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日々つれづれ

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日常のよしなしごと
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思い出す場所のはなし

その年を思い出す場所、というのがある。  たとえば2年前、結婚式を控えていたわたしはドレス選びや衣装合わせ、ウェディングプランナーさんとの打ち合わせでしょっちゅう市ヶ谷に行っていて、帰りには少し足を伸ばして神楽坂の方まで行っていた。  途中にあるイタリアンレストランは桜の時期にたまたま入ったお店だけど、テラス席から向かいの川沿いに広がる桜が一面に見えてとても綺麗だった。  そもそも神楽坂、というと思い出すのは更に昔、高校生から大学生になる間のことで、その時はたまたま、派遣で

今は遠い海の話

様変わりした景色を見て、浮かぶ気持ちをなんと言おう。 どうしても思い出される子どもの頃の記憶を頭の片隅に湧きながら、広い、広い海を眺める。 家があったのは、たぶん、あのあたり。 あの震災で私の祖父母の家は流されてしまって、高く、高く積み上げられた地面のその中に、私の思い出も眠っている。 子ども時代、毎年夏に、訪れていた場所。 それよりもっと長い時間を、その場所で当たり前に過ごしてきた母の気持ちはいかばかりか、と隣を眺めると、その瞳はどこか遠くを見つめていた。 あの辺だね、

わたしと文章の話

とにかく文章を書く、という生活を、たぶんもう20年以上続けている。 きっかけは小学生の頃。交換日記をするほど一番の仲良しだった友達が引っ越してしまって、さみしさを紛らわせるように私は「りぼん」の付録のノートにオリジナルの小説を書き始めた。 なんでか当時ハマっていた漫画のキャラクターが出てきたり(二次創作の先駆け……?)、主人公は明らかに自分だったり、と、それはそれはもちろんとても拙いものだったけれど、私にとっての「文章」のはじまりはそこにある。 それが、小学2年生のとき

ふるさとの話

ふるさと、の定義はなんだろう。 生まれ育った街。古くからゆかりの深いところ。以前に住んでいた場所。 辞書を引けば、そんな言葉が出てくる。 育った場所、という定義で言えば、私の故郷は千葉県になる。育った場所も何も、今も現役で在住しているのだけど。 いわゆる地元っ子でずっと地元を離れていないから、なんとなく故郷、という感じはしない。 故郷は離れて想うもの、というイメージのせいだろうか。 私の中におけるふるさとの定義は、「帰りたい場所」。 そして、そう考えたときに浮かぶのは、