清代の文人蒲松齢が著した怪異小説『聊斎志異』500篇は、妖しげな雰囲気の中で、神仙・幽鬼・妖精らが繰り広げる怪異の世界が展開されています。
その中から、僵屍を語った話「尸変」を読みます。
中国の民間伝承にしばしば現れ、人々が最も恐れる幽霊が「僵屍」です。
僵屍が人を襲ったり、殺したり、祟りをなしたりする話は無数にあり、歴代の志怪小説にも記されています。
「僵」には、① 斃れる、② 硬直する、という意味があります。
「屍」は、しかばね、死体の意味で、もとは「尸」と書きました。
つまり、「僵屍」は、家で安らかに死んだのではなく、異郷(旅先や遠征地)で行き倒れ、死後硬直して身体がこわばったままの屍のことです。
昔は、人が他郷で死ぬと、戦死の場合は、多くは遺体が野外に打ち捨てられたままになります。故郷に帰葬する場合も、引き取られるまでの間は遺体は棺に入れて寺の境内などに放置されますから、長い時間が経つと天然ミイラのようになってしまうことがあります。
いずれにしても、無念の死、非業の死を遂げ、きちんと葬儀をしてもらえない屍、成仏できない屍ですから、怪異談が付随しやすくなります。
人が死んで死後硬直が始まる時、そして死後硬直が解ける時、手足が自然に屈伸したり、関節が音を立てたり、目から涙が流れたりすることがあります。また、顔の筋肉が収縮して、瞬きをしたり笑ったりしているように見えることもあります。
こうした実際に起こりうる現象が誤って認識されたり誇張されたりして怪異談が生まれるケースもあります。
また、一説に、「遠征地で大量の戦死者が出て、遺体を故郷に運ぶ人手が足りなくなったので、道士が術を使って死体が自分で歩けるようにした」云々という言い伝えが僵屍の怪異談に繋がったとも言われています。
僵屍が人に危害を加えるのは、「魄」の仕業であるとされています。
古代中国では、人間は精神と肉体の結合体であり、「魂」が精神を司り、「魄」が肉体を司るとされます。
「人の魂は善なるも魄は悪なり、人の魂は霊なるも魄は愚なり」
という言葉があります。
人が死ぬと「魂」は天に昇り、「魄」は地に沈むとされます。
ところが、僵屍は、死んでもまだ「魄」が死体に残ったままの状態になっています。
善であり霊妙である「魂」が抜け出て、悪であり愚昧である「魄」が死体を操っているので、凶暴になったり滑稽であったりするというわけです。
無数に存在する僵屍説話には、幾つかよく見られる共通したパターンがあります。
● 凶悪な形相である。(痩せ形、黒い顔、窪んだ目、鋭い牙、長い爪など)
● 夜間、放置されている棺桶から抜け出て、無差別に人を襲う。
● 人に息を吹きかけて殺す。(死者の陰の気が、生者の陽の気を犯す)
● 逃げる者を追いかけ、抱きつき、牙で噛みつき、爪を食い込ませる。
● 逃げる者は、樹や柱の周りをグルグル回る。
要するに、怪物のように姿を変えた死体が、真夜中、執拗に人を追いかけて殺す、という話です。
いわば「中華風ゾンビ」のようなもので、民間信仰の上で人々から大変恐れられているものです。
さて、1980年代後半、映画界にキョンシーブームが巻き起こりました。
「キョンシー」は、「僵屍」を広東語の発音で読んだものです。
香港映画『霊幻道士』シリーズが次々に大ヒットし、台湾でもこれに倣って『幽幻道士』シリーズが製作され、こちらも大ヒットしました。
カンフーアクションを取り混ぜたりして、恐ろしいキョンシーをコミカルにアレンジした娯楽映画です。
映画のプロットでは、上に挙げた僵屍説話に見られるパターンを多く踏襲しています。
キョンシーが手足の関節を伸ばしたまま両腕を水平に挙げてピョンピョンと跳ねるように動く仕草は、死後硬直を表したものです。
キョンシー映画カット集
キョンシー解説動画
ちなみに、キョンシーと並んでもう一つ怖いものが、美女の幽鬼です。
艶っぽくセクシーな美女の姿で人間の男の前に現れ、男を誘惑して交わり、男の精気を吸い取って殺害する、という怖い幽霊です。
香港映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』は、美女の幽霊と青年の怪奇浪漫です。
この映画は『聊斎志異』が原作です。「聶小倩」を改編したとされていますが、原作とはまったく別物のストーリーになっています。