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【老子】「小国寡民」~小さな国土に少ない人口が理想の国家形態であるという話

 老子については、以下の記事をご参照ください。↓↓↓


「小国寡民」とは


老子の考えた理想の国家形態は、
小さな国土に、少ない人口、
すなわち「小国寡民」であった。

民は「無知無欲」で、素朴な原始的生活を送る。
国家は、無数に点在する農村共同体から構成されるが、
共同体同士では、まったく往来がない。

つまり、自給自足の経済を営む農村の集合だ。

為政者は、多くの共同体から成る大国の統治者である。
統治とは言え、「無為」の政治を行っているので、
個々の共同体に対しては、不必要な干渉をしない。

「無為自然」の思想に基づいて提示された政治論であり、
老子独自の国家建設の青写真であった。

老子

『老子』第八十章を読む


「小国寡民」は、『老子』第八十章に登場する。

小国寡民。什伯(じゅうはく)の器有りて用いざらしめ、
民をして死を重んじて遠く徙(うつ)らざらしむ。

小さな国土に少ない住民。各種の道具があっても、それらを使わせない。
人々に死を重んじさせ(命を大切にさせ)、遠くへ移住させない。

舟輿(しゅうよ)有りと雖も、之に乗る所無く、
甲兵有りと雖も、之を陳(つら)ぬる所無し。


舟や車があっても、それらに乗ることはない。
鎧や武器があっても、それらを並べて使うことはない。

民をして復た縄を結びて之を用い、
其の食を甘しとし、其の居に安んじ、
其の俗を楽しましむ。


人々に再び(太古の時代のように)縄の結び目で意志の伝達をさせ、
食事をうまいと思い、家で安らかに暮らし、
昔ながらの風俗習慣を楽しむようにさせる。

隣国相望み、雞犬の声相聞こゆるも、
民老死に至るまで、相往来せず。

隣国がすぐそこに眺められる距離で、鶏や犬の鳴き声も聞こえてくるが、
人々は老いて死ぬまで、互いに往き来することがない。

「小国寡民」は、「無為自然」の政治思想を人間社会における共同体として具現させたものである。

文明の利器は用いず、武器や交通手段は、あっても使わず、
民は、余計な知恵も欲望もなく、あるがままの暮らしに満足している。
他国とは没交渉で、自給自足の原始的、非文明的な生活形態の農村共同体である。

桃源郷の原型

こうした「小国寡民」の構想は、中国的ユートピアの原型として、
陶淵明の「桃花源記」などに影響を与えている。

「桃花源記」に、

阡陌(せんぱく)交(こもご)も通じ、鶏犬相聞こゆ。 其の中に往来種作し、男女の衣著は、悉(ことごと)く外人の如し。黄髪垂髫(すいちょう)、並びに怡然(いぜん)として自ら楽しめり。

あぜ道は縦横に行き交い、鶏や犬の鳴き声が聞こえてくる。その中を行き来して耕作している人々は、男女とも俗世間の人間と全く同じ格好であった。老人も子供も、みなのんびりとして楽しそうだった。

とある農村の描写は、「小国寡民」の共同体そのものである。

政治論としての「小国寡民」


さて、こうした牧歌的な国家形態が、果たして、実現可能なのか、
大いに疑問ではある。

道家も諸子百家の一つである以上、
基本的には、諸侯に献じる政治論であるが、
老子が提示しているのは、政策ではなく、政治理念だ。

老子の思想は、抽象的で、観念的で、わかりにくい。

「道の道(い)うべきは常の道にあらず」とか言われても、
諸侯には、ちんぷんかんぷん、何のことだかわからない。

ところが、第八十章は、やや毛色が異なる。
「小国寡民」の構想は、理想主義的で、実現が難しいとは言え、
いちおう、政策っぽく聞こえる。
老子らしからず、具体的でわかりやすい。

しかし、時は、戦国時代の乱世。
諸侯が求めていたのは「富国強兵」の策だ。
当然ながら、「小国寡民」が採用されることはなかった。

世界史を紐解くと、中国の戦国時代に限らず、
人類史上、「小国寡民」が実現したことはない。

その試みは、稀にあったとしても、
持続的な国家として誕生したことはない。

老子の「小国寡民」の眼目は、文明の否定である。

「道」(タオ)に随順した人の生き方、国の治め方を説き、
仁義礼智、学問教育を重んじる儒家にケチをつけるためには、
徹底的に文明を否定する必要があった。

アーミッシュのような特殊な例を除けば、
今や、人類が文明を全面否定するのは、現実的ではない。

良くも悪くも、人類は、前へ前へと進歩し続けている。
人口は膨張し、月や火星にまで居住地を広げようとしている。

これは、人の性(さが)なのか、
ホモサピエンスのDNA なのか、

人類の未来は、明るいのか、危ういのか、

よくわからなくなってきた。


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