『捜神記』「韓憑夫婦」~思いを寄せ合う樹
魏晋南北朝時代、「六朝志怪」と呼ばれる怪異小説が盛行しました。
その中から、東晋・干宝撰『捜神記』に収められている「韓憑夫婦」の話を読みます。
「韓憑夫婦」は、典型的な「天人感応」の話です。
人間の特別な行為や感情(孝行、誠意、努力、情熱など)が天に通じ(天帝を感動させ)、天がその者に代わって奇跡を起こすという話です。
人の世で起こる諸々の事柄は、すべて初めから「天」(つまり自然)によって定まっているのではなく、そこに人間の行為や感情という「人」の側からの積極的、主体的な働きかけを介在させる、という発想です。
古代の中国人にとって、天と人との関係は決して一方通行ではなく、両者はつねに相互に関わり合い、時には対決もしたのです。
「韓憑夫婦」と同じく夫婦愛が奇跡を起こしたという話としては、孟姜女の故事が有名です。
さて、二本の樹が絡み合うという「相思樹」の話は、さまざまなバージョンで広く民間に伝わっています。
『捜神記』以前の作品では、作者未詳で後漢末から魏晋の頃のものとされる「為焦仲卿妻作」(別名「孔雀東南飛」)がよく知られています。全篇357句から成る長編叙事詩です。
「小役人の焦仲卿は劉氏を妻に娶るが、妻は姑の虐待に遭って実家に戻る。実家では再婚を迫られ、婚礼の当日、河に身を投げる。それを聞いた焦仲卿も庭で首をくくる」
という物語です。
その最終段落で、こう歌っています。
また、唐・白居易の「長恨歌」では、玄宗と楊貴妃が七月七日の夜、長生殿で囁いた誓いの言葉をこう記しています。
――天上にあっては比翼の鳥に、
地上にあっては連理の枝になりたい。
「比翼鳥」は、雌雄二羽が翼を合わせて飛ぶ鳥のこと、「連理枝」は、根と幹は別々でも枝の木目が一つに合わさった樹のことを言います。
永遠に連れ添い決して離れることがないようにという誓いですが、「比翼鳥」と「連理枝」は、「為焦仲卿妻作」や「韓憑夫婦」に登場する鳥や樹と同じ系統のものであることは明らかです。
さて、話は変わりますが、漢詩の世界では、「相思」と言えば、唐・王維に「相思」と題する五言絶句があります。
――紅豆は遥か遠く南国に生じる。
春になって幾つの新しい枝が出ただろうか。
願わくは君よ、その実をたくさん摘んでくれ。
この物は思いを寄せるのに最もふさわしいのだから。
この詩には背景となっている故事があります。
詩に紅豆が出てくるのは、
「南から北方へ遠征に出た夫がいつまでたっても帰ってこない。妻は夫が戦死したと思い込み、樹の下で泣き続け血の涙を流した。その赤い涙がいつしか紅豆となって樹に実を結んだ」
という故事に由来しています。
「紅豆」は、アズキの類の赤い豆です。上の故事に由来して「相思子」とも呼ばれます。
王維の詩は、転句の「紅豆」と結句の「相思」を引っ掛けて使っています。
ここでは、「相思」は思いを寄せるという意味で、「相」には「互いに」という意味はありません。また、「江上贈李龜年」と題している版本もありますので、思いを寄せる対象は夫ではなく友人です。
このように、「相思」という語には、「韓憑夫婦」を代表とする「相思樹」系と王維の詩を代表とする「相思子」系があります。
日本語では「相思相愛」という四字句で専ら男女の恋愛について言いますが、元となった古い漢語には、固く愛し合う夫婦の切なる思いや遠方の友に寄せる親愛の情が込められているのです。
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