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【心に響く漢詩】王維「送別」~但だ去れ、白雲尽くる時無し

王維

   送別   送別(そうべつ)
                       唐・王維(おうい)

  下馬飮君酒 馬(うま)より下(お)りて 君(きみ)に酒(さけ)を飲(の)ましむ
  問君何所之 君(きみ)に問(と)う 何(いず)くにか之(ゆ)く所(ところ)ぞと
  君言不得意 君(きみ)は言(い)う 意(い)を得(え)ずして
  歸臥南山陲 南山(なんざん)の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと
  但去莫復問 但(た)だ去(さ)れ 復(ま)た問(と)うこと莫(な)からん
  白雲無盡時 白雲(はくうん)尽(つ)くる時(とき)無(な)し

 王維は、李白・杜甫と肩を並べる唐代の大詩人です。
 年若い頃から天才と謳われ、二十一歳で科挙の進士に及第しました。
 政界で要職を歴任し、四十代で都長安の郊外に別荘を構え、「半官半隠」の優雅な生涯を送っています。

 今回は、王維の五言古詩「送別」を読みます。

馬(うま)より下(お)りて 君(きみ)に酒(さけ)を飲(の)ましむ
君(きみ)に問(と)う 何(いず)くにか之(ゆ)く所(ところ)ぞと

――馬から下りて、君に別れの杯をすすめる。君に尋ねる、「いったいどこへ行くのか」と。

君(きみ)は言(い)う 意(い)を得(え)ずして
南山(なんざん)の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと

――君は言う、「人生が思うようにならないので、南山のほとりに隠棲するつもりだ」と。

 別れゆく友人は、志を得ないがゆえに、山中に隠れ住もうとしています。
 「意を得ず」というのは、官途において不遇であることを指します。

 唐詩では、「南山」は、通常、終南山(長安の南にある山)を指します。
 「南山」と言えば、陶淵明の「飲酒」詩(其五)の「菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る」のイメージが強い詩語です。(陶淵明の「南山」は「廬山」ですが。)
 王維の「送別」詩は、この「飲酒」詩を意識し、隠逸詩人陶淵明の世界を自らの詩にオーバーラップさせています。

但(た)だ去(さ)れ 復(ま)た問(と)うこと莫(な)からん
白雲(はくうん)尽(つ)くる時(とき)無(な)し

――そうか、では行きたまえ。もうこれ以上何も問うまい。君の行く所には、白雲が尽きることなく浮かんでいることだろうから。

 「白雲」は、俗世から遠く離れた場所にわき起こる雲。清らかさ、高潔さの象徴です。都でのあくせくした官僚生活とは無縁の、超俗的な趣を含んだ詩語で、隠者や神仙の世界を想起させます。

 当時、知識人の男子は、誰もが役人になることを目指し、儒家的な使命感を以て、官界での出世を志しました。それが、彼らの唯一の価値観であったのです。
 しかし、官界は、畢竟、俗塵にまみれた世界です。いざ官職に就くと、意のまま順調に出世できる者はほんのわずかで、多くの者は、左遷されたり、罪を得たり、何らかの挫折を経験します。
 そうした挫折を味わった折りに、俄に老荘的な志向に傾き、俗世から身を引いて隠遁したいという願望を抱くようになるのです。この詩が歌っているのは、まさにそうした心境です。

 さて、王維の送別詩と言えば、七言絶句「送元二使安西」が有名ですが、元二(「二」は排行)という人物が西域に赴くのを見送った詩です。
 今回の五言古詩「送別」では、詩の中で「君」と呼ばれている人物が誰を指しているのかわかっていません。
 と言うより、そもそもこの詩は、実際に誰かを見送った際の詩ではなく、「君」は、作者王維自身である、つまり、架空の自問自答の設定によって、詩人自身の胸中を表白した作品である、と解釈するべきでしょう。
 もし誰かを見送った詩であるなら、詩題に、その人の名前を苗字に官職名・字・排行などを付けた形で明示するのが通例です。

 但し、王維は、陶淵明のように隠遁したわけではなく、若い頃から比較的順調に官界で出世し、優雅に「半官半隠」だったわけですから、この詩に描かれている心境が、どれだけ王維自身の実際の心境を反映したものなのか、疑問が残ります。

 この詩は、あまり例を見ない六句から成る詩で、修辞的にそれほど凝ったものではなく、漢詩としてはごくありふれた、典型的なテーマを扱った平凡な詩です。いわば、天才詩人と謳われた王維らしくない詩です。
 そこで、根拠のない憶測ですが、この詩は、若い頃、戯れに習作として、すらすらっと即興で詠んだような作品なのではないかとも思えます。
 とすれば、この詩は、作詩の背景をとやかく穿鑿する必要もないのかもしれません。

王維「輞川圖」(模写)

 さて、私事になりますが、この詩は、唐詩の中ではさほど有名ではなく、王維の代表作でもないものですが、実は、わたしが中国古典文学の道に進むきっかけとなった詩です。

 高校時代、漢文が得意だったわけではなく、それほど好きでもなかったのですが、漢文を担当していた S 先生は、とても風変わりな先生で、教科書の作品はまったく読まず、落語調の雑談ばかりで、わたしの一番のお気に入りの授業でした。

 その頃出会ったのが、この王維の「送別」詩で、初めて読んだ時、不思議と心を洗われるような気分になったのを今でも覚えています。
 「白雲」の含意も知らぬまま、なぜか妙にこの詩が気に入って、いつしか中国古典の世界に深入りするようになりました。

 と言うと、まるでこの詩が人生を決定づけたみたいな言い方で大袈裟ですが、わたしが人生で最初に好きになった漢詩、note 流に言えば、はじめて「スキ」を付けた漢詩です。

 人生は、天が与えた縁と、人が下す何気ない選択の連続からなるものだ、と改めてつくづくそう思います。


▼王維について詳しくは、こちら ↓↓↓

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