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性のズレから起きる読書(小説)のストレスについて

以前にも書いたが、私は読書が趣味である。

購入するより図書館などで借りる事が多いが、暇があれば本を手に取る事が多い。ジャンルとしては様々なジャンルを読むが、小説も良く読む。

最近ふと(様々なジャンルを読むといいながら)、実際は潜在的に選り好みをしていた事に気づいたので、そのことについて少し書いてみたい。

あくまで私個人の嗜好であるが、女性作家の小説を過去から現在に至るまで積極的に読んでいない事に気付いたのである。

少し自分なりに分析してみて思う事としては、まずベースとして、私は小説や映画などのストーリー性があるものであってもリアリティに拘る傾向が強い。要は描写や心情、作風でもそうだが少しでもリアリティが欠けたと感じた場合、感情移入が出来なくなってしまうため、読み進める事がストレスとなるのだ。

じゃあ最近流行りの異世界ものなんかが全く受け入れられないかというとそうではない。ストーリーとしてのベースが異世界であってもそれなりにリアリティをもって描いてあれば私の場合、難なく受け入れられる。

我々が日々生活しているこの現実社会は時として非情で残酷だったりする。誰しもが平和を望むが個々に性格や考え方にズレのある多数の個々が、この地球上で同じ時間や空間を共有し、短い人生を全うすべく各々の考え方ややり方で自己実現や自己欲求のために獅子奮迅する。そうすると平和な中にも目を覆いたくなる残酷な状況などが意図してか意図せずかは別として、案外多く存在したりする。

そういった現実世界を描いている場合などにおいて、女性作家の場合(一部の作家を除いて)そこに女性らしさからくる平和感だったり予定調和があるとどうしても私としてはリアリティに欠ける気がしてしまう。

不公平感を無くすために書くと、恐らく逆もしかりかと思う。心情心理の描写において、男性作家が女性を描く場合、男性の性をベースにした心理描写だと感じられた場合はやはり読み辛く感じてしまうと思う。女性の方は特にそうではないだろうか。

個人的な意見だと私が男性だからか比較的女性作家の作品の方が、ストレスを感じる事が多い。漫画などでも同じだったりする。

その点、私が読んでも全く違和感なく読める女性作家も存在する。異性の性まで理解して書けるというのは私からすると異次元のレベルで尊敬に値する。(書いたことすらないのに偉そうで申し訳ない。)

男女が互いに性を理解するのはなかなか難しい。理解したら全てうまくいくかといえばそうでもないのかもしれないが、理解しないよりは良いように思う。私もリアリティが無いからと言って女性作家の作品を避けるのではなく、もう少し理解の幅を広げれば日々の嫁の御機嫌ももう少しマシになるかもしれない。嫁の機嫌のために女性作家の作品を読むというのが作家さんに失礼にあたらなければ良いのだが。

おしまい。




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