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風雅な格言集『幽夢影』②~「善無く悪無きは是れ聖人・・・」

善無く悪無きは是れ聖人
善多く悪少なきは是れ賢者
善少なく悪多きは是れ庸人
悪有りて善無きは是れ小人
善有りて悪無きは是れ仙仏


(清・張潮『幽夢影』より)

――善もなく悪もないのは、聖人である。
  善が多くて悪が少ないのは、賢人である。
  善が少なくて悪が多いのは、凡人である。
  悪があって善がないのは、小人である。
  善があって悪がないのは、神仙と仏陀である。


「聖人」について

「聖人」は、儒家思想における理想の人物のことです。
堯、舜、禹、殷の湯王、周の文王、孔子などを指します。

『十八史略』「五帝」に「撃壌歌」の話があります。

帝堯の世、一人の老人が天下太平を謳歌して、こう歌いました。

「日出でて作(たがや)し、日入りて息(いこ)う。
 井を鑿(うが)ちて飲み、田を耕して食らう。
 帝力  我に于(おい)て何をか有らんや。」

「聖人」の治世では、為政者は、民の生活に干渉しません。
民もまた、為政者の存在を意識せずに平和に暮らします。

道家思想にも「聖人」が登場します。
道家の「聖人」は、「道」(タオ)を体得した為政者のことをいい、
「無為自然」の政治を行います。
やはり、為政者は、民の生活に干渉しません。

儒家であれ道家であれ、いずれにしても「聖人」は何もしません。
何もしないのですから、善行も悪行もないわけです。


無善無惡是聖人
善多惡少是賢者
善少惡多是庸人
有惡無善是小人
有善無惡是仙佛

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