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動物と暮らしてておもうこと

私の実家には犬(黒ラブ)が1匹と猫が6匹居ます。

エイトです。

母親がよくお菓子を作るし、私はコーヒーを淹れるので、実家が猫カフェ状態になっています。

なんの邪念もない彼らの純粋な目を見ていると、肩の力がすごく抜けるような気持ちになります。

そんな純粋無垢な動物を見ていて癒されるのは勿論ですが、ふと思うことが最近ありました。


いつも大体14時から15時頃に彼らの2回目のご飯タイムがやって来ます。

と、私たちって基本的に時間ベースで動いているんですよね。嫌でも時計が見えてくるし、無意識に何時だ、とか、後何分だ、とか、数字とともに生きている。
趣味のランニングでも、気にしたくなくてもタイムがどうしても気になってしまいます。

一方、ニャンやワン達は14-15時になるとソワソワする。そこには「何時だから食べる」というのがなく。お腹すいたからソワソワしてるだけ。

動物って「時間」の概念が無いんだ、と当たり前ですがふと彼らを見て思ったのです。
だから、この前の記事で書いた「同じ2時間」という感覚がまず無いのだと。

高校の英語の授業で「パパラギ」(ここではイコール白人のことですが、現代人という解釈で読まれています)の文章を扱ったのですが、私たちが時間に追われているという内容だったのを思い出しました。

とかまあ、Apple Watchを付けてる私がこんな事を書いてるのですが(笑)

時間から解放される事なんて現代を生きる我々には早々あり得ない話なのですが、だからこそ動物たちを見て、羨ましくなったり。

ただ、確かに時間を完全に遮断して生きることは難しいのですが、環境や自分の体のサイクルに耳を傾けることは何かしら出来るし、それってすごく気持ちのいいことだな、と最近感じています。

というのも、実家に戻ってから、目覚まし時計をかけずに起きるようにしています。
これは私が今働いていないから出来る事とも言えるのですが…とはいえ先月まで週2でインターンに行っていた時も、目覚ましはかけずに起きていました。

この習慣を始めてから、ここ数年で1番ストレスなく同じような時間(7時から8時)に起きれるようになりました。体が自然に起きるので、全くしんどくありません。

また、1年ほど前から、カーテンを閉めずに寝るようになったのですが、閉めて寝ていた時のように、寝過ごすことが無くなりました。太陽の光に反応するのでしょうか。ちゃんと体がおきてくれます。

これってものすごく気持ちの良いことなんですよね。時間で起きるしんどさって、人間が時間と生き、自身を苦しめてる1つだなぁ、と。

サピエンス全史では、人間には「言語」があり、そして「想像力」が生まれ、それがゆえにこの世界は「虚構」で成り立っている、と書かれていました。この時間というものも私たちが作り出した虚構に過ぎません。
だって極論、別に1日は24時間じゃなくても良いんですよね。私たちが想像力を駆使して作り出した虚構です。

ただこの虚構とは生き続けなくてはいけません。だからそれとうまく付き合って、日々の小さな本能的な幸せを見つけること、虚構から解放されること、そういうのがあってもいいなぁと、虚構のない動物たちを見て思うのでした。


あととにかく、可愛くて、仕方がないんです!

今週もいい週になりますように!

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