哀音

26/♀︎/双極性障害Ⅱ型/離人症性障害/複雑性PTSD/ASDグレーゾーン 母からの…

哀音

26/♀︎/双極性障害Ⅱ型/離人症性障害/複雑性PTSD/ASDグレーゾーン 母からの精神的虐待、義兄からの身体的・性的虐待、小中でのいじめにより精神疾患を13年ほど患っています。 拙いながらも日々思ったことを綴れたらと思います。

最近の記事

自分の頑張りを認められるようになりたい

僕は昔から自分に優しく出来なかった。 でも、そう気づいたのは最近だった。 お友達になら「無理しないでね」 「○○ちゃんのペースでいいよ」と 優しい言葉をかけられる。 でも、それを自分に向けて 言うとなると中々難しい。 「もっと頑張らなきゃ」 「もっと辛い思いをしながら 頑張ってる人は沢山いる」 「これくらいは出来て当たり前」 そうやって自分に厳しい言葉を言い、 どうしても自分に優しくすることが 中々出来ないでいた。 褒め療法というものを知り、 過去にやってみたこともあった。

    • 本というお友達

      僕は幼い頃から読書が好きだった。 親やクラスメイトから罵倒されて 辛くなった時、ありのままの僕を 否定せず受け止めてくれる存在。 知らないことを沢山教えてくれて 知らない世界に連れて行ってくれる。 本の世界を旅してる間は辛い現実を 忘れられるから、貪るように読んだ。 学校の図書室では飽き足らず 近所の図書館2箇所をはしごして 片っ端から読み漁った。 漫画、児童書、ラノベ、小説…。 あの頃、イマジナリーフレンドと 本がなかったら僕は耐えきれず 自殺してしまっていたと思う。 それ

      • 僕の病歴

        先程は僕の過去について描きましたが、 今回は病歴について書こうと思います。 小学生の頃からいじめと性的虐待があり 抑うつ、不眠傾向はあったと思います。 それでも小学生の頃はお友達もいたので 何とか耐えられていた記憶があります。 中学校に上がってからはいじめは酷くなり 学校に行こうとすると腹痛・頭痛・倦怠感が 必ずと言っていいほど起きました。 でもいじめも性的虐待も知らない母は 怠けてると思ったのでしょう、 引きずってでも無理やり行かせました。 泣きながら行きたくない、死にたい

        • 僕の経歴について

          僕は広島の田舎の方で産まれました。 生まれた時は、僕、母、母の叔父、 おじいちゃん、おばあちゃんと 母の実家で暮らしていました。 お父さんは僕が生まれた頃にはすぐに家を 出ていったらしく、顔も名前も知りません。 3歳頃までは仲良く5人で暮らしていましたが 母が結婚するというので僕だけ母に ついていきました。 ついて行った先では僕、僕の母以外にも 義父、義兄がいて4人家族になりました。 母は環境の変化のストレスかものすごく ヒステリックになり、ものを投げたり なにか悪いことをす

        自分の頑張りを認められるようになりたい