魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「黒衣の客」の話を読みます。
「黒衣の客」~幽霊はいないと言われた幽霊
「黒衣の客」は、実は幽霊でした。
冥土の役所から派遣され、寿命の尽きた人を召し取りに来る幽霊です。
この種の幽霊は「冥吏」と呼ばれる冥界の小役人です。
冥吏に連行される瞬間、それが人間の「死」とされていました。
冥吏は、現世の小役人の体質をそのまま反映して、よく言えば、情に篤く、融通が利く面がありますが、悪く言えば、いい加減で、無節操、無責任な面もあります。
門下生は、必死に拝み倒して死を免れたわけですが、その身代わりで死んだ都督にとっては、とんでもない迷惑です。
さて、魏晋の文人サロンでは、「清談」と呼ばれる高遠な哲理的議論が盛んに行われていましたが、そうした場では、「有鬼論・無鬼論」(幽霊は存在するのか否かという議論)もホットな話題の一つでした。
孔子が「鬼神は敬して之を遠ざく」と言うように、儒教はもともと現世における人間と社会のあり方のみを説く倫理思想です。
魏晋の時代は、その儒教の影響力が低下し、また儒教自体も変質し、さらに後漢中期以降、印度から仏教が伝来したことによって、にわかに幽霊や冥土のことに人々の関心が向くようになります。
仏教は、死後の世界を説く都合で、「幽霊」や「冥界」を創り出し、一方、中国土着の宗教である道教は、人の寿命と現世を永遠に引き延ばすために、「仙人」や「仙界」を創り出しました。
「有鬼論・無鬼論」の盛行には、こうした時代思潮が背景にあります。
冥界や仙界については、後日また順次投稿したいと思います。