僕は昔から自分に優しく出来なかった。 でも、そう気づいたのは最近だった。 お友達になら「無理しないでね」 「○○ちゃんのペースでいいよ」と 優しい言葉をかけられる。 でも、それを自分に向けて 言うとなると中々難しい。 「もっと頑張らなきゃ」 「もっと辛い思いをしながら 頑張ってる人は沢山いる」 「これくらいは出来て当たり前」 そうやって自分に厳しい言葉を言い、 どうしても自分に優しくすることが 中々出来ないでいた。 褒め療法というものを知り、 過去にやってみたこともあった。
僕は幼い頃から読書が好きだった。 親やクラスメイトから罵倒されて 辛くなった時、ありのままの僕を 否定せず受け止めてくれる存在。 知らないことを沢山教えてくれて 知らない世界に連れて行ってくれる。 本の世界を旅してる間は辛い現実を 忘れられるから、貪るように読んだ。 学校の図書室では飽き足らず 近所の図書館2箇所をはしごして 片っ端から読み漁った。 漫画、児童書、ラノベ、小説…。 あの頃、イマジナリーフレンドと 本がなかったら僕は耐えきれず 自殺してしまっていたと思う。 それ
先程は僕の過去について描きましたが、 今回は病歴について書こうと思います。 小学生の頃からいじめと性的虐待があり 抑うつ、不眠傾向はあったと思います。 それでも小学生の頃はお友達もいたので 何とか耐えられていた記憶があります。 中学校に上がってからはいじめは酷くなり 学校に行こうとすると腹痛・頭痛・倦怠感が 必ずと言っていいほど起きました。 でもいじめも性的虐待も知らない母は 怠けてると思ったのでしょう、 引きずってでも無理やり行かせました。 泣きながら行きたくない、死にたい
僕は広島の田舎の方で産まれました。 生まれた時は、僕、母、母の叔父、 おじいちゃん、おばあちゃんと 母の実家で暮らしていました。 お父さんは僕が生まれた頃にはすぐに家を 出ていったらしく、顔も名前も知りません。 3歳頃までは仲良く5人で暮らしていましたが 母が結婚するというので僕だけ母に ついていきました。 ついて行った先では僕、僕の母以外にも 義父、義兄がいて4人家族になりました。 母は環境の変化のストレスかものすごく ヒステリックになり、ものを投げたり なにか悪いことをす