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ビーフシチューと特別な日

 ビーフシチューを作るようになったのは、結婚してからだ。

 実家ではシチューと言えば母がホワイトルーから作るクリームシチューが定番で、ビーフシチューというのはあまり身近なものではなかった。
 なんとなく敷居が高いもの、のイメージ。もしくはファミレスなんかで、オムライスの上にかかっているような……考えてみれば私は、いわゆる本格的なビーフシチューというもの自体にあまり馴染みがなかったんだと思う。
 子供の頃父が何度か手をかけたビーフシチューを作ってくれていたことは記憶にあるけれど、頭の中でどうにもぼやんとしてしまってうまい完成図が描けない。だから、自分で作ろう、と思ったこともあまりなかった。(そもそもクリームシチューが大好物なせいもある)

 そんな私が、今や得意料理に上げられるくらいにはビーフシチューを作っている。
 きっかけは単純で、結婚前にシチューの話をした時のこと。すれ違いコントのように妙に行き違う会話を不思議に思って尋ねてみたら、私は「クリームシチュー」の話を、夫は「ビーフシチュー」の話をしていた。 
 え、シチューって言ったらクリームシチューのことでしょ。驚く私に、夫はクリームシチューはあまり好きじゃない、と言った。でもビーフシチューは好きなんだと。

 好きな人の好きなものなら、おいしく作りたいじゃない。
 ビーフシチューを作り始めたのは、そんな風にまだ可愛らしくも残っていた私の乙女心が始まりだった。

 初めて作ったのは、たしか結婚して数ヶ月経ったクリスマスだったと思う。それまでビーフシチューなるものを作ったことのなかった私は、とにかく色んなレシピを調べた。クリームシチューは自らルーを作るのにビーフシチューはルーを買ってくる、というのにはなんだか抵抗があって(市販のルーもおいしいとは思うんだけど、これはあくまで私のよくわからない対抗意識によるもの)、ルーを使わないレシピをとことん調べた。
 結果、デミグラスソース缶は使うらしい、ということがわかる。デミグラスソース缶……市販のルーに抵抗したのに、これを受け入れるのはありなのだろうか……いっそデミグラスソースを作る……? 

 高校生の頃、一晩かけてデミグラスソースを煮込んだことがある。思春期ならではのもやもややストレスがすべてその一鍋に向かったからこそできたことで、あれをもう一度やれるか、と言われると正直自信はない。

 いや、そもそも何と戦っているんだ私は。

 迷った挙句、デミグラスソースの缶も使わない赤ワインで煮込むタイプのレシピを見つけた私は、深く確認もせず写真だけの判断でよしこれだ、と意気揚々作り始めた。

 ――結果、出来上がったのは牛肉の赤ワイン煮込みだった。ちょっとおしゃれな言い方をすれば「ブフブルギニョン」。のだめカンタービレで千秋先輩がふるまっていた呪文料理である。やったね、私も呪文料理の使い手になれた! なんて、喜ぶところじゃない。

 うん、まあ、そうなるよね。ビーフシチューの定義が何か、なんてよくわかっていないけれど、赤ワイン煮込みとビーフシチューが限りなく似ていて、だけど違うものだっていうのはなんとなくわかる。正解のビーフシチューはわからないまま、それでも確かなコレジャナイ感を覚えた私は出来上がった煮込みの鍋をそのままに、近所のスーパーにデミグラスソース缶を買いに走った。

 あれから数年経って、その間、バレンタイン、誕生日、結婚記念日、またクリスマス……と特別なタイミングにはいつもビーフシチューを作ってきた。それ以外にも、夫がちょっと元気ないな、とか、しばらく忙しくて手抜きが続いたから、今日は何かおいしいものを作ってあげよう! とか。そういう、気持ちの意味でも気合いを入れる時に選ぶのは、ビーフシチューになることが多い。
 試行錯誤を繰り返した結果、自分なりに作り方も固まってきた。といっても、最終的に到達したのはたぶん、作り慣れた人からするとなんてことのない、シンプルなものなんだと思う。

 まずはかたまり肉を買ってきて、大きくカット。それからニンジンも大きめに。これは夫がごろっとしたニンジンが、それもたっぷり入っているのが好きだから。マッシュルームかエリンギか、とにかくその時手に入った方をカットして、玉ねぎもやや大きめの串切りにする。セロリは葉っぱと茎の部分を分けて、茎の部分は細かくみじん切りに。葉っぱの部分は、裾をタコ糸で縛ってばらけないようにしておく。
 あとは厚手の鋳物ホーロー鍋に玉ねぎ、肉、ニンジン、きのこ……と順番に入れ、みじん切りにしたセロリとセロリの葉を入れ、具材の半分くらいのラインまで赤ワインを注ぐ。
 追加でひたひたになるくらいの水(時間がある時は野菜くずを使ってベジブロスを作っておくこともあるけど、大体面倒で水になる)とブイヨンのキューブを2個、トマトペースト(もしくはトマト缶を半分)とローリエを入れて蓋を閉め、そのままオーブンへ。予熱なしの160度にセットして90分。後はオーブン任せで、その間は何をしていてもいい。見た目の派手さに反したこの手軽さも、よくビーフシチューを作る理由の一つかもしれない。
 90分経ったらデミグラスソース缶を入れて、そこから更に弱火で30分くらい、焦げないように気をつけながら煮込んでいく。煮込み時間はその時々で、時間があれば最初の段階で3時間くらいオーブンに入れていることもあるし、時間がなければデミグラスソース缶を入れてすぐに食卓に出すこともある。どちらにせよ手数はそんなにかからないし、じっと見ている必要はないので仕事をしている合間にも作れるところはやっぱり嬉しい。


 そして何より、なんとなく作ってやったぞ、という達成感を得られるところも気に入っている。食卓に並べるとわかりやすく喜ぶ夫の笑顔があって、よしよし、とこちらも嬉しくなるのだ。

 ただ、やはりまだ作り始めて日が短いせいか、いまだに自分でこれだ!と思えたことはやや少ない。ビーフシチューの道は一日にしてならず。きっとこれからも試行錯誤を繰り返して、私は特別な日のためのビーフシチューを作り続けていく。
 そんな試行錯誤も、ちょっぴり楽しみながら。

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