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【第47章・兵法者】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第四十七章  兵法者

「典膳殿、傷の具合はどうだ?」
「おお、厳四郎殿か。嵐子殿が調合してくれた塗り薬、あれは効くな。柳生の秘伝か」
「そんな大層なものではないよ。で、どうなのだ?」
「お陰で脇腹の傷は大丈夫そうだ。しかし、左肩と腰の矢傷がな。思うように刀が振れん。面目ない」

「いや、面目ないのはこっちだ。あの時、俺があの娘ごと間部を叩き斬っておれば、任務の半分は終わっていたのに。俺は甘い。甘過ぎる」
「娘と言っても子供だったのだろう。そなたに子供は斬れんよ。ところで、嵐子殿は?」
「お嵐には甲府柳町の宿場に潜入して、藩庁の様子を探ってもらっている」

 監視の庄屋一家を斬殺して甲斐を出奔した新見典膳は、その後川越藩に仕え、江戸家老・穴山重蔵の命で甲斐に戻っている。旧甲斐国主・武田家の隠し金山を探索するためである。

 典膳率いる一番隊六名は、四月三十日の昼過ぎ、金山の手掛かりを求めて赴いた恵光院という寺院を出た後、坂を下ってきたところで甲府藩の一隊から待ち伏せ攻撃を受けた。死亡二名、重傷一名。典膳自身も傷を負ってしまった。
 彼等はまず渓谷沿いに逃げ、次いで笛吹川西岸の山地に身を隠した。甲府南郊の隠れ家にたどり着いたのは三日後のことであった。

 一方、二番隊は、甲府中納言の側近・間部詮房の殺害を主任務としていた。青柳厳四郎こと柳生厳四郎は、当初客分として二番隊に属していたが、隊長の貢川が不慮の死を遂げたことにより、自然な流れで二番隊の指揮官に納まった。

 厳四郎は隊の指揮権を得るや、石和の渡しでの襲撃プランを破棄。自らの考えに従い、勝沼宿脇本陣に夜襲をかけた。間部の首を刎ねる寸前まで迫ったが、惜しくも討ち洩らした。襲撃時の損害はなし。しかし、逃走途中に仲間の一人が田のあぜを踏み外し、足を捻挫している。

 従って、一番隊と二番隊を合わせた残存戦力は、正規の構成員ではない水分嵐子を含めて十名。健在七名、負傷者三名(重傷一名を含む)であった。

「典膳殿、金山の探索はどうする?」と厳四郎。
「行き詰まったな。覚隆を殺してしまったのは短慮であった。しかし、あ奴の悟り切ったような目を見ていたら、無性に腹が立ってな。ともかく、あそこで待ち伏せを喰ったということは、甲府藩も覚隆に目を付けていたわけだ。隠し金山の件も承知しているに違いない。上の連中にとって、その情報だけでも多少は役に立つだろう。成果なし、というわけではない」

「すると、あとは間部詮房の首か」
「そうだ」
「内通者の援軍は期待できるのか」
「無理だな。藩庁の中にいるのはただの役人だ。完全に腰が引けている」
「この隠れ家は誰が?」
「甲府藩を強く恨んでいる元御用商人の息子だ。これは頼りになるが、武士ではない。襲撃の戦力にはならんよ」

「そうか。典膳殿。間部の襲撃、やるなら俺に任せてもらえないか」
「私はこの傷だ。まともに戦えん。今の戦力を考えれば、厳四郎殿と嵐子殿が頼りだ。必然的にお主に任せることになる。しかし、すでに奴は城の中だぞ。外に出るときも藩庁の兵が守っている。何か策はあるか」

「状況次第だろう。何とか内通者から間部の動静について情報を取ってくれ」
「やってみよう」

 二日後の早朝、内通者から連絡があり、間部の行動予定が判明した。それに基づいて嵐子が各所を偵察。彼女が戻ったのは、外が完全に暗くなった六つ半(ほぼ午後七時)であった。

 母屋の奥に集まった者たちに向かって厳四郎が口を開く。
「方々。急なことではあるが、我らは明日、釜無川の河川敷で、治水工事の現場を視察する甲府藩用人・間部詮房を襲撃する。極めて困難な作戦だ。また、運よく間部の首を取れたとしても無事に離脱できるかどうか。見通しは厳しい。従って、方々の中で、去りたいと思うものは去ってくれ。止めはしない。典膳殿、それでよろしいな」

 一同の視線が典膳に集まる中、彼はしっかりと頷いた。
「ああ。今、この集団の大将はご貴殿、青柳厳四郎殿だ。厳四郎殿の言に従う」

「よし。出立は、夜明け前の七つ半(ほぼ午前五時)とする。去る者は、夜の内にこっそり去ってくれ」

 すると、一人の若者が立ち上がって叫んだ。
「青柳殿。我らは家の次男三男ばかり、江戸にも国元にも居場所のない厄介者だ。己の道を切り拓くため、貴殿と共に戦うだけだ!」

「感謝する。しかし、考えは人それぞれ。生き方も死に方も自分で決めていいんだ。よろしいか。残る者は、去る者を決して引き止めぬように。武士の情けだ。黙って行かせてやってくれ」
「承知」

「では、ここに、江戸を発つときに一番隊二番隊双方に渡された金子の残りがある。皆で均等に分けよう。これまでの報酬と襲撃後の逃走費用だ。そして幸田殿、貴殿はその傷では動けまい。一人ここに残ってもらう。我らが全滅した場合、この金で何とか食い繋ぎ、自力で江戸まで帰ってくれ」
「承知しました」
「後は明朝まで各々好きに過ごしてくれ。宿場まで出てもいい。ただし、出発の刻限に遅れないように」
「了解した」

 そこで厳四郎が車座になった皆の中央に一枚の絵図を広げた。
「では、寄ってくれ。ここからが肝心だ。襲撃の段取りについて説明する・・・」

 彼等がいる隠れ家は茅葺の空き農家である。ここでも、厳四郎と嵐子には皆とは別に母屋に隣接する納屋があてがわれていた。
「俺はこっちで寝るから、お前はそこでいいか」
「厳四郎様」
「逆がいいか」
「違いますよ。その、間部って奴を討つだけなら、あたしが殺ってきましょうか」

 嵐子の言葉に厳四郎は虚を突かれ、彼女の顔をしばらく凝視してから、弾けるように笑った。
「はっ、ははは。そうだな。考えてみれば、それが一番早いし確実だ」
「なら」
「しかし、やめておこう」
「どうして?」

「馬鹿だと思うかもしれんが、俺は、やってみたいんだ。自分自身で間部の首を取りたいんだ。聞けば聞くほど、間部詮房という男、なかなかの人物らしい。これ以上ない目標だ」
「目標?」
「そうだ。この太平の世、兵法者としてどれだけ修練を積んでも、生涯、実戦を経験せずに死んでいく者がほとんどだ。そんな中、たった数人と雖も一隊を率いて大将首を狙えるんだ。面白いじゃないか。俺は、やってみたいんだ。唯々、やってみたいんだよ」
「厳四郎様・・・」

「お前には申し訳ないが、お前の抜刀術なしには作戦が成り立たん。もう少しだけ付き合ってくれ」
「はい。でも、典膳殿が使い物にならないのは痛いですね」
「まあな。しかし、斬り合いは無理でも、戦場に来てくれるだけで十分役に立つ」
「そうなんですか」
「ああ。戦目付だよ。この集団は、野盗や野伏ではない。彼等は家の次男三男だが、それでも武士でありたいと思っている者たちだ。だから、誰がどう働いたか、或いはどう死んだか。江戸に報告する人間が必要なんだ。そしてその役は、正規の藩士である典膳殿でないと務まらない」

「なぁるほど。まあ、あたしには関係ないけど」
「確かに。そうだお嵐、お前にも俺から最後の命令がある。いや、本来、俺はお前の主人でも何でもないのだから、最後の頼みと言うべきかな」

「何ですか」
「つまりだ。明日、もし俺が討ち死にしたら、お前はその時点で戦闘をやめて離脱しろ。いいな。そこで終わりだ。お前はこんなところで犬死する必要はない。柳生の里に帰れ」
「厳四郎様!」
「こら、大きな声を出すな。俺も別に死ぬ気はないよ。あくまで万一のことさ」
「・・・」

 厳四郎は、嵐子の不満そうな表情をチラリと見て話題を換えた。
「ところで、お前、随分と画が上手くなったな」

 目の前に先程皆に作戦を説明するために使った絵図がある。釜無川の河川敷の様子が手に取るように分かる。厳四郎は他にも甲府城の周辺や、かつて武田家の居館があり現在新しい武家町として整備中の地域など、いくつかの襲撃候補地の絵図を嵐子に頼んでいたが、どれも見事な出来であった。

「そうですか」と嵐子。もう笑顔になっている。
「ああ。前から上手かったが、以前は全面細か過ぎて目がチカチカした。今は要点を絞って描き込んであるから、とても見やすいよ」
「よかった。実は、笹子峠で変な侍に会って、描き方を教えてもらったんですよ」

 嵐子は、勝沼夜襲の際、攻め込んだ脇本陣でその侍の姿を見た。邸内は暗く、さらに彼女は黒装束に覆面姿であったため、相手は気付かなかったようだが、夜目の利く嵐子には分かった。

 厳四郎を援護するため奥の座敷に飛び込んだとき、最初にその侍の隣の者を斬った。どちらでも斬れたが、画の指導料の意味で初太刀を外してやったのだ。あの大柄な侍は、明日も間部の傍にいるだろうか。もう貸し借りなしだ。明日は容赦しない。

「ほう、侍が画をな。武士も色々だな」と厳四郎。
「これ、売れますかね?」
「売れると思うぞ。ただ、商品にするなら誰もが知っている名所の景色を描くべきだろうな。さて、明日は早い。もう寝よう」
「はい」

 寝床に入る前、厳四郎は井戸で顔を洗おうと納屋の外に出た。さっと一陣の風。厳四郎が、明日の戦場、釜無川が流れる西の方に目をやると、闇夜に浮かぶ稜線の中、顕著に尖った三つの頂があった。そして、その上に青白く光る上弦の月が出ていた。

次章に続く

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