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蘇東坡の詞「水調歌頭」を読む~千年歌い継がれる明月の歌

    水調歌頭   水調歌頭(すいちょうかとう)
  丙辰中秋、歡飲達旦、大醉、作此篇、兼懷子由
  丙辰(へいしん)の中秋(ちゅうしゅう)、歓飲(かんいん)して旦(あした)
  に達(いた)り、大醉(たいすい)して、此(こ)の篇(へん)を作(つく)り、
  兼(か)ねて子由(しゆう)を懐(おも)う
                        北宋・蘇軾(そしょく)
 明月幾時有 明月(めいげつ) 幾時(いくとき)よりか有(あ)る
 把酒問青天 酒(さけ)を把(と)りて 青天(せいてん)に問(と)う
 不知天上宮闕 知(し)らず 天上(てんじょう)の宮闕(きゅうけつ)
 今夕是何年 今夕(こんせき)は 是(こ)れ何(いず)れの年(とし)なるかを
 我欲乘風歸去 我 風(かぜ)に乗(の)りて帰(かえ)り去(ゆ)かんと欲するも
 又恐瓊樓玉宇 又(また)恐(おそ)る 瓊楼(けいろう)玉宇(ぎょくう)の
 高處不勝寒 高(たか)き処(ところ) 寒(かん)に勝(た)えざらんことを
 起舞弄清影 起(た)ちて舞(ま)い 清影(せいえい)を弄(ろう)すれば
 何似在人閒 人間(じんかん)に在(あ)るに何似(いずれ)ぞ

 轉朱閣 朱閣(しゅかく)に転(てん)じ
 低綺戸 綺戸(きこ)に低(た)れ
 照無眠 眠(ねむ)り無(な)きを照(て)らす
 不應有恨 応(まさ)に恨(うら)みは有(あ)るべからざるに
 何事長向別時圓 何事ぞ 長(とこしえ)に別時に向(おい)て円(まど)かなる
 人有悲歡離合 人(ひと)に悲歓(ひかん)離合(りごう)有(あ)り
 月有陰晴圓缺 月(つき)に陰晴(いんせい)円欠(えんけつ)有(あ)り
 此事古難全 此(こ)の事 古(いにしえ)より全(まった)きこと難(かた)し
 但願人長久 但(た)だ願(ねが)わくは 人の長久(ちょうきゅう)にして
 千里共嬋娟 千里(せんり) 嬋娟(せんけん)を共(とも)にせんことを

 北宋の蘇軾(そしょく)(1036~1101)、字は子瞻(しせん)、号は東坡居士(とうばこじ)。宋代随一の詩人です。

 政治家としては、当時の旧法党に属していました。王安石らの新法に反対したため中央を逐われ、杭州(浙江省)、密州(山東省)、徐州(江蘇省)など、地方の知事を歴任しています。

 後半生は、南の果ての恵州(広東省)、さらに、海を越えて海南島へ流謫の身となりましたが、大陸的な線の太い強靱な精神の持ち主であり、悲哀の気を微塵も漂わせることなく、悠々と達観した人生を送りました。

 蘇軾の詩は、持ち前の巨視的、楽観的な人生哲学に支えられて、理知的でありながら、かつ大らかで軽妙な独特の風格を持っています。

蘇軾

 「水調歌頭」は、詩ではなく、詞(ツー)と呼ばれるものです。宋代に盛行した新しい韻文形式の文学です。日本語では「詩」と音読みが同じなので、現代中国語の発音で「ツー」と呼んでいます。

 もとは、燕楽(酒宴用の音楽)の楽曲に合わせて作られた歌詞でしたが、のちに、音楽から独立して、韻文の一つのジャンルを形成するに至ります。

 いわば、替え歌のようなもので、「菩薩蛮」「西江月」「蝶恋花」など、曲調を示す「詞牌」があり、各詞牌ごとに、字数・押韻・平仄などの規則を定めた「詞譜」があります。詞は、この詞譜に歌詞を填めるようにして作ります。

 「水調歌頭」は、詞牌の一つです。詞牌は曲調を示すだけで、歌詞の内容とは関係がありません。

 歌詞の内容を示すのは、詞牌の下に記された副題(添え書き)です。

丙辰(へいしん)の中秋(ちゅうしゅう)、歓飲(かんいん)して旦(あした)に達(いた)り、大醉(たいすい)して、此(こ)の篇(へん)を作(つく)り、兼(か)ねて子由(しゆう)を懐(おも)う

 「丙辰」は、神宗の煕寧九年(1076)、蘇軾が密州に州知事として滞在していた年です。

 「中秋」(陰暦の八月十五日)の夜、酒宴を催して朝まで歓飲し、弟の轍(字は子由)を懐かしんで歌った、という作品です。  

明月(めいげつ) 幾時(いくとき)よりか有(あ)る
酒(さけ)を把(と)りて 青天(せいてん)に問(と)う

――「明月よ、いつの世から、そうしてそこにおいでなのか」、酒杯を上げて、夜空に向かって問いかける。

 冒頭の二句は、李白の「把酒問月」(酒を把(と)りて月に問う)と題する詩に、

  靑天有月來幾時
  我今停杯一問之
 
 青天(せいてん) 月 有りてより来(この)かた 幾時(いくとき)ぞ  
 我 今 杯(さかずき)を停(とど)めて 一(ひと)たび之に問う

とあるのを踏まえています。  

知(し)らず 天上(てんじょう)の宮闕(きゅうけつ)
今夕(こんせき)は 是(こ)れ何(いず)れの年(とし)なるかを

――はてさて、天上の月の宮殿では、今宵は、いつの年の中秋なのか。

 「天上宮闕」は、天上世界の宮殿。月の宮殿のことをいいます。

 この二句は、天上と地上とでは時間の速度が異なる、という信仰に基づいたものです。古代の神話伝説では、天上の仙界の三日は、地上の人間世界の千年に相当するといいます。

我(われ) 風(かぜ)に乗(の)りて帰(かえ)り去(ゆ)かんと欲(ほっ)するも
又(また)恐(おそ)る 瓊楼(けいろう)玉宇(ぎょくう)の
高(たか)き処(ところ) 寒(かん)に勝(た)えざらんことを

――仙人のごとく、風に乗って、天上界へ帰っていきたいと、ふと思ってはみたものの、月の宮殿は、かくも高い所のこととて、とても寒さに耐えきれまいと気がかりだ。

 「乘風歸去」は、『列子』「黄帝」篇に、「列子 風に乗りて帰る。竟(つい)に知らず、風 我に乗るか、我 風に乗るかを」とあるのに基づきます。

 「瓊」は、美玉。「瓊樓玉宇」は、宝玉のように美しい楼台殿閣のこと。月の宮殿を指します。月の宮殿は「広寒宮」ともいい、冷え冷えとした場所とされます。

起(た)ちて舞(ま)い 清影(せいえい)を弄(ろう)すれば
人間(じんかん)に在(あ)るに何似(いずれ)ぞ

――立ち上がって舞い、月明かりのもと、わが影法師を相手に戯れる。
ああ、なんとも愉快。いっそこのまま人間世界にいる方が、よっぽどいい。

 「淸影」は、月光に映し出された自分の影のこと。
 この句は、李白の「月下獨酌」に、

  我歌月徘徊
  我舞影零亂
 我 歌えば 月 徘徊(はいかい)し
 我 舞えば 影 零乱(れいらん)す

とあるのを踏まえています。

 「人閒」は、人の世、人間世界。仙界に対する世界です。
 「何似」は、「不如」に同じ。比較してみて、(甲は乙に)似ていない、及ばない、という意味です。

 この句は、寒々とした月の世界などに行くよりも、やはり人の世にいる方がましだ、という意味です。

朱閣(しゅかく)に転(てん)じ
綺戸(きこ)に低(た)れ
眠(ねむ)り無(な)きを照(て)らす

――月は、美しい楼閣の上をめぐり、やがて、綺麗な戸口に月光が低く差し込み、眠れぬ人を照らし出す。

 「朱閣」は、朱塗りの美しい楼閣。
 「綺戸」は、絵画・彫刻の装飾を施した戸や窓。
 「無眠」は、眠れぬ人。作者蘇軾自身を指します。

 月の光が低く差し込む、というのは、眠れぬままでいるうちに、いつしか月が沈みかけて、夜明けが近い、という時間の推移を表しています。

応(まさ)に恨(うら)みは有(あ)るべからざるに
何事(なにごと)ぞ 長(とこしえ)に別時(べつじ)に向(おい)て円(まど)かなる

――月が人に恨み心などあるはずもなかろうに、どうしていつも人が別離に悲しんでいる時にかぎって、美しい満月なのだ。

 満月は、円満・団欒の象徴です。しかも、今宵は中秋の夜。中秋は、家族みなで楽しく過ごす節句であるのに、蘇軾は、親兄弟から遠く離れた任地にいます。

 肉親と離ればなれの夜に、月がまん丸い姿を見せるとは、まるで当てつけられているかのようで、なんとも皮肉なものだ、というわけです。

人(ひと)に悲歓(ひかん)離合(りごう)有(あ)り
月(つき)に陰晴(いんせい)円欠(えんけつ)有(あ)り
此(こ)の事(こと) 古(いにしえ)より全(まった)きこと難(かた)し

――人には、悲しみと歓び、別離と聚合があり、月には、曇りと晴れ、満ち欠けがある。古来、人も月も、常に全き姿というのは、なかなか保てないものだ。

 人の別離と聚合を月の満ち欠けに喩えて、この世の道理を述べています。「全」は、人の「歡」と「合」、月の「晴」と「圓」の状態をいいます。

 要するに、何事も満ち足りた状態は保ちにくい、という簡単な道理ですが、それをいかにも理路整然と哲学的に説いてみせています。

但(た)だ願(ねが)わくは 人(ひと)の長久(ちょうきゅう)にして
千里(せんり) 嬋娟(せんけん)を共(とも)にせんことを

――せめて願わくば、わが愛する人が、いつまでも変わらずにいてくれて、たとえ千里の彼方にあろうとも、この美しい月を共に眺めていたいものだ。

 「嬋娟」は、女性の艶やかな美しさをいう言葉ですが、月の別称としても用いられます。

 中秋の夜、今宵は、わが弟、わが家族も、きっと同じ明月を望み見ているにちがいない。愛する人たちが、いつまでも平穏無事に元気でいてほしい。そして、会うことはできなくとも、月を介して心を交わしていたいものだ、という詩人の願いを込めた結びです。

 蘇軾の「水調歌頭」は、古くから人々に愛誦されてきた傑作の一つです。大らかな歌いっぷりの中に艶っぽさも加味されて、いわば詞の二つの流派、「豪放派」と「婉約派」の双方の良さを兼ねたような魅力があります。

 実は、この「水調歌頭」は、中華圏の人なら誰でも知っている、というくらい、よく知られています。蘇軾のオリジナルの歌詞のまま、中国語の演歌として、今日も健在なのです。

 「但願人長久」という曲名で、鄧麗君(テレサ・テン)が歌い、その後、王菲(フェイ・ウオン)ら多くの歌手がカバーしています。

 詞は、もともと歌うためのものですから、不思議ではないのですが、なにしろ千年前の詩人の歌詞です。それを今の人が歌い続けているのですから、なんとも悠久の浪漫を感じさせます。




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