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【心に響く漢詩】蘇軾「和子由澠池懷舊」~遥かに憶う、兄弟共に歩んだ人生行路

蘇軾

    和子由澠池懷舊   
    子由(しゆう)の澠池(べんち)懐旧(かいきゅう)に和(わ)す
                    北宋・蘇軾(そしょく)
    人生到處知何似
    應似飛鴻踏雪泥
    泥上偶然留指爪
    鴻飛那復計東西
    老僧已死成新塔
    壞壁無由見舊題
    往日崎嶇還記否
    路長人困蹇驢嘶

 人生(じんせい) 到(いた)る処(ところ) 知(し)んぬ何(なに)にか似(に)たる
 応(まさ)に似(に)たるべし 飛鴻(ひこう)の雪泥(せつでい)を踏(ふ)むに
 泥上(でいじょう) 偶然(ぐうぜん) 指爪(しそう)を留(とど)むるも
 鴻(こう)飛(と)ばば 那(なん)ぞ復(ま)た東西(とうざい)を計(はか)らん
 老僧(ろうそう) 已(すで)に死(し)して新塔(しんとう)を成(な)し
 壊壁(かいへき) 旧題(きゅうだい)を見(み)るに由(よし)無(な)し
 往日(おうじつ) 崎嶇(きく)たること 還(な)お記(き)するや否(いな)や
 路(みち)長(なが)く人(ひと)困(つか)れ 蹇驢(けんろ)嘶(いなな)きしを

三蘇圖

 蘇軾(そしょく)、字は子瞻(しせん)、号は東坡居士(とうばこじ)は、宋代随一の詩人です。

 七言律詩「和子由澠池懷舊」は、嘉祐六年(一〇六一)、蘇軾二十六歳の作です。

 鳳翔府(陝西省)の簽判(高等事務官)に任命され、都汴京(べんけい)(河南省開封)に父と弟を残して赴任する際に詠んだ詩です。

 詩題に「和す」とありますが、これは和韻すること、すなわち詩の応酬において、相手の詩と同じ韻で詩を作って贈り返すことです。

 この詩は、弟の蘇轍(そてつ)、字は子由の詩に応えて詠んだ詩です。
 蘇轍の詩は、蘇軾の詩題では、「澠池懷舊」と略記されていますが、正確には「懷澠池寄子瞻兄」(澠池を懐いて子瞻兄に寄す)と題するものです。

 「澠池」は、洛陽の西方にある地名です。
 そこは、蘇軾兄弟が、五年前(嘉祐元年)、父蘇洵(そじゅん)に連れ添われ、科挙の進士の試験を受けるために郷里から都汴京へ上京した際、途中で立ち寄った思い出の地です。

 蘇轍の詩は、その頃のことを回想しながら、これから鳳翔へ赴任する道中この澠池を再びよぎっていく兄の蘇軾に寄せた詩です。当時、汴京から鳳翔へ行くには、必ず澠池を経由しました。

 そして、ここに挙げた蘇軾の詩は、この弟の詩に応えて作ったものです。

 要するに、五年前の事を思い出しながら弟が兄に贈った詩に応えて、兄が弟に贈り返した詩ということです。

人生(じんせい) 到(いた)る処(ところ) 知(し)んぬ何(なに)にか似(に)たる
応(まさ)に似(に)たるべし 飛鴻(ひこう)の雪泥(せつでい)を踏(ふ)むに

――人が一生の間に足跡を残す場所、それはいったい何に似ているだろうか。さながら渡り鳥が雪解けの泥の上に舞い降りたようなものだ。

 「鴻」は、雁に似た渡り鳥。雁よりもやや大型です。
 人生行路の一つ一つの足跡は、渡り鳥が雪泥に残す爪の痕のようなもの、と歌っています。人生のさすらいを渡り鳥の軌跡に喩えています。

泥上(でいじょう) 偶然(ぐうぜん) 指爪(しそう)を留(とど)むるも
鴻(こう)飛(と)ばば 那(なん)ぞ復(ま)た東西(とうざい)を計(はか)らん

――雪泥の上にたまたま爪の痕を残しても、いざ渡り鳥が飛び去ってしまえば、もはやその行方は知りようがない。

 この二句は、この世に残した栄誉も功績も、その人が死んでいなくなってしまえば、いつしか忘れ去られ、跡形もなく消えてしまう、という虚しさ、儚さを表しています。 

老僧(ろうそう) 已(すで)に死(し)して新塔(しんとう)を成(な)し
壊壁(かいへき) 旧題(きゅうだい)を見(み)るに由(よし)無(な)し

――あの時の老僧はもう亡くなって、新しい卒塔婆(そとば)ができている。崩れかけた寺の壁には、わたしたちが書き記した詩を見るよしもない。

 「塔」は、石塔。僧侶が死ぬと火葬にし、遺骨を埋め、土や石を高く積み上げて墓標とします。
 「題」は、訪れた記念として詩文を書き記すこと。蘇軾が五年ぶりに澠池にやってくると、当時出会った老僧はすでに他界していました。その時壁に書き記した詩ももう残っていません。 

往日(おうじつ) 崎嶇(きく)たること 還(な)お記(き)するや否(いな)や
路(みち)長(なが)く人(ひと)困(つか)れ 蹇驢(けんろ)嘶(いなな)きしを

――あの日、山道が険しかったことをまだ覚えているかい。道のりは遠く、わたしたちは疲れ切って、ロバは苦しさにいなないていた。

 尾聯は、弟に昔日の記憶を問いかける言葉で結んでいます。兄弟で歩んできた人生行路への追憶の情を言外ににじませています。

 この詩には、蘇軾自身が付した注記があり、「五年前は、途中で馬が死んでしまい、ロバに乗り換えて澠池にたどり着いた」と書かれています。

 中国では、古来、詩人同士で詩の応酬をします。
 友人同士で、あるいは詩酒の集いの場で、相手の詩に対してそれに応える詩を作るわけですが、その際、単に詩のテーマを相手の詩に合わせるだけでなく、形式も合わせなくてはなりません。

 例えば、相手の詩が五言絶句なら、それに応える詩も五言絶句でなくてはなりません。そして、必ず和韻します。つまり、同じ韻で押韻します。

 蘇軾のこの詩は、和韻の中でも一段高度な次韻になっています。
 次韻とは、押韻において、相手の詩とまったく同じ韻字を、まったく同じ順序で用いることです。

 弟の蘇轍の詩「懷澠池寄子瞻兄」は、次のように歌っています。
      
   相攜話別鄭原上
   共道長途怕雪泥
   歸騎還尋大梁陌
   行人已渡古崤西
   曾爲縣吏民知否
   舊宿僧房壁共題
   遙想獨遊佳味少
   無言騅馬但鳴嘶

相(あい)携(たずさ)えて別(わか)れを話(かた)りし鄭原(ていげん)の上(ほとり)
共(とも)に長途(ちょうと)を道(い)いて雪泥(せつでい)を怕(おそ)る
帰騎(きき) 還(ま)た尋(たず)ぬ 大梁(たいりょう)の陌(はく)
行人(こうじん) 已(すで)に渡(わた)る 古崤(ここう)の西(にし)
曾(かつ)て県吏(けんり)為(た)りしを 民(たみ)は知(し)るや否(いな)や
旧(も)と僧房(そうぼう)に宿(やど)り 壁(かべ)に共(とも)に題(だい)せり
遥(はる)かに想(おも)う 独遊(どくゆう)は佳味(かみ)少(すく)なく
無言(むごん)の騅馬(すいば) 但(た)だ鳴嘶(めいせい)せんことを

 この詩の韻字は、「泥」「西」「題」「嘶」となっています。
 これに応えて作った蘇軾の詩「和子由澠池懷舊」を見ると、これも韻字が同じく「泥」「西」「題」「嘶」となっていて、使用する文字もその順番もぴったりと揃えています。

 次韻の詩を作ることは容易ではありません。脚韻として使える文字が限定されてしまうわけですし、もちろん詩全体が平仄の規則にもきちんと従っていなければなりません。

 そうした制約がある中で、詩情豊かな趣を盛り込みながら相手の詩に応える内容の詩を作って返すというのですから、相当な学識とテクニックが必要になります。

 蘇軾と蘇轍は、兄弟愛がとても強いことで知られています。
 二人はしばしば詩の応酬をしていますが、そのほとんどが次韻の詩です。


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