見出し画像

“BLACK MIRROR”視聴ガイド:知覚認識に介入することの危険性

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、イマジンアート生成
*この論考には“BLACK MIRROR”各エピソードのネタバレが含まれる。

“BLACK MIRROR”視聴ガイド:序文(目次)はこちら。

視覚と聴覚を通して見た情報を映像と音声として全て記録する『人生の軌跡の全て』(シーズン1:エピソード3)は、自分や他者の言動が全て記録され参照されることが可能となったことによって引き起こる不幸を描く。そして視覚や聴覚を複数で共有するネットワークサービスが登場する『ホワイトクリスマス』(シーズン2:エピソード4)は、インターフェースを通した視覚と聴覚への介入によって人の姿や声がモザイク状にしか認識出来なくなる事態が引き起こす悲劇だ。また、視覚に介入し認識を変えてしまう技術がもたらす危険性を描いた『虫けら掃討作戦』(シーズン3:エピソード5)は、兵士の視覚認識に調整を施し、人を殺す抑止が引き出される前提としての「ヒト」という認識を改変し、対象を「虫けら=ケダモノ」と上書きすることにより兵士は平然と、或いはむしろ積極的に人を殺す世界を描く。そしてその技術が民生化された『アークエンジェル』(シーズン4:エピソード2)は、親が子どもの認識に介入し、子どもが何を見て良いかという検閲を親が施すことの危険性を炙り出す。

このような視覚と聴覚の記録や改変がもたらす危険性とは異なる危うさを提示するのが『クロコダイル』(シーズン4:エピソード3)だ。このエピソードは記憶を覗くことの危うさを描く。

そして『拡張現実ゲーム』(シーズン3:エピソード2)は、被験者の五感に介入して間接的に疑似体験を注入するゲーム装置が登場するのだが、記憶とトラウマに纏わるパニックが取り返しのつかない事態を引き起こす。このような事故を経て『サン・ジュニペロ』(シーズン3:エピソード4)で描かれる仮想空間における療養世界が描かれる。このサナトリウムは接続する時間が制約される安全装置が制度として組み込まれている。そして最終的に『ストライキング・ヴァイパーズ』(シーズン5:エピソード1)のような体感型仮想空間ゲームとして商品化される。

以上のように、知覚認識に対し恣意的に介入することで引き起こる問題は多岐に渡る。そしてこのような技術が社会に実装されていない現代においても、SNSや動画サイトに組み込まれたアルゴリズムが、視聴者の認知傾向を加速的に偏向させていく実態を踏まえると、これらのエピソードは「見たいものしか見ない」「聴きたいことしか聴かない」という認知バイアスが引き起こす諸問題と、高度な技術により意識の深層を形成する以前の段階で人にバイアスを掛ける諸問題を提示している。また、Google検索に過去が記録され続ける問題として象徴的な「忘れられる権利」に関連して、忘れることの重要性や、記録され続けることの問題点を描いている。

サポートしていただけると大変ありがたいです。