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【大学受験】 アメリカ高校の成績、部活、出願と絶望。

「受験」が存在するこの世の中。

受験勉強とか出願してる時って不安になりません?なんのために大学に行くのか。大学に行って何がしたか、何ができるか。そもそも大学になんて受かるのか。そんな不安要素がある中ひたすらエッセイを書いていた2年前の夏。

アメリカでは受験というものがなく今までの成績、エッセイ、先生の推薦状、部活動、ボランティアなどを集め、提出して大学の合不が決まる。共通テストの勉強より全然いいじゃん・・・って思う方もいると思う。

だけど高校4年間の成績全部を公開して、部活をやったり先生と仲良くなったりと意外と大変だった。とにかく大事なのはエッセイだと私は思う。特徴もない、平凡な人生を生きてる私は面白いエッセイをかけることもなくただただ空白のパソコンを見つめた。

ざっくりとしたアメリカ高校の成績は以下の通り↓
GPA: 4.4456 (weighted, 4.0 scale)
SAT: 1410
TOEFL: 111

とびっきりいいとは言えないこの普通の成績でほんとに志望校に受かるのか?不安で仕方なかった。部活は唯一小さい頃から続けてたバイオリンを音楽専門の高校で弾いていたぐらい。(音楽学校は現地の高校と両立して通ってた)でもバイオリンで大学にいけるほどの技術も才能もないし特にバイオリンを専門にしたいと思ったことがなかった。一般の大学に行くのが一番いいと思った、

州で一番いい大学に行きたかった。

アメリカ はEarly Action, Early Decision, Regular Decisionと言って出願期間が別れている。
     1. Early Actionは行きたい大学に早めに出願できるシステム。(11月)
     2. Early Decisionは行きたい大学に出願して、受かればそこの大学にいかなければいけない。
     3. Regular Decisionは一般入学で特にEarly Actionとそう変わらない。(1月)

11月1日は一番目の出願期間最終日。

1日になり夏休みに書き上げたエッセイたちを成績と共に提出した。

この時点ではまだ行きたい大学がなかった。なんとなく州内の大学を攻めたりこんなところいいな〜ってところをひたす受けた。

1月ごろになり二番目の出願期間最終日が訪れた。その前に一番目の出願の結果が出た。州内で一番いい大学(大学U) はDeferred Waitlistだった。
ということはRegular Decisionの時にもう一回受けるチャンスがあるということだった。いつからか大学Uに受かりたいって思い始めていた。

それと共にに12月に見つけたいい大学があった。これは州外の大学(未来の志望校、大学V) だった。素直にここに行ったら楽しいだろうとか、初めて大学に行きたい!って思えた。

結果から言うと州内一の大学に落ちた挙句志望校にも落ちた。
正確に言えば州内の大学はWaitlistだった。

正直受かると思ってた。友達もみんな口を揃えて「受かるから気にしないでいいよ!州内だし受かりやすいよ」と今思えば適当な気休めを言ってきた。後で知ったけど親は大学Uに行って欲しかったらしい。

その夜はひたすら泣いた。何が悪かったのか。成績?SAT?エッセイ?考えればいくらでも出てくる。キリがないのにどんどん自己嫌悪に落ちていった。絶対受かるなんて信じなきゃよかった。自分の惨めさと弱さを実感した。

受験に絶対はない

志望校はSATの点数が足りなかったのかエッセイがダメだったかのどちらかだと思う。それに関してそんなに悲しまなかった。そもそも州外に通うととてつもない量のお金を払わなきゃいけない。

(だがのちにこの大学Vに編入することになる。)

周りのみんなが大学名をインスタのプロファイルに載せる中、私が行ける大学は州内の滑り止めと日本の大学だった。まぐれと言ってもおかしくないが

早稲田、慶応、上智、ICU

4つ受けて4受かってたんです。帰国子女ではなくAO受験を選択してよくわからないまま合格通知が4つも届いた。日本の大学は行かないって後で決めたものの受かった時の喜びは今でも忘れられない。

失敗の中、唯一の光だった。

うちの親は大学受験にほとんど手をつけていない。これが良いか悪かは意見が別れるかのしれないけど、私はよかったと思っている。母は「自分のことは自分で決めろ」としか言わなかったけど、意外とそれぐらいのプレッシャーでいいと思う。

ある日、母は友達から「花音ちゃん、日本の大学受けないの?」と言うラインをもらった。慶応や早稲田に受かると思ってない私含め母は「上智とあと何校か受けたよ」と軽く言ったらしい。そしたら返事がまさかの

「上智とかじゃなくてもうちょっと低いところ狙ったほうが受かると思うけど、、」

だった。

人の子にそんなこと言うか?と言うことしか頭に浮かばなかった。
だらか早慶、上智に受かった時はものすごく誇らしかった。

そんなことより友達みんなはMIT、Standford、 Brown、と世界ランキングを争う優秀な大学に次々と合格していった。1月から卒業するまでの6ヶ月は精神的に結構大変だった。

「大学決まった?!」と聞かれるたびに自分が嫌いになった。

そんなことをしていると一通のメールが届いた。
メールの内容は大学Uのサテライトキャンパスに一年間通ってからメインキャンパスに移ると言うプログラムの招待状だった。これは州内で大学UにWaitlistになった生徒だけが参加できるプログラムだった。結構新しいプログラムでググってもほとんど情報がなかった。胡散臭いなと思いつつも正直それ以外いい方法がなかった。

人生何とかなる

去年1年間はサテライトキャンパスで初の大学生活を送った。新しい友達を作ったり、同じプログラムの子とも会って意外と楽しかった。今でも電話したりビデオ通話したりする中だ。

サテライトキャンパスにいて意外と学ぶことも多かったし、全体的にいい経験になったと思ってる。優しい友達やルームメート、全てがいい感じに治った。「人生ってほんとにどうにかなるんだ」って初めて思った。

私の大学受験はこんな感じだったけど、みんながみんなこうではない。

前向きに考えることの大切さ、絶望からどう立ち上がるか、受験を通して色々学んだと思う。これを生かして今も大学生として輝きたい。

結構長くなったので今日のブログはこれぐらいにしておきますね!
若干暗い内容になってるのは許してください(笑)

最後に、
アメリカの受験生のみなさん、頑張ってください。
今がエッセイの書き時ですよ!
8月に好きな大学に行けることを願ってます。

日本の受験生のみなさんも頑張ってください。
春に笑えるのは君だと信じてます🌸

ー花音

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