見出し画像

中国怪異小説⑩「劉晨阮肇」~仙界と性交のアナロジー(『幽明録』より)

魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、南朝宋・劉義慶撰『幽明録』に収められている「劉晨阮肇」の話を読みます。


「劉晨阮肇」

漢の明帝の永平五年のこと、せん県(浙江省)の劉晨りゅうしん阮肇げんちょうは、穀皮(紙の原料)を採るため天台山に入ったが、道に迷って帰れなくなってしまった。

十三日が過ぎ、持参した食料もすっかりなくなって餓死寸前になった。

遠くの山を眺めると、山頂に桃の樹があり、たくさんの実がなっている。
ところが、崖は切り立ち谷は深く、登れそうな道はなかった。

そこで、フジやクズのつるをつかんでよじ登り、やっとの思いで山頂に辿り着いた。

桃の実を幾つか食べると、空腹は収まり身体中に力が漲ってきた。

山を下り、川の水をすくって手や口をすすごうとすると、そこへ青々としたカブラの葉が山腹の方から流れてきた。

続いて、お椀が一つ流れてきて、その中に胡麻飯が盛られていた。

劉晨と阮肇は声を揃えて言った、

「どうやら人の住んでいる所から遠くないみたいだぞ」

そう言うと、川に飛び込み、流れに逆らいながら二、三里ほど進み、山を越えると大きな渓谷に出た。

渓谷の川辺には、とてつもなく美しい女が二人いた。

劉晨と阮肇がお椀を持ってやってくるのを見ると、笑いながら言った、
「さっき流してしまったお椀、劉さんと阮さんが持って来てくれたわ」

劉晨も阮肇も女たちと初めて会ったのに、まるで昔からの知り合いのように自分たちの名前を呼ぶので、顔を見合わせて喜んだ。

美女は、「どうしてこんなに遅くなられたのですか」と言った。

そして、美女たちは劉晨と阮肇を家に招いた。

その家は銅の瓦で葺かれていて、南の壁と東の壁の下には各々大きな寝床が置かれていた。どちらも、赤い絹の帳が懸けられ、帳の角に鈴が付いていて金銀の飾りが入り混じっていた。

寝台の傍らには、それぞれ十人の侍女が控えていた。

美女が侍女たちに命じて言った、
「劉さんと阮さんは、険しい山道を歩いて来られたのです。さきほど瓊実を召し上がられましたが、まだお腹が空いてお疲れです。急いでお食事の支度をなさい」

出てきた食事は、胡麻飯、山羊の干肉、牛肉など、どれも素晴らしく美味しかった。

食事が終わると、今度は酒が出された。

一群の女たちがそれぞれ数個の桃の実を持って現れ、笑いながら言った、
「お婿さんがいらしたのね、おめでとうございます」

宴たけなわになると音楽が奏でられた。

劉晨と阮肇は、嬉しいやら怖いやら、何とも言いようのない気持ちだった。

日が暮れると、劉晨と阮肇はそれぞれ寝床に寝かされ、一晩を過ごした。

二人の美女が床を共にした。その話し方は清らかで柔らかく、この世の憂いを忘れさせてくれるかのようだった。

十日が過ぎて、劉晨と阮肇が家に帰りたいと言うと、美女は言った、
「あなたがここにいらしたのは、前世からの福運が引き寄せたのです。
どうして帰りたいなどとおっしゃるのですか」

二人はそのまま半年の間留まった。

暖かな気候も生い茂る草木も常春のようで、百鳥が鳴き交わす中、ますます家が恋しくなり、どうしても帰りたいと言い出した。

美女は言った、
罪業ざいごうに引きずられているのですね。どうすることもできませんわ」

そこで、美女たちは以前来た侍女たちを呼び寄せた。

三、四十人ほど集まって、音楽を演奏し、みなで劉晨と阮肇を見送り、帰り道を指し示した。

故郷に帰ると、親戚も友人も死に絶えていて、村の家々はすっかり変わってしまっていた。

問い尋ねて回ると、七代目の子孫だという人がみつかり、自分が伝え聞いていることをこう話した、
「昔、ご先祖さまが山に入って、道に迷って帰って来られなかったそうな」

晋の太元八年
劉晨と阮肇はまたふらっと出かけたまま姿をくらました。
どこへ行ったのか誰も分からなかった。

「劉晨阮肇」の話は、わたしたちのよく知るところでは、「桃源郷」の話に似ています。

「桃源郷」は、人間界なのか仙界なのか、一概に論じられないところがありますが、「劉晨阮肇」の話では、男たちが迷い込んだ場所は仙境、出逢ったのは仙女です。

「袁相根碩」

志怪小説は、通常、一つの書物に数十、数百の話が収められていて、多くの類話が存在します。

「劉晨阮肇」の話は『幽明録』に載っていますが、これと発想もプロットも同じような話が『捜神後記』にもあります。

会稽剡県の袁相えんしょう根碩こんせきは、狩猟に出て山奥まで入った。六、七頭の山羊の群れを見つけて追いかけると、狭く険しい石橋があった。山羊が橋を渡ったので二人も橋を渡ると、切り立った崖にぶつかった。崖は真っ赤な壁のように聳え立ち、崖の上からは水が激しく流れ落ちていた。
前方に大きな門のような洞窟があった。二人が中へ入ると、そこは平坦で広々とした土地で、草木が芳しい香を放っていた。小さな家があり、二人の少女が住んでいた。歳はどちらも十五、六歳ほどで、容姿は麗しく、青い衣服を着ていた。一人は瑩珠、もう一人は  □□(文字不明)と言った。少女たちは二人を見て喜び、「ずっとお待ちしておりました」と言った。そして、そのまま二人と夫婦になった。
ある日、少女たちは「お婿さんができた子がいるので、お祝いに参ります」と言って出かけ、切り立った岩肌を履き物の音を立てながら登って行った。
袁相と根碩は、家が恋しくなり、こっそりと家に帰ろうとした。少女たちは追いかけて来たが、二人の気持ちを知ると、「お帰りになりたければどうぞお帰りください」と言った。腕につけていた小さな袋を二人に贈り、「絶対に開けてはいけませんよ」と言った。こうして二人は家に帰った。
帰った後のある日、根碩が外出した時、家族が袋を開けてしまった。袋は蓮の花のように何層にも重なっていて、五層目まで開くと、中から青い小鳥が飛び出した。根碩は家に戻ってこのことを知ると、がっかりして悲しんだ。
のち、根碩が田を耕している時、家の者がいつものように飯を届けに行くと、田の中で立ったまま動かなかった。近寄って見ると、蝉の抜け殻のようになっていた。

「袁相根碩」の話は、二人の男が山中で道に迷って二人の仙女に出逢うところ、「前から待っていた」と言われて男女関係を結ぶところ、最後は望郷の念に駆られて家に帰るところなど、「劉晨阮肇」の話と同じプロットです。

また、洞窟を入って別世界に出るところは、陶淵明の「桃花源記」で漁師が「桃源郷」に迷い込むルートと同じ設定になっています。

最後に蝉の抜け殻のようになったのは、「蝉蛻せんだつ」と称し、俗世に肉体を残して魂が仙界に昇っていくことを言います。

仙界遊行譚

志怪小説には、数多くの「仙界遊行譚」すなわち、人が仙界に迷い込む話があります。

それらには、幾つかの共通したパターンがあり、同じようなプロットが沢山見つかります。

1.仙界は山奥にある。
「桃源郷」の類は、すべて人里離れた山奥に設定されます。東海の「三神山」(蓬莱・方丈・瀛洲)のように、海上の島である場合もありますが、その場合も、「島」と言うより、海を隔てた「山」として意識されています。

2.偶然に迷い込む。
仙界遊行に至る契機は、ごく普通の庶民(漁師・狩人・農民)が、たまたま迷い込むことになっています。意図的に仙界を探そうとして訪れるのではありません。いつも同じ場所で漁をしたり薬草を採ったりしている人たちですから、道に迷うはずがないのに、ふと迷い込みます。

3.穴から入っていく。
洞窟の穴が仙界への通路になっています。狭いトンネルを抜けて広々とした場所に至ります。「桃源郷」のように横穴ではなく、縦穴や井戸の場合もあります。『捜神後記』の「崇高山の大穴」の話では、男が穴に落ちて洞穴の中を進むと、地中にある仙人の館に辿り着きます。また、『博異志』の「梯仙国」の話では、男が井戸を掘っていたら急に落ち込み、地下の仙郷の山頂に至ります。

4.仙女と性交・結婚する。
仙界に迷い込んだ男は、仙女と性的交渉を持ったり結婚したりします。
詳しくは後述します。

5.接待・贈与を受ける。
仙界に迷い込んだ者は、何らかの接待や贈与を受けます。飲食でもてなされたり、仙薬を与えられたり、道術を授けられたりします。贈り物は、多くの場合、袋や箱を開けてはならないという禁約付きで贈られます。

6.帰郷すると再訪できない。
仙界に迷い込んだ人間は、しばらくすると望郷の念に駆られて俗世に帰りますが、仙界をもう一度訪ねようとしても戻ることができません。こうして、 元来、俗世と隔絶された幻の世界であることを印象付けます。

7.時間のズレが生じている。
俗世に帰ると、何世代も後の世になっていたという時間のズレが生じます。
詳しくは後述します。

仙界と桃

「桃花源記」では、桃花が繽紛と乱れ舞う中を漁師が川を遡り「桃源郷」に迷い込みます。

「劉晨阮肇」の話では、餓えて疲れた劉晨と阮肇が、桃の実を食べて元気を回復します。

出逢った仙女は、これを「瓊実」と言い換えています。美しい宝玉のような果実という意味で、桃を表す美称です。

桃には、邪気を払い、百鬼を制する霊力があるとされています。ですから、邪気払いのお札は桃の木で作りますし、鬼退治の役は桃太郎でなくてはなりません。

また、生命の萌え出ずる春の陽気を蓄え、沢山の実を実らせるため、生命力と多産を象徴し、『詩経』「桃夭」にあるように、桃は乙女の健康的な美しさと子沢山(子孫繁栄)を表します。

道教系の民間伝説や小説では、桃は不老長生の仙果とされ、仙界のシンボルとなっています。

明代の小説『西遊記』の中でも、西王母の桃畑「蟠桃園」の仙桃の話が出てきます。
玉殿瓊楼の裏手に蟠桃が実を結んでいて、中央部の千二百株は六千年に一度実を結び、食べると不老長生を得られ、奥の千二百株は九千年に一度実を結び、食べると天地日月と寿命を等しくするとされ、これを孫悟空が盗み食いして大暴れするシーンがあります。

道教と仏教

「劉晨阮肇」の話には、道教(神仙思想)の色彩と仏教の色彩が混在しています。

劉晨と阮肇が登った天台山は、元来は仏教の霊山ですが、後漢の頃から道教の聖地にもなっています。

二人が訪れた場所は明らかに仙界として描かれていますが、仙女が話す台詞には、「宿運」「罪業」など仏教用語が入っています。

前世からの「宿運」云々は、二人がこの地を訪れることになったのは前世の善行によるものだという意味であり、現世で積まれた「罪業」云々は、出家者のように世俗のしがらみを断ち切っていないので、俗界に戻らざるをえない運命だという意味です。

そもそも仙人や仙境という発想は道教の産物ですから、仙界遊行譚は、基本的には、どれも道教説話です。

「劉晨阮肇」の話が、全体の枠組みは道教説話でありながら、仏教的要素が混ざっているのは、『幽明録』の撰者劉義慶が仏教徒であるということと関係しているでしょう。

天台山

時間のズレ

「劉晨阮肇」の話では、二人が山に入ったのが漢の永平五年(西暦62年)、仙界から戻って再び姿を消したのが晋の太元八年(西暦383年)ですから、
仙界で半年滞在したら、俗世では約三百年の時間が過ぎていた、ということになります。

時間の進み方が俗界と異なるのは、仙界や天界など別世界の話によく見られる構想です。

これを最も端的に示しているのが、南朝梁の『述異記』に見える「王質」の話です。

王質という樵が道に迷い、山奥の洞窟で碁を打っている二人の仙人に出逢った。斧を置いて、しばらくじっと勝負を観戦していたが、ふと我に返ると、傍らの斧の柄がすっかり朽ち果てていた。山を下りて村に帰ると、知り合いの者は誰一人としていなかった。下界では何十年もの年月が過ぎていた。

「王質」

これは「爛柯説話」(「爛」は朽ちる、「柯」は柄)と呼ばれ、時間のズレを語る話の代表的なものです。

南朝宋の『異苑』 に、

男が洞窟で仙人がサイコロ博打をしているのを見ていて、ふと振り返ると、乗っていた馬が白骨化し、鞍が朽ち果てていた。

とあるのも同類の説話です。

唐代伝奇「枕中記」のように、時間のズレが逆の場合もあります。

不遇を嘆く若者廬生が、宿屋の軒先で道士から枕を借りて昼寝する。すると枕の中へ引き込まれ、夢幻の世界で出世したり挫折したり波瀾万丈の半生を体験する。目を覚ますと、宿屋の主人が蒸していた黄粱がまだ出来上がらないほんのわずかな時間であった。若者は世の道理を悟り、老人に礼を述べて立ち去った。

「枕中記」では、夢幻の世界で体験した数十年間の人生は、現実の世界ではわずか数分間であったということになっています。

時間のズレに関しては、志怪小説の他にも、例えば『西遊記』に、「天上界の一日は下界の一年に当たる」云々という一節があります。

さらに、これは、中国に限らず、世界中の民間説話によく見られるプロットでもあります。

中世フランスの説話「ギンガモール」は、

騎士ギンガモールが白い猪を追って森に迷い込んだ。すると、そこに宮殿があり、美しい乙女に出逢う。その城でしばらく過ごして森を出ると、300年の時間が経過していた。

という話です。

また、日本の民話「浦島太郎」でも、玉手箱を開けると老人になったのは、箱を開けた罰で爺さんになってしまったのではなく、禁約を破ったために、その瞬間に俗世の時間尺度に戻ったからです。

仙界と性交

先ほど桃について触れましたが、桃は、その形状や色合いから、女性の性器を象徴するものです。中国でも日本でも、この認識は古くから民間に広く伝わっています。

したがって、民間説話であれ、小説や戯曲であれ、男女の物語に桃が登場する時には、そうした性的な連想を意識させる目的で登場させていることが多くあります。

仙界遊行譚では、仙界に迷い込んだ俗世の人間が何らかの接待を受けるわけですが、仙女の場合は、性的な接待も含まれます。性欲の満足感を与えられ、さらに、多くの場合、婚姻を結ぶというパターンになります。

中国の民間説話では、仙女や神女との婚姻譚の多くは「押しつけ婚」です。
出逢うといきなり「あなたをずっと待っていた」「あなたはわたしの婿だ」「天帝からあなたに嫁ぐよう命令されている」などと言われ、有無を言わさず結婚させられます。男にとっては青天の霹靂で、嬉しいような怖いような唐突な話です。

「劉晨阮肇」の場合、『幽明録』では、男女の性的行為があったことについて明白に書かれていませんが、まったく同じ話が、梁・呉均撰『続斉諧記』に収められていて、そこでは、「夫婦の道を行う」「仙女と交接(性交)するを得る」など、直接的な表現が用いられています。

仙界遊行譚は、仙界の形態と子宮とのアナロジーから、性的寓意性を持っているとされています。

「桃源郷」の類の仙界は、山の洞窟を入った場所にあります。
「桃花源記」では、

山に小口有り、髣髴ほうふつとして光有るがごとし。便ち船を捨て口より入る。初めは極めて狹く、わずかに人を通ず。復た行くこと数十歩、豁然かつぜんとして開朗なり。

とありますから、トンネル状の山の洞窟を抜け出た場所に「桃源郷」があるように読めますが、実はそうではなく、山の空洞の「中」に別世界が存在しています。

つまり、「桃源郷」は、山の向こう側ではなく、山の内部に存在しているのです。こうした世界を「洞天」と呼んでいます。

道教では、宇宙を巨大な洞窟に見立て、さらに洞窟を人体に見立てます。

確かに、内視鏡で見る人間の体内の映像はまるで洞窟を探検するような感じがしますし、鍾乳洞の中に入っていくと、人体の内部を遊覧しているような錯覚を覚えます。

こうした形態のアナロジーを「桃花源記」に当てはめてみると、「穴に入り、隘路を通ってしばらく行くと急に目の前が広がる」と書かれていますから、これはまさに子宮です。

洞窟=子宮の中に入っていくわけですから、仙界遊行譚は、性交を象徴するものとして解釈されています。

興味深いことに、仙界遊行譚で仙界を訪問するのは、必ず成年男子、つまり性的に「現役」の男性です。夥しい篇数が残されている志怪の中で、老人、子供、女性が迷い込む例はありません。

性的能力を持った男性が絶世の美女の待つ場所を訪れるわけですから、仙界は、男の欲望を満たす快楽の郷であり、仙女は、俗世の女性に求めることのできない美しさと無上の性愛を供給してくれる存在ということになります。

ちなみに、新婚の閨のことを「洞房」と呼びます。そして、習慣としては、新婦が先に洞房の中の寝床に座っていて、新郎が入ってくるのを待ちます。
これも、洞窟と性交がイメージ的に結びついていることを裏付けしていると言ってよいでしょう。

仙界と性交の繋がりは、魏晋の道教における房中術とも関連があります。

房中術は、性交の技のことで、元来、仙人になるための修行の一つでした。

性交は、万物を生み出す行為であり、性の神秘的な力は、古来人類の信仰の対象となっています。

道教はこれを不老長生の術に取り入れ、黄帝は二千人の女性と交わることによって仙人になったなどと言い伝えています。

房中術には、精力の養成方法、媚薬の調合法、性器の改造法、性行為の技術など、性に関わる事柄がすべて含まれます。

例えば、「還精補脳」の法は、性交の奥義を説くものです。
性行為において、男性はみだりに精液(すなわち「精気」)を漏らしてはならないとされ、
「射精をこらえて精液を体内に逆流させて脳髄まで回す。これを一晩に数十回繰り返す。相手は一人ではなく、可能な限り多い方がよろしい」
としています。

また、女性をオルガスムに導くことも重要とされ、
「悦楽の頂点に達した女性の愛液は生命活動に有益な精気がふんだんに含まれているので、それを男根の先端で吸引すべし」
としています。

房中術は、元来、道教における養生、延命、そして不老不死に至るための術でしたが、しだいに享楽本意のみだらな性の饗宴へと堕落していきます。

仙女は、その聖なるイメージが犯され、専ら男の官能的欲望を満たす対象となります。

こうした欲望が文学の形になって顕在化したのが、唐の張鷟ちょうさくの伝奇小説『遊仙窟』です。

張文成が、黄河の上流で道に迷い、神仙の窟で一晩を過ごす。二人の仙女、崔十娘と王五嫂の歓待を受け、互いに詩のやりとりをしながら情を交わし、一夜の歓を尽くす。

という物語です。

『遊仙窟』は、妓楼を美化したもので、四六文の美文調で綴られ、遊戯的、文人趣味的(ペダンチック)な小説です。

「劉晨阮肇」の類の仙界遊行譚をモチーフとして、仙界と妓楼、仙女と妓女をオーバーラップさせています。

『遊仙窟』が従来の仙界遊行譚と大きく異なるのは、迷い込む男が漁師や農民などの庶民ではなく、知識人であることです。

『遊仙窟』の主人公は張文成ですが、文成は張鷟の字ですから、作者自身ということになります。

唐代、妓楼に通ったのは、主に官僚や書生(科挙受験生)です。『遊仙窟』は、そうした知識人たちの妓楼通いを反映させたものですから、男と女が詩のやりとりをして、性欲だけでなく知的欲求も満たすという物語になっています。

仙界の無垢な仙女を俗塵の遊郭まで引きずり降ろした作品という見方もできるかもしれません。

『遊仙窟』

宋代以降、「劉晨阮肇」の話は、盛り場の講釈や芝居の演目として、たびたび改編されています。

宋・羅燁『酔翁談録』に「劉阮遇仙女於天台山」、元の雑劇に「劉晨阮肇悞入桃源雑劇」などの演目が見られます。


関連記事

参考文献


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?