰者になり、地獄は閻魔大王が統括することになります。泰山府君は身分を剥奪されて、事務官にまで格下げされてしまいます。

泰山府君

幽霊の話に戻りますが、日中の幽霊にイメージの違いはありますか?

ありますね。中国の幽霊の話は、大陸的と言うか、カラッと明るいものが多くて、陰湿なものは少ないです。仏教説話は別として、土着の民間説話に出てくる幽霊は妙に親しみやすいところがあります。間が抜けていたり、情にほだされやすかったり、人間味があります。
日本の場合、幽霊は「うらめしや~」と言って出てきます。阿部正路先生の『日本の幽霊たち』という本がありますが、副題が「怨念の系譜」になっています。出てくるきっかけは決まって恨みや憎しみなわけですけど、中国の場合は必ずしもそうではありません。この世に残してきた子供のことが心配でちょっと様子を見に来たとか、お腹が空いたので墓の供物を失敬しに出てきたとか、もうなんで出てきたのかよくわからない幽霊もいます。(笑)

阿部正路『日本の幽霊たち~怨念の系譜』
竹田晃『中国の幽霊』

怖いタイプの方の幽霊はどんなふうに怖いのでしょうか?

怖いタイプの代表は「僵屍きょうし」です。旅先や遠征先で行き倒れた屍が邪悪な「魄」に操られて人を襲ったり殺したりするものです。歴代の「志怪」に山ほど出てきます。人が他郷で死ぬと、戦死の場合は遺体が打ち捨てられたままになったりしますが、故郷に帰葬する場合でも、引き取られるまでの間は遺体は棺に入れて寺の境内などに放置されますから、長い時間が経つと天然ミイラのようになってしまいます。いずれにしても、無念の死、非業の死を遂げた屍ですから、怪異談が付随しやすくなります。
僵屍説話には、よく見られる共通のパターンがあります。「棺桶から抜け出て無差別に人を襲う」「人に息を吹きかけて殺す」「 逃げる者を追いかけ、抱きつき、牙で噛みつき、爪を食い込ませる」などですが、要するに、怪物のような屍が執拗に人を追いかけて殺すという話です。「中華風ゾンビ」のようなもので、人々から大変恐れられています。

僵屍

一昔前、香港のキョンシー映画が大ブームになりましたが、「キョンシー」は「僵屍」を広東語の発音で読んだものです。カンフーアクションを取り混ぜて、恐ろしいはずのキョンシーがコミカルにアレンジされています。「僵」には、こわばって硬くなるという意味があります。キョンシーが手足の関節を伸ばしたままピョンピョン跳ねるのは死後硬直を表したものです。
キョンシーと並んで、もう一つ怖いのが美女の幽霊です。艶っぽい美女の姿で現れますが、男を誘惑して交わり、男の精気を吸い取って殺害するという怖い幽霊ですので要注意です。

中国では幽霊はどのようにして退治するのでしょうか?

幽霊や妖怪を退治するのはたいてい道士か僧侶の道術やら方術やらという話になっています。「牡丹灯記」は、実は悪霊退治の話です。つまり、魏法師や鉄冠道人がいかにして悪霊の正体を暴いて退治するか、そこにこの物語のウエイトがあります。これは、明代に流行した裁判物の「公案小説」と軌を一にしていて、名裁判官が悪人を裁くというのと、道士が悪霊を退治するというのは同じ図式です。ですから、「牡丹灯記」では、物語の最後に長々と幽霊を裁く判決文が出てきます。日本に入ってくるとスポンと切り落とされていますが。

幽霊の苦手なものとかはあるのでしょうか?

いろいろあります。ドラキュラの十字架に当たるものとしては、道士の御札がそうです。キョンシー映画でも御札を額にピタッと貼って動きを封じるというシーンがあります。

御札を貼られたキョンシー

幽霊は人の息が苦手ともされますが、陰の気の冷たい幽霊は、人の息のような温かい陽の気を吹きかけると、その部分が溶けてしまうというものです。逆に、幽霊の側も同じ手を使って、寝ている人間に「フッ、フッ」と冷たい息を吹きかけて殺すという話もあります。陰と陽が互いに制し合うのです。
ほかには、桃があります。桃には邪気を払い百鬼を制する霊力があるとされています。ですから、厄除けの符は桃の木で作りますし、鬼退治は桃太郎でなくてはなりません。なぜ桃なのかと言えば、春の陽気を蓄えた生命力の象徴であるという理由の他に、「桃」と「逃」が同じ発音なので邪気が逃げていくという語呂合わせでもあります。

桃符

中国の怪異文学でお薦めの作品は何でしょうか?

「志怪」は六朝から清朝までずっと系譜が続きますが、これは当時の人々の発想や信仰を知るには役立つデータベースみたいなものですが、文学作品として読むようなものではありません。
唐代には「伝奇」と呼ばれる小説が誕生します。物語としての展開を備え、描写には潤色が加わり、今日的な意味で初めて「小説」と呼べる作品と言ってよいでしょう。芥川龍之介の「杜子春」や中島敦の「山月記」なども唐代伝奇からの翻案です。
一番お薦めなのは、清の蒲松齢が著した『聊斎志異』です。妖しげな雰囲気の中で怪異と人情の交錯した浪漫の世界が展開されています。とりわけ狐女や花妖など異類の女と人間の男との情愛を描いた作品が、詩情豊かで文学的完成度が高いとされてます。 

清・蒲松齢『聊斎志異』

以上、ざっくりとしたお話になってしまいました。
ご清聴ありがとうございます。🫠


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