衣南かのん
ごはんを食べるのも作るのも好きなフリーライター・衣南がつづる、ごはんの思い出記録。※具体的なレシピを期待される方は申し訳ありません、基本的に「ゆるく」なっております。ご了承ください。
日常のよしなしごと
あなたと大切なあの子のお話、聞かせてください。 動物との暮らしの中で出会う、楽しいこと、嬉しいこと、面白いことやちょっぴり悲しいこと……。 「一緒に暮らす」をテーマに、取材をもとにしてオリジナル小説を作成。 どこかの誰かと、大切なパートナーとの物語を紹介していきます。
ビーフシチューを作るようになったのは、結婚してからだ。 実家ではシチューと言えば母がホワイトルーから作るクリームシチューが定番で、ビーフシチューというのはあまり身近なものではなかった。 なんとなく敷居が高いもの、のイメージ。もしくはファミレスなんかで、オムライスの上にかかっているような……考えてみれば私は、いわゆる本格的なビーフシチューというもの自体にあまり馴染みがなかったんだと思う。 子供の頃父が何度か手をかけたビーフシチューを作ってくれていたことは記憶にあるけれ
ごはんが好きです。 それがいつの頃からか明確には覚えていないけれど、食べるのはもちろん、作るのも大好き。ごはんの話も好きで、小説も漫画もエッセイも、気づいたらごはんモノが増えている。 いつか「食」に関わる発信をしたいなぁ、と漠然と考えていて、だけどその「漠然」が形にならないまま時間だけが過ぎていきました。 思い出すのは、昔、まだ学生だった頃、サブスクールで通っていた小説講座の同期に言われた言葉。 「あなたの書く物語には、いつも食べ物が出てくるね」 「それが人物を
「自分探しの旅」なんて青春時代を過ごす学生の特権なんだろうけれど、いくつになっても迷うことはある。最近のわたしがそうだった。 そういう時、わたしは本当に、自分を取り戻すのが下手だなぁ、と思う。 だけどさすがにもう、自転車に乗って夜明けの街を走りだせるような年齢じゃないわたしは、仕方なく朝も昼も夜も、いつも通りの毎日を過ごしながらじっと時が経つのを待つしかない。 時々気まぐれに、こうしたら自分を取り戻せるんじゃないかしら、なんて思うことに手を伸ばしてみては、やっぱり違った、
その年を思い出す場所、というのがある。 たとえば2年前、結婚式を控えていたわたしはドレス選びや衣装合わせ、ウェディングプランナーさんとの打ち合わせでしょっちゅう市ヶ谷に行っていて、帰りには少し足を伸ばして神楽坂の方まで行っていた。 途中にあるイタリアンレストランは桜の時期にたまたま入ったお店だけど、テラス席から向かいの川沿いに広がる桜が一面に見えてとても綺麗だった。 そもそも神楽坂、というと思い出すのは更に昔、高校生から大学生になる間のことで、その時はたまたま、派遣で
様変わりした景色を見て、浮かぶ気持ちをなんと言おう。 どうしても思い出される子どもの頃の記憶を頭の片隅に湧きながら、広い、広い海を眺める。 家があったのは、たぶん、あのあたり。 あの震災で私の祖父母の家は流されてしまって、高く、高く積み上げられた地面のその中に、私の思い出も眠っている。 子ども時代、毎年夏に、訪れていた場所。 それよりもっと長い時間を、その場所で当たり前に過ごしてきた母の気持ちはいかばかりか、と隣を眺めると、その瞳はどこか遠くを見つめていた。 あの辺だね、
ポトン、と何かが落ちる音がして、視線を向けるとレックスが大きな体を棚の上に伸ばしていた。足元には、飾っておいた丸い小さなお人形。私の視線に気づいて、あれ? というような表情をするけれどもう遅い。 「レク! 何やってるの!」 向けられた怒号に、レックスはあわあわと慌てて、戸惑ったように私を見つめた。 この顔をしているってことは、もしかして……。ふとある思いがよぎった私の耳元を、てっ、てっ、てっ、と小さな足音がすり抜けていく。 「……マック」 またあなたなの? そんな想い
スマホから顔を上げた瞬間、パタ、と目が合った。いつもどおり、お母さんの膝の上に乗せてもらって満足げなタフィーは、どこか自慢気に私の方を見ている。 「ふふ、いいでしょ?」 そんな声まで聞こえてきそう。 我が家の犬は四姉妹。その中でも長女のタフィーは、次女のペギーがやってくるまでの一年間、一人っ子で家族4人全員の愛情を一心に受けて育ったせいか、未だに一人っ子感覚が強い。だって私、一番可愛がられてるもん。時々、そんな余裕のある表情で他の子達を見ているような気もする。そんな表
玄関の扉を開けた瞬間、ワンワン! と元気な声が聞こえてくる。その声に、ああ、帰ってきたなぁ、と思いながら、なるべく急いで靴を脱ぐ。リビングへ入ると、そこにはすでに尻尾を大きく振ったレオンとアルトが待ち構えていて、思わず顔を綻ばせた。 「ただいま!」 呼びかけると、膝の上にドン、と小さな衝撃。ミニチュアダックスって小型犬のはずなのに、レオンは足がしっかりしていてちょっとした中型犬レベルのサイズ感だ。だからこそ、こちらも遠慮せずに思いっきりいける。その周りでアルトもくるくると、
とにかく文章を書く、という生活を、たぶんもう20年以上続けている。 きっかけは小学生の頃。交換日記をするほど一番の仲良しだった友達が引っ越してしまって、さみしさを紛らわせるように私は「りぼん」の付録のノートにオリジナルの小説を書き始めた。 なんでか当時ハマっていた漫画のキャラクターが出てきたり(二次創作の先駆け……?)、主人公は明らかに自分だったり、と、それはそれはもちろんとても拙いものだったけれど、私にとっての「文章」のはじまりはそこにある。 それが、小学2年生のとき
ホラーが苦手だ。 ホラー映画も、怖い話も、夏の心霊特集もお化け屋敷も、全方向に隙なく苦手だ。すべて嫌い。テレビ番組に挟まれる、ちょっとしたホラー映画のCMなんかも本当にダメ。 どれくらいダメなの、という時に例に出すのは、某夢の国の例のマンション。 あの乗り物にはもう何度も乗っているけれど、内容はほとんど知らない。 なぜか。 毎回、目を閉じて(もっとひどい時は耳を塞いで)乗っているから。 「記憶にありません」が、真実嘘じゃないのだ。 と、いう話をすると大概の人は笑うか、引
ふるさと、の定義はなんだろう。 生まれ育った街。古くからゆかりの深いところ。以前に住んでいた場所。 辞書を引けば、そんな言葉が出てくる。 育った場所、という定義で言えば、私の故郷は千葉県になる。育った場所も何も、今も現役で在住しているのだけど。 いわゆる地元っ子でずっと地元を離れていないから、なんとなく故郷、という感じはしない。 故郷は離れて想うもの、というイメージのせいだろうか。 私の中におけるふるさとの定義は、「帰りたい場所」。 そして、そう考えたときに浮かぶのは、