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『聊斎志異』「尸変」~追いかけてくる屍

清代の文人蒲松齢ほしょうれいが著した怪異小説『聊斎志異りょうさいしし』500篇は、妖しげな雰囲気の中で、神仙・幽鬼・妖精らが繰り広げる怪異の世界が展開されています。

その中から、僵屍きょうしを語った話「尸変しへん」を読みます。

『聊斎志異』

蔡店村は、陽信県(山東省)の県城から五、六里のところにあった。

村の街道沿いに、老人とその息子が営む宿屋があり、街道を往き来する行商たちの宿になっていた。

ある日の夕暮れ時、四人連れの行商が泊まりに来たが、あいにく空いている部屋がなかった。

近くにほかの宿はないので、四人は何とかして泊めてくれと頼んだ。

老人はある場所を思いついたが、たぶん客はうんと言わないだろうと思って躊躇していたが、彼らが「雨露さえしのげればどこでもいい」と言うので、その場所に案内することにした。

ちょうど息子の嫁が死んだばかりで、息子は棺桶を買いに出てまだ帰ってきていなかった。

嫁の死体は別棟の部屋に置かれたままになっていて、そこなら空いていると言って四人を連れて行った。

部屋に入ると、薄暗い灯りがともり、奥の方に紙の布団で覆われた死体が置かれていた。

行商たちは疲れ切っていたので、横になるとすぐにいびきをかいて寝入ってしまった。

四人のうち一人だけが寝付けずにうとうとしていた。

すると、死体が置かれている寝台からカサコソという音が聞こえてくる。

目を開けてよく見ると、霊前にともした灯りの中で、女の死体が紙の布団をめくって起き上がる姿がはっきりと見えた。

女は寝台から下りると、音もなく手前の方にやってきた。顔は血の気のない土色で、額に白絹の鉢巻きをしている。

寝ている仲間たちの顔に唇を近づけて、一人一人に「ふっ、ふっ、ふっ」と三度ずつ息を吹きかけた。

次は自分の番だ、と男はゾッとして、こっそりと布団を頭からかぶり、息を殺して様子を窺った。

間もなくして女が近づいてきて、同じように「ふっ、ふっ、ふっ」と息をかけてきた。

やがて女が離れていく気配がし、カサコソと音がするので、そっと布団から顔を出して覗いてみると、女は寝台の上に棒のように横たわっていた。

男は恐ろしくなって息を殺し、そっと足を伸ばして仲間たちを蹴ってみたが、みなピクリとも動かない。

もう逃げるしかない、と起き上がって上着を引っ掛けると、また紙の布団がカサコソと鳴ったので、慌てて布団に潜り込み首を縮めた。

また女が近づいてくる気配がして、今度は続けて何度も息を吹きかけてから離れていった。

寝台がミシミシと鳴ったので、女がまた横になったのがわかった。

そこで、男はそっと布団から手を出してはかまを取り、急いで身につけると裸足のまま外に飛び出した。

死体もまた起き上がって追ってきたが、帳から出た時には、男はすでにかんぬきを抜いて外に出ていた。

死体はすぐあとに迫ってきた。

男は走りながら「助けてくれ!」と叫んだが、村人は誰も気づかない。

門を叩いて宿屋の主人を起こそうと思ったが、振り返ると今にも追いつかれそうなので間に合わず、県城へ続く道を必死に走って逃げた。

県城の東まで行くと寺が見え木魚の音が聞こえてきた。

ドンドンと山門を叩いたが、その叩き方が尋常ではなかったので、中にいた僧侶は訝って門を開けてくれなかった。

あっという間に、死体はもう目の前に迫っている。

追い詰められ、見ると境内に大きな白楊の木があったので、その幹の後ろに走り込み、相手が右に回れば左に、左に回れば右にとグルグル回って身を躱した。

死体はますます怒り狂ったが、そのうち疲れてきたのか急にピタリと動きが止まった。

男が汗まみれでハアハア喘ぎながら幹の陰でじっとしていると、突然、死体が幹の向こう側から抱きつくように両腕を伸ばして掴みかかってきた。

男がアッと驚いて、腰を抜かして倒れ込んだため、女の腕は空を切って掴みそこね、樹に抱きついたまま身体をこわばらせて動かなくなった。

僧侶はずっと聞き耳を立てて様子を窺っていたが、物音がしなくなったのでソロリと外に出てみた。

すると、人が白楊の樹の傍らで倒れている。

灯りで照らしてみると、死んでいるかのようだったが、心臓がまだ微かに動いていたので、寺の中に担ぎ込んだ。

明け方になって、男はようやく息を吹き返した。

僧侶が男に湯を与えて何があったのか尋ねると、男は事の顛末をつぶさに話した。

ちょうど夜明けの鐘が鳴り終わり、僧侶が外に出て朝日が射す薄明かりの中で辺りを見回すと、果たして白楊の樹に抱きついて死んでいる女がいる。

僧侶はびっくり仰天して、事件を県知事に報告した。

知事自ら現場に出向き、樹に抱きついた女の手を引き離すよう命じたが、どうしても離れない。

見ると、左右の四本の指が鍵のように曲がり、爪が見えないほどグッサリと幹に食い込んでいた。

数人がかりでようやく死体を樹から引き離すことができた。

指が食い込んだ穴を見ると、まるでのみでえぐったかのようだった。

知事が下役に老人の宿屋を調べに行かせると、宿屋では嫁の死体がなくなり、男の連れが三人とも死んでいるので、上を下への大騒ぎになっていた。

下役が老人に事件のことを伝えると、老人は寺に行って嫁の死体を引き取り、肩に背負って宿屋に戻った。

生き残った男は、泣いて知事に訴えた、
「四人で出たのに一人で帰ることになりました。これこれこんな事があったと事情を話しても、郷里の人たちは誰も信じてはくれないでしょう」

すると知事は、事件を証明する文書を役人に作らせ、路銀を与えて男を郷里に帰らせた。

『聊齋志異圖詠』「尸變」

中国の民間伝承にしばしば現れ、人々が最も恐れる幽霊が「僵屍」です。

僵屍が人を襲ったり、殺したり、祟りをなしたりする話は無数にあり、歴代の志怪小説にも記されています。

「僵」には、① たおれる、② 硬直する、という意味があります。
「屍」は、しかばね、死体の意味で、もとは「尸」と書きました。

つまり、「僵屍」は、家で安らかに死んだのではなく、異郷(旅先や遠征地)で行き倒れ、死後硬直して身体がこわばったままの屍のことです。

昔は、人が他郷で死ぬと、戦死の場合は、多くは遺体が野外に打ち捨てられたままになります。故郷に帰葬する場合も、引き取られるまでの間は遺体は棺に入れて寺の境内などに放置されますから、長い時間が経つと天然ミイラのようになってしまうことがあります。

いずれにしても、無念の死、非業の死を遂げ、きちんと葬儀をしてもらえない屍、成仏できない屍ですから、怪異談が付随しやすくなります。

人が死んで死後硬直が始まる時、そして死後硬直が解ける時、手足が自然に屈伸したり、関節が音を立てたり、目から涙が流れたりすることがあります。また、顔の筋肉が収縮して、瞬きをしたり笑ったりしているように見えることもあります。

こうした実際に起こりうる現象が誤って認識されたり誇張されたりして怪異談が生まれるケースもあります。

また、一説に、「遠征地で大量の戦死者が出て、遺体を故郷に運ぶ人手が足りなくなったので、道士が術を使って死体が自分で歩けるようにした」云々という言い伝えが僵屍の怪異談に繋がったとも言われています。

僵屍が人に危害を加えるのは、「魄」の仕業であるとされています。

古代中国では、人間は精神と肉体の結合体であり、「魂」が精神を司り、「魄」が肉体を司るとされます。

「人の魂は善なるも魄は悪なり、人の魂は霊なるも魄は愚なり」

という言葉があります。

人が死ぬと「魂」は天に昇り、「魄」は地に沈むとされます。

ところが、僵屍は、死んでもまだ「魄」が死体に残ったままの状態になっています。

善であり霊妙である「魂」が抜け出て、悪であり愚昧である「魄」が死体を操っているので、凶暴になったり滑稽であったりするというわけです。

無数に存在する僵屍説話には、幾つかよく見られる共通したパターンがあります。

● 凶悪な形相である。(痩せ形、黒い顔、窪んだ目、鋭い牙、長い爪など)
● 夜間、放置されている棺桶から抜け出て、無差別に人を襲う。
● 人に息を吹きかけて殺す。(死者の陰の気が、生者の陽の気を犯す)
● 逃げる者を追いかけ、抱きつき、牙で噛みつき、爪を食い込ませる。
● 逃げる者は、樹や柱の周りをグルグル回る。

要するに、怪物のように姿を変えた死体が、真夜中、執拗に人を追いかけて殺す、という話です。

いわば「中華風ゾンビ」のようなもので、民間信仰の上で人々から大変恐れられているものです。

さて、1980年代後半、映画界にキョンシーブームが巻き起こりました。

「キョンシー」は、「僵屍」を広東語の発音で読んだものです。

香港映画『霊幻道士』シリーズが次々に大ヒットし、台湾でもこれに倣って『幽幻道士』シリーズが製作され、こちらも大ヒットしました。

カンフーアクションを取り混ぜたりして、恐ろしいキョンシーをコミカルにアレンジした娯楽映画です。

映画のプロットでは、上に挙げた僵屍説話に見られるパターンを多く踏襲しています。

キョンシーが手足の関節を伸ばしたまま両腕を水平に挙げてピョンピョンと跳ねるように動く仕草は、死後硬直を表したものです。

香港映画『霊幻道士』(1985)

キョンシー映画カット集


キョンシー解説動画


ちなみに、キョンシーと並んでもう一つ怖いものが、美女の幽鬼です。

艶っぽくセクシーな美女の姿で人間の男の前に現れ、男を誘惑して交わり、男の精気を吸い取って殺害する、という怖い幽霊です。

香港映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』は、美女の幽霊と青年の怪奇浪漫です。

この映画は『聊斎志異』が原作です。「聶小倩」を改編したとされていますが、原作とはまったく別物のストーリーになっています。

香港映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987)

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