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【老子】「無為自然」~やらないということをやるという話

 老子については、以下の記事をご参照ください。↓↓↓


「無為自然」とは


老子は、人間は「道」に随って生きるべし、と説く。

「道」(Tao, タオ)とは、上に貼った前稿からコピペすると、

「万物を生成消滅させながら、生滅を超越した唯一普遍的な存在」
「宇宙自然のあらゆる現象の根底に潜んでいる原理、法則」
「天地自然の根源、宇宙万物を生み出すエネルギー」

である。

相変わらず、何だかよくわからないが、要するに、

「世界を生み出し、世界を支配しているパワー」

である。

語弊を覚悟で、さらに簡単に言ってしまえば、「神」である。

さて、「道」に随って生きよ、と言われても意味不明だ。

いったい、どうしたらいいのか?

「人為の文明によって失われた本来の純朴で自然な生き方を取り戻せ」

と、老子は説いている。

つまり、人為を用いず、あるがままに生きること、
すなわち、「無為自然」である。

要するに、「無為自然」にして生きることが「道」に随った生き方だ、
と、老子は説いている。

さて、ここからが本番だ。

老子は、これを政治論に応用している。

「為政者は、人為的な制度や法令によらず、余計な干渉をせず、
無為にして治めれば、民が支配者の存在を意識することなく、
天下は、自ずと円満に治めることができる」

と説いている。

要するに、「放っておけば、勝手に治まるわい」
と、老子は言いたいようだ。

つまり、個人の生き方の場合も、為政者の統治の場合も、

「余計なことをせずに、無理のない自然なやり方をせよ。
そうすれば自ずとすべてうまくいく」

という主張である。

そんなうまい話があるか、と言いたくなる気がしないでもないが、
いちおう、理論上は説得力がある(と思う)。

老子

『老子』第三章を読む


ここで、『老子』第三章を読んでみよう。
老子の「無為自然」の主張が、最も端的に表れている章だ。

賢を尚(たっと)ばざれば、民をして争わざらしむ。
得難きの貨を貴(たっと)ばざれば、民をして盗を為さざらしむ。
欲すべきを見(しめ)さざれば、民心をして乱れざらしむ。


為政者が、賢い者を人材として尊重しなければ、民に争わなくさせることができる。
為政者が、得難い財貨を珍重しなければ、民に盗みを働かなくさせることができる。
為政者が、人が欲しがるものを見せなければ、民に心を乱さなくさせることができる。

是を以て聖人の治は、其の心を虚しくし、其の腹を満たし、
其の志を弱くして、其の骨を強くす。


それゆえ、聖人(「道」を体得した為政者)の統治は、民の心を欲望のない空っぽの状態にしてやり、腹を満たしてやる。
そして、志向(出世欲や競争心など)を弱くして、身体を頑強にさせる。

常に民をして無知無欲ならしめ、
夫(か)の智者をして敢えて為さざらしむ。
無為を為せば、則ち治まらざるは無し。


つねに、民を「無知無欲」の状態にして、あの知恵者たちに作為させない(活躍させない)ようにする。
「無為自然」の政治を行えば、うまく治まらないことなどはない。

「無為」は、作為をしないこと、人の手を加えないこと、
「自然」は、もとのまま、あるがままであること、をいう。

一般に、「無為自然」と言い習わしているが、
実は、『老子』の中で、この四字熟語の形では出てこない。

第三章では、「無為」だけが出てくる。

「無為」とは、何もしないことではない。

老子は、「無為を為す」と言っている。

つまり、「無為」を実践する、「やらない」ということを「やる」、
というわけだから、能動的な行為だ。

一方、「自然」は、例えば、第二十五章に、次のように出てくる。

人法地、地法天、天法道、道法自然。

人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。

「自然」は、「自(おの)ずから然(しか)り」である。
もともとの、あるがままの状態であることを表す抽象的な概念である。

「カナダは自然がいっぱい」とか言う時の「自然」ではない。

最後の段落に、民を「無知無欲」にさせる、とあるが、
いわゆる愚民政策とは異なる。

愚民政策は、支配者が統治(=搾取)しやすいように、
民を骨抜きにして、愚昧な状態にしておくことだ。

老子の思想においては、そもそも知恵そのものが否定されている。
「無知」は、文明の毒に染まっていない純朴なままの状態をいう。
愚昧とかバカとかという意味ではない。

「無知」(=知識がない、知恵がない)というのは、
老子の見方では、良い意味になる。

学問や文明は、「道」に随った生き方をする上で、
役に立つどころか、有害で妨げになるとしている。

政治論としての『老子』


老子の思想は、政治思想である。

老子という人物は、よくわからない。
実在したのかどうかもわからない。

いずれにしても、道家の書『老子』が成立したのは、
戦国時代、すなわち、諸子百家の時代だ。

思想家たちは、諸国を遊説して、諸侯に自分の学説を献じた。
政策を鞄に詰めて売り込みに回る営業マンみたいなものだ。

道家も、いちおう諸子百家の仲間である以上、
どれだけ難解でシュールでも、基本的には、政治論だ。

『老子』の文章には、使役形が多い。
上の一節でも「使」の文字が、5箇所使われている。

  不尚賢、使民不爭
  不貴難得之貨、使民不爲盜
  不見可欲、使民心不亂
  常使民無知無欲
  使夫智者不敢爲也

為政者が、民を使役する、民にある行動をさせる、という表現だ。

しかも、『老子』の中には、「治める」「天下を取る」という表現が、
しばしば見られる。

哲学的、形而上学的でありながらも、あくまでも政治論である、
ということを物語っている。

しかし、実際に、老子の思想がどれだけ諸侯に採用されたかは疑問だ。

「道の道とすべきは常の道に非ず」
と切り出したら、ポカンとされるに決まっている。
「いったい、なにを言いたい?」となる。

「無為を為せば、則ち治まらざるは無し」
などと言ったら、「なにを馬鹿なことを!」となる。

営業マンとしては、業績が振るわなかったに違いない。

諸侯に受けがよかったのは、儒家と法家だ。

儒家は、君臣、長幼、忠義、孝悌を説く。
上下関係を重んじ、規範やら儀礼やらにうるさい学説だから、
為政者には都合がいい。

法家は、法律やら刑罰やら、統治の秘訣を伝授するのだから、
為政者には、もっと都合がいい。

道家自体は、政治論としてあまり効力がなかった。
政治の世界に参画したのは、「黄老思想」としてだ。

戦国時代末期から漢代初期にかけて、
道家と法家が融合した「黄老思想」が流行し、
漢の景帝や武帝が、政治論として採用している。

儒家と道家


『老子』には、儒家批判の文言が多い。

儒家は与党、まことしやかなことを言う。
道家は野党、いつもなんだかよくわからないことを言う。
あれはダメ、これは良くない、と儒家の言うことは何でも反対する。

儒家批判の最たるものが、第十八章に見られる。

大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。
六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。


大いなる「道」が廃れたので、「仁義」が説かれるようになった。
知恵者(儒者)が現れたので、人為的な制度が作られるようになった。
親子・兄妹・夫婦が不和だから、孝行や慈愛が重んじられるようになった。
国家が乱れたから、忠義ある臣下の存在が目立つようになった。

これは、野党の面目躍如といった一節、
なかなかパンチが効いていて痛快だ。

互いに対抗していた(と言うか、道家が一方的に喧嘩を売っていた)が、
中国の思想史全体を見渡せば、両者は補完的な関係にある。

「中国人は、建前は儒家、本音は道家」
「成功しているときは儒家、失敗すると道家」

などとよく言われる。

儒家は、杓子定規で、伝統やら慣習やら、あれこれうるさい。
中には、理不尽な教条や儀礼もあって、精神的な桎梏になることもある。
とにかく、孔子さまの教え通りに生きるのは、疲れる。

道家は、成り行き任せ、無理をしない、しなやか、いい加減。
勉強しろ、賢くなれ、とも言わないから、自由で居心地がいい。
表舞台で疲れた人が爆発しないように守る安全弁みたいなものだ。

中国の詩人(本職はたいてい役人)は、
現役のうちは、儒家的価値観で立身出世に励み、
引退すると、道家に傾倒する、ということが多い。

陶淵明などは、そのいい例だ。

我が国でも、退職して『老子』を手に取る人がいるようだ。

なんだかよくわからなくても、わからないままでいい。
老子自身、「道」は、言葉で表せない云々と言っている。

頭のマッサージには、ちょうどいいかもしれない。

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