見出し画像

『捜神記』「宋定伯」~マヌケな幽霊

魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「宋定伯」の話を読みます。

「宋定伯」~マヌケな幽霊

南陽の宋定伯そうていはく、年わかき時、夜行きてに逢う。 之に問うに、鬼言う、「我は是れ鬼なり」と。 鬼問う、「なんじは復た誰ぞ」と。 定伯之をあざむきて言う、「我も亦た鬼なり」と。鬼問う、「何れの所に至らんと欲す」と。 答えて曰く、「宛市えんしに至らんと欲す」と。 鬼言う、「我も亦た宛市に至らんと欲す」と。 遂に行くこと数里なり。鬼言う、「歩行ははなはだ遅し。共にたがいに相担うべし、何如いかん」と。 定伯曰く「大いに善し」と。 鬼便すなわち先ず定伯を担うこと数里なり。 鬼言う、「けい太だ重し。た鬼に非ずや」と。 定伯言う、「我は新鬼なり。故に身重きのみ」と。 定伯因りて復た鬼を担うに、鬼ほぼ重さ無し。是くの如きこと再三なり。

南陽郡(河南省)に宋定伯という男がいた。若い頃、夜道を歩いていると、ばったり幽霊に出会った。
宋定伯が、何者かと問うと、幽霊は、「おらは幽霊や」と答えた。
「そう言うきみは誰だ?」と幽霊が問い返すので、宋定伯は幽霊を騙して、「おれも幽霊だ」とウソを答えた。
幽霊が、「きみはどこへ行くんだい?」と聞いた。宋定伯が、「えんの市場へ行くところだ」と答えると、幽霊は、「おらも宛の市場へ行くところさ」と言った。
そこで、2人は連れだって数里の道を歩いた。幽霊が、「歩くんじゃ遅いから、代わる代わる背負っていくのはどうだい?」と言うので、宋定伯は、「そりゃ大いに結構」と賛成した。
そこで、まず幽霊が先に宋定伯を背負って数里ほど歩いた。
幽霊が、「きみ、ずいぶん重いねえ。もしや幽霊じゃないのでは?」と怪しんだ。宋定伯は、「おれ、死んだばかりなんだ。だから重いんだよ」とごまかした。
今度は宋定伯が幽霊を背負うと、幽霊はほとんど重さがなかった。
こうして2人は何度も代わる代わる背負いながら進んだ。

定伯復た言う、「我は新鬼なり。何の畏忌いきする所有るかを知らず」と。 鬼答えて言う、「だ人のつばを喜ばざるのみ」と。 是に於いて共に行くに、道に水に遇う。 定伯鬼をして先ず渡らしめ、之を聴くに、了然りょうぜんとして声音無し。 定伯自ら渡るに、漕漼そうさいとして声を作す。 鬼復た言う、「何を以て声有るかや」と。 定伯曰く、「新たに死し、水を渡るに習わざるが故のみ。吾を怪しむことかれ」と。行きて宛市に至らんと欲し、定伯便ち鬼を担いて肩上にけ、急に之をとらう。 鬼大いに呼び、声咋咋然さくさくぜんとしてくださんことをもとむるも、復た之を聴かず。 ただちに宛市の中に至り、下して地に著くれば、化して一羊と為る。 便ち之を売る。其の変化せんことを恐れ、之に唾す。銭千五百を得て、乃ち去る。当時石崇せきすう言える有り、「定伯鬼を売りて、銭千五を得たり」と。

宋定伯が、「おれ、死んだばかりだから知らないんだけど、幽霊は何が苦手なんだ?」と尋ねた。「人の唾がイヤだねえ」と幽霊が答えた。
こうして道を進むと、途中で川に行き当たった。宋定伯が、幽霊を先に渡らせて耳を澄ますと、まったく水の音がしない。続いて宋定伯が自ら渡ると、ザブザブと水の音が立った。
幽霊が言った、「どうして音がするんだい?」宋定伯は言った、「死んだばかりだから、まだ川を渡るのに慣れてないだけさ。怪しむことないよ」
こうして道を進んでいき、そろそろ宛の市場に着く頃になると、宋定伯は、幽霊を肩に担ぎ上げて、ギュッと捕まえた。幽霊はギャーギャーと大声を上げて「下ろしてくれ!」と頼んだが、宋定伯は知らん顔。そのまままっすぐ行き、宛の市場に到着してから、幽霊を肩から地面に下ろした。
すると、幽霊は化けて一頭の羊になった。そこで、宋定伯は羊を市場で売り飛ばした。また化けて姿を変えないように、羊に「ペッ!」と唾をかけた。宋定伯は、千五百の銭を手にして去って行った。
当時、石崇が、「定伯売鬼、得銭千五」(定伯は幽霊を売り、千五百の銭を手に入れた)と語っていた。

『捜神記』

この「宋定伯」の話は、高校の漢文教材に採録されることもあり、日本でもよく知られています。

原文の「鬼」は「オニ」ではなく「キ」と読みます。「人」(生きている人間)に相対するもの、つまり死んだ人、幽霊のことです。

中国の幽霊は、地域、時代、背景の宗教や民間信仰などによって様々ですが、大きく分ければ、「怖い」タイプと「怖くない」タイプがあります。
「宋定伯」に登場する幽霊は、怖くないタイプの典型的な例です。

怖くないタイプの幽霊は、マヌケで人に騙されたり、情にほだされたり、と「人間的」なところがあって、姿形も生きている人間とまったく同じ格好で現れます。

「宋定伯」の話では、幽霊の重さについて触れています。中国の民間信仰では、幽霊にも新米とベテランがいて、死んだばかりの幽霊は大きくて重く、時間が経つにつれて小さく軽くなる、とされていました。

幽霊には苦手なものがたくさんあります。「宋定伯」の話では、人の唾が苦手とされていますが、これは、唾液の殺菌力によるものです。古来からの生活の知恵で、怪我をすると傷口に唾を付けますが、そのため唾には辟邪の力があると信じられるようになりました。

他の話では、幽霊は、人の息、小便、糞、桃、茱萸、鏡、雄黄、鶏鳴、墨縄などにも弱いとされています。

また、邪悪な幽霊を退治する僧侶、道士、神(鐘馗、関公、包公など)の話もたくさんあります。

「石崇がこう語った」云々という一文が最後に付いていますが、これは話に信憑性を持たせるための常套文句です。志怪小説は、いかに荒唐無稽な話でも、事実を記録したものという建前で書かれています。石崇は西晋の大富豪です。かの有名な石崇が語ったことなのだから、この話は本当の話なのだ、というわけです。

怖いタイプの幽霊については、後日また投稿したいと思います。💀

この記事が参加している募集

#古典がすき

4,044件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?