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特定おっさんの下ネタやセクシー系投稿がなぜ「おもんない」か

SNSを見ていて、時折権威ある方が、セクシー画像や下ネタを交えたジョークを能動的に発することがありますが、これがとんでもなく笑えない。

なぜそれが「おもんない」か、という話をちょっとまとめ。


おっさんの「下ネタ」がおもんない

真面目なコミュニケーションにおいて、流れの中で突然ジョークとして、なんの捻りもないセクシー画像や下ネタトークを添える人がいますよね。

それは特定おっさん層にとって笑いになっても、特定層にとって極めて不快であることが理解できないあたりに、ああそういった感覚のカルチャーというのはライフステージや世代ごとに固着していて、本当にアップデートできないものなのだなぁ、というのが観察できて、常々興味深いと思っています。

で、自らも含めていろいろ振り返ってみたわけです。

僕というおっさんは双方に片足づつ足を突っ込んでるので、それが不快である気持ちも笑いである気持ちもわかるっちゃわかります。

不快さについてはいつ身についたかというと、過去のコミュニケーションの中で自分の主張に対して「どうかと思うよそれ・・・」と言われたことも、誰かの主張に対して「どうかと思いますよそれ・・・」と自分でも思ったことがあるがあるからだったりします。ええ、下積み時代の経験あってのことです。

しかし、パワハラについてもそうですが、人というのはあるステージに入ってしまうと、そういう自分や他人の「どうかと思う」というメッセージにふれる機会がなくなってしまう&指摘を受けてもイラッとして受け入れられなくなる。それによってズレが修正されなくなるのは、世間を見ているとよく分かる話ですね。あるある話ですね。

で、この特定ステージにいる方々から発せられるセクシー画像や下ネタ、ジョーク等がなぜ不快なのかという話なんですけど、突き詰めると、まさにその、おっさんゆえに本人らのプライド=「権威性」を消せていない/消せない状況にあるから、だったりするんですよね。

「おもんない」のはおっさんが苦労して得た「権威」のせい

権威性が本人の中で拭えないままジョークを言うととどうなるかというと「セクシー画像」の挿入や「下ネタ」という「馬鹿なこと」をしているのに、同時に「馬鹿にはされたくない」「尊敬はされたい」という、いびつな構造が発生してしまうことにあります。

それはジョークの受け手に対して、リアクションを高圧的に矯正することにつながり、これが転じて「おもんない」を生み出してしまう。権力者のジョークがつまらない理由がここにあったりします。相手に反応の自由が無くなってしまう。

ジョークは「馬鹿なこと言ってらww」という受け手側からの自由なツッコミがあってはじめて笑いにつながる。

逆に、下ネタやセクシー画像を駆使しても不快にならない人というの、「権威性」を放棄している。お笑い芸人とかもそうなんですけど、笑いというのは権威性をまとった瞬間に、どんなこともつまらなくなる。

だからある種のお笑い芸人は、大御所になってなお「馬鹿にされる笑い」のために、自らをすすんで貶める。またお笑いが権威を貶めることと相性がいい理由もそこにある。

SNSだろうが対面だろうが、ジョークが上手い人は権威性にかかわらない話題をチョイスしたり、権威性を匂わせない話にもっていくことに長けている。あるいは、訓練して芸に昇華している。

これが分かっていない人はけっこういる。

万人から笑いをとりたいなら「権威」を捨てるしかない

「馬鹿にされなければ笑いにならない類」のジョークを言うなら権威性を捨てなければいけない。

或いは、その手のジョークは同等のライフステージにいる人以外には発してはいけないんですよね。

ある種のおっさんが血迷って万人に対して行う「尊敬」されたまま「笑い」をとるという行為は、絶対に無理だからやめたほうがいい。

ましてや、セクシー画像をまぜたり、下ネタを使ったりするような「捻りのかけらもない小学生レベルのお笑い」は、なおキモいだけで、誰も得しない行為だよね、と。


笑い絵:かのえの


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