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小説『エミリーキャット』第59章・similar cluster

エミリーは六年生になり下校時だけ一定の距離までは、徒歩でみんなと混じって帰り、途中からバスで帰るという形へ、徐々に変わっていった。
みんなから車での送迎をからかわれ虐められるのがイヤだというのも理由のひとつだったが、これから進学するに当たってそろそろバス通学にも慣れたほうがよいかもしれないという両親の考慮もあったからだった。
しかしその途中までは徒歩で、
その続きの途中からはバス通学という形は僅か半年でピリオドを打たれた。

というのもエミリーは異常なほど疲れやすく、家に辿り着いたあとで発熱したり、身体中、呻(うめ)くほど軋むように痛み、全身隈無く湿布まみれとなる有り様だったからだ。
パジャマを脱いで肌着姿で横たわるエミリーに湿布を貼ってやりながら佳容は思った。

“何故この子は見た目はごく普通の子供なのに、こんなにおかしな体質なのかしら?
年寄りじゃあるまいし、エミリーちゃんくらいの年頃の子供は皆、溢れるほどのエネルギーに満ちていて疲れ知らずの元気盛りの筈なのに…。
この子は何か重篤な病気でももしかしたら持っているんじゃないのかしら…?
それとも心身を司る神経や感覚の伝達が普通の子供より鋭敏過ぎるとこがあるのかも?

いずれにしても、なんだかエミリーちゃんは普通のお子さんとは何かが異っている、
それもかなり圧倒的に…。
とても奇妙な子供…。
ユニークといえば聴こえはいいけれどユニークと簡単に言ってしまえない何かどうしようもない違和感がこの子の中にはある。
その違和感は心理的にもそして肉体的にもまるで目には見えない刻印でもされたかのように在る。
でも何故その刻印が在るのか?
その原因が解らない、
一体どうしてなのかしら…

きっとビリーさんもミヨコさんもみんなそう思っている筈だわ…
でも具体的にそのことを一体どう口に出して表現して他人に伝えればいいのかみんな解らないんだと思う。
それほどこの子供自身が難しい事態なのよ、

でももしかしたら…
エミリーちゃん自身も薄々子供心にそのことを大人以上に気づいているのだとしたら…
そして独り、そのことを深く悩んでいるのだとしたら……
一体なんて孤独な子供なのかしら…一番苦しんでいるのはエミリーちゃんに他ならない。

どんなに頑張っても努力が足りないからそうなんだと叱責され、
あらゆる面で様々なことが子供から大人へと移ろう過程に従って死ぬほど難易度が上がってゆくのだとしたら…
子供であったとしても、大人ですらも…きっと死にたくなるだろう。

エミリーちゃんがいつか言った言葉を私はきっと長く忘れることが出来ない。
あんな言葉を果たして小学生の少女が言うだろうか?
あの言葉に私は彼女の中にある老成と同時に宿る‘’どうしても普通に生きられない懊悩‘’を間近に色濃く見た思いがした。

『私はきっと半分宇宙人なのよ、人間じゃないからこんなにも、
どの国のどの地に居たって、生きているのがどうにもこうにも不自由で苦しいんだわ、
私は普通に生きようとどんなに足掻いてもそれは酷く難しいし、
一生懸命生きれば生きるほど大失敗ばかりするし、それは周りをも巻き込んで破綻すらさせてしまう。
きっと私の文化と周りの人達の‘’それ‘’は違うのよ、
‘’それ‘’は私の文化圏のやり方でどんなに懸命になったって、
普通の地球人から見たら、まるで深い、でもただの傷痕のようにしか見えない、行為ではなく破壊だったり構築ではなく後退や退廃のように感じられることもあるのかも知れないわ、
そうしたらこれはネガティブだ、間違っている、不健全だ、不適切だなんだと叩きまくられる、
だから私はもうなんにもしないでそっと息をするだけでもう精一杯なの、
だって全部諦めてしまっているから…』

子供がそんな言葉を吐くなど、今まで聴いたことが私の人生で他には無かった…
その言葉を言った時、エミリーちゃんは笑ってまるで嘯(うそぶ)くように言ったけど本当は心の中では泣いていたのかもしれないわ‘’

おまけにエミリーはかなり幼い頃から酷い頭痛持ちだった。
その頭痛とそれに伴う慢性疲労と発熱、そしてまるで四肢が抜け落ちるのではないか?
と本気で恐れるほどの全身の激しい痛みや寝込んでしまうほどの、だるさが、
たびたび日常的に引いてはまた満ちる発作のように襲ってくる理由のひとつがエミリーいわくこうだった。
『いろんな声や言葉や知ったばかりの情報やいろんな歌や音楽やらが全部一度に私の中で鳴り響いていて、
頭の中が常に五月蝿(うるさ)くて騒々しくてしょうがないの、

なんとか頭の中を鎮かでフラットにしたいのに、頭の中の騒音のターンオフの仕方がどうしても私には解らないのよ、
まるで頭の中で最大限に近いボリュームのラジオがずっと鳴りっぱなしみたい、秋の虫の音色や蛙の合唱や真夏の蝉が鳴き続けているような時もあるし、でもその間中にもずっと私の頭の中のラジオは喧(やかま)しく鳴りっぱなしなの、
本や詩の朗読や知ったばかりの情報や音楽もまるで戦争映画に出てくるアメリカの飛行機と日本の零戦みたいに物凄い轟音を立てて飛び交っているの、
だからいつも頭がガンガンして痛くてぐったりするまで疲れてしまう…』
と言って鎮痛剤も欠かせなかった。

またエミリーを疲弊させるもうひとつの理由はこうだった。

人が発する言葉にはいちいち色がついていて、時には匂いまで感じるのでそれら感覚の洪水に、いつも溺れて疲れ果てているエミリーは時に吐き気がし、目を長く開けていることすら辛く、出来ることならずっと目を閉じていたい、
たまにしか眼を開けたくない、
時には余りにも疲弊が激し過ぎるとベッドの上で寝返りを打つことさえ重労働な時もある、
それらは総て人からの色や匂いの洪水による疲れなのだ等と言うので両親も妹からさえもエミリーは困惑され、不可解で時には不気味な存在となっていってしまった。他人なら尚更である。

『ガーティって怖い、気持ち悪い』などと言われても無理は無かったのだ。
だがそのことに果たしてエミリーに罪はあったのだろうか?

ピアノ教室は梗子も途中参加を、始めていたが彼女は、文字と違って音符はスムースに読めるようだった。
エミリーよりずっと後から習い始めたのに赤いバイエル、黄色いバイエルと順調に進む梗子を見てエミリーは不安を覚えた。
『梗子ちゃん凄ぉい、
黄色いバイエルもうすぐ卒業ね』ブサイクデュエットとエミリーから毒吐(どくづ)かれた例のふたり組のうちの三つ編みの少女が言った。
『ガーティにピアノ教えて上げたら?』『でもダルちゃんはピアノは上手よ、私が教えてもらいたいくらい、なんでも弾けるのよ』
と梗子がエミリーを庇った。
『でもガーティてば楽譜が読めないのよ、
だからヴォルグミュラーとピアノ小曲集を両方終わってツェルニーに突入したっていうのに楽譜を読めるようになる特訓の為にって、新しく入ったおばあちゃん先生にガーティは一番最初の片手弾きの教本のメトードローズに引き戻らされちゃったの、
せっかくツェルニーまでいったっていうのにいきなり一番最初の基礎中の基礎の片手弾きのメトードローズへ格落ちだなんてそんな人見たことないわ、
最低よね私なら恥ずかしくてもう教室へは通えないわ』
前学期までエミリー達を教えてくれていた若い女性ピアノ講師はエミリーの特性を不思議がりながらも決して否定的にはならず、耳で聴いて覚えるというエミリーにあった特殊なレッスンを尊重してくれた。
エミリーにとってそれは彼女の精一杯出ようとする芽を摘まないことであり、それはこの国では稀有な選択であると同時にとても有り難いことでもあった。

まずニ、三回、講師が楽曲を手本として弾いてくれるのを、エミリーは彼女なりのこだわりを持って楽曲のディテールに注意しながら丁寧に聴く。
するとエミリーの頭の中に音符ではないエミリーだけの楽譜が出来上がり、だいたいを諳(そらん)じて弾くことが出来るようになった。
その為に彼女は、発表会などにも他の生徒達と一緒に普通に参加することも出来た。
楽譜が読めないことを詰(なじ)られたり、かわかわれたりしてただでさえ傷つき果てていたエミリーの自尊心を、みんなと一緒に発表会に出られるという揺るがぬその現実が辛うじて彼女の心を救ってくれていたにも関わらずメトードローズへの転落はエミリーから発表会という希望の門を遠ざけてしまった。

両親や妹が揃って見に来てくれる発表会が断たれてしまい、もともと自尊心の低いエミリーは絶望したがそんな娘を母ミヨコは
『低能児でも唯一なんとかなりそうだったピアノさえも駄目になった!』
と、ヒステリカルに傷ついた娘を更に責め立てた。

‘’先生さえ変わらなかったら…‘’
とエミリーはその想いに固執し続けたが、人やそれに伴う環境の変化による問題を変えることは彼女だけではどうしようもなかった。
比較的エミリーに対して柔軟だった講師が結婚を機に仕事を離れることとなり、代わりに初老の女性講師が入り、新しいその講師は楽譜が読めないなど絶対許せないという昔ながらの固い音楽家だった。

そしてエミリーにたとえピアノが弾けても楽譜が読めないなんて、とんでもないこと、楽譜がちゃんと読めるようになる為の初歩的な勉強から再訓練が必要とエミリーにいきなり一番最初のピアノの片手弾きから始まる初歩教本のメトードローズへと逆戻りを命じた。
今までの講師はドイツのバイエルを基礎的な教本として使っていたのだがピアノ講師によっては、バイエルではなくフランスのメトードローズを使う講師も居て、初老の女性講師はその後派だったのだ。
『いいじゃないの?
また同じ赤いバイエルから始まるよりは意味は、同じでもメトードローズだったら違う教本だから目先が少しだけ変わってプライドもそう傷つかないでしょう?』
梗子からそう云われたもののその内実、既にツェルニーを習い始めていたエミリーは講師の交代による思いもかけない大きな、そして急な変化について行くことがとても出来なかった。
あんなに頑張ってツェルニーの中盤にまで進んだというのにまた初歩のバイエルなの?と目の前が真っ暗になる思いだった、

『今度のはあの赤いバイエルじゃないわ、ピンクの可愛いメトードローズよ』梗子の気休めにもならない慰めの言葉はかえってエミリーを傷つけた。
『同じよ、メトードローズなんて大嫌い』とエミリーは泣き顔を反らすと消え入りそうな声でそう言った。
もうすぐ中学生に上がるのにこの子は程度が低いからと旧い考えに凝り固まった教師の独断でいきなり小学一年生へと連れ戻されたようなものだとエミリーは感じた。
だがその頃から梗子のエミリーへの挙措が微妙に変わり始めた。

梗子は徐々にゆっくりとではあったが教科書が読めるようになってゆき、彼女はエミリーの補助を必要としなくなっていった。
と同時に最初はエミリー同様仲間外れにされていた梗子の廻りには友達が常に群れ集うようになり、それに連動するようにエミリーは梗子の傍から離れていった。
ある時、ピアノ教室の帰り、いつもより生徒の少女達が大勢おり、今日の数学の授業でガーティは四捨五入が全然出来なかったという話が一人の少女から持ち上がり、『そうそう、どうしてかしらね、不思議でしょうがないわ、
ガーティたら、九九も全然覚えられないのよ、四捨五入もどんなに先生に教えられても全然解らないんだから!
救いがたいお莫迦さんよね』
と話はどんどん膨(ふく)らんでゆき、エミリーはピアノ教室からの帰途、梗子の手前激しい羞恥心にヒリヒリする胸の奥に耐え、目の前が徐々に暗くなってゆき、立つ瀬が無くなってゆく感覚を覚えた。子供同士の虐めというのは誰かが何かが苦手であるとか風変わりだとか、あるいは太っている、あるいは体臭が強い、汗かきだとかいった大人から見れば些細な事柄も含むような微傷(びしょう)が感染源となり、やおらそれは子供達の間で見る見る浅く時には深くそして広く浸潤してゆく。

『ガーティ、この荷物持って頂戴、
大事なヴォルグミュラーが入っているんだから失くさないでよ』
『ガーティ私の鞄もお願いね、
私もピアノ小曲集が入っているから失くさないで、大事に持つのよ、落としたら承知しないわよ』『ガーティ私の鞄もお願い、
黄色いバイエルが入ってるんだから大切に扱いなさいよ、メトードローズとはわけが違うんだから、バイエルといっても、私のは黄色なんだからね』
最後にあのおかっぱ頭のキツネ目の少女が、目元と口元とにうっすらと愉悦の色を浮かべつつこう言った。
『ガーティ私のもね、
私の鞄の中にはツェルニーが入っているのよどう?羨ましい?
貴女にはどうしても登れなかったエベレストみたいなものね、
あっそうだわ、ついでに傘もお願い』
こうしてエミリーは6人ぶんの少女達のピアノ教本の入った鞄と6本の色とりどりのきつく巻いた雨傘を持ったり背負ったり、その荷物にぶら下げたりしながら、ふらふらになりながらその荷重に耐えて歩いた。
少女達の群れから遅れてよろよろと腰を曲げ、老婆のように跛行して歩くエミリーを少女達はたびたび振り返りながら
『ガーティ、遅いわよ!
早くして、何のろのろしてるのよ私達早く帰りたいんだから!
さっさとしなさいよ』
等と権高に云い放った。

梗子は最初躊躇う様子を見せはしたものの、他の少女達に
『いいじゃない、みんなガーティに運ばせてるんだから梗子ちゃんもやっちゃえやっちゃえ』
と唆(そそのか)されて、少女達の荷物を下げたり、背負い直したりで息切れを起こしている真っ青なエミリーの肩に自分の鞄をそっと掛けた。
『じゃあ、これだけ…お願いね、
傘は私、自分で持つわ』
『エー…傘もガーティのどっかに差し込んじゃったらいいのよ、荷物と荷物の間とか』
『…でも…』と梗子は瞳を悲しげに伏せた。
ゼエゼエという荒い息の下でエミリーはこう言った。
『遠慮しなくてもいいのよ、
貴女もみんなに混じってみんなと同じことを私にしたいんでしょう?そうしたいんならすればいいわ、その代わり貴女はもう友達じゃない、』
梗子は慄然とした瞳を向け、
傷ついたような色をその涼やかな瞳に浮かべたが、そのまま少女達に促されるままに淡い菫(すみれ)いろの傘をエミリーの肩にかけられた鞄の肩掛けへ引っ掻けると、
そのまま少女達の群れへと入り、馴染み、溶け込み、やがて泪に滲むエミリーの視界に梗子の姿は見分けがつかなくなった。

重過ぎる複数の荷物と傘を背負わされてエミリーはフラフラと懸命に歩を進めていたが、うつむき加減に歩く彼女の額にいきなりコーラの空き缶が飛んできた。
アルミニウムの空き缶は手にしただけではすこぶる軽量だが実際、遠くから投石するような勢いを籠めて投げつけられると、思いがけないほどの鋭利な衝撃が伴う。

エミリーは我が身に当たって跳ね返った空き缶で額を切り、眉の上から血を流しながら色とりどりのワンピースやスカートやカーディガンに装われた少女達の群れの中に梗子の姿を再び疲弊で霞(かす)む弱い視界で必死に探した。
しかしそれらはもう少女達ではなく色とりどりに研を競うように咲く花にも似て非なる‘’何か‘’のようにしか見えなかった。
その‘’何か‘’は悪意ある色彩のコミュニティに過ぎなかった。
そしてそのコミュニティは花のように咲いてなどいなかった。

だがさも均等に咲き揃っているかのように見えるのは、彼女達が子供であってさえも、そのうら若さに似合わぬ、いかに微小であったとしてもリスクを完全回避した安全な生き方しか選ばない国民性を無意識に持っているがゆえの過度な均一性の為なのかもしれなかった。
この国ではよく出る杭は打たれる等と云う。
出る杭は時として整然とした中でその並列美を乱す。
美しく秀でているばかりが杭ではないことは事実だ。
飛び出しているがゆえに邪魔だし傍迷惑なことだってある。
しかし均一性が無いことはまるで犯罪の如くこの国では雑な、あるいは悪意ある扱いを受けることが少しも珍しくない。
確かにそういった事態とは関係の無い者達から見て、フラットに地均(じなら)しされた中にある凹凸は時に飛び出した部分があったとしてもへこんだ部分と同じくらい見苦しく鬱陶しいだけに過ぎない。
その見苦しさに対して他の意味が仮にあったとしてもまずそこに注意を払う人間など居ない。
その杭に対する表向きポジティブな美辞麗句はあってもその実、杭や変わり種を取り巻く環境は異常なまでに厳しい。
日本人は目立つことを厭(いと)う余り、多様性を認めようと口にしながら実は多様であることは余り好きではないのが本音なのだ。
妙な人や自分とは明らかに異質な性や生、
また個性に向き合うのは心地が悪く不安になるからかもしれない。
だからこそ日本人は優しく緩やかに、そして慇懃に、それら不安の種を抹殺してゆくのが得意なのだ。
庭の雑草を抜くように居心地のよい環境を保持出来ると無自覚に感じてしまうのかもしれぬ。
そういった行為にたいして良心の呵責もあまり無くて済むようだ。

変わった子供も変わった大人も、似たり寄ったりの扱いの中で生きている限りそれは同じだ。
学校でも社会に出てからでも、
その人にしか解らない異常な環境や事態は死ぬほどその者達を苦しめ続けるにも関わらずそれはその者達が生きている限り連面と続いてゆく。
そしてその内実を知らなくとも、多少なりとも知ったとしても
『人間は皆、おんなじだよ、
大変なのは君だけじゃない、
いろんなことが誰にだって多かれ少なかれあるものなのだ』
などと云う当たり障りの無い一見さも正論じみた的外れな言葉で封殺してしまう風潮はいかにも日本人的だった。

良きにつけ悪しきにつけ、美につけ、醜につけ、まるで金太郎飴の切り口を見るようなやたら回避力に長けた安全なだけの行動や表現力は子供にも大人にも生き方総てに自ずと現れる。
そしてそれらはエミリーの眼には均一化され非常にバランスは取れてはいるものの、何故か一枚岩のようにチームワークに長けた中、不思議とさながらペラペラの薄葉紙のようにしか感じられない時があった。

日本は私の心から愛する祖国だとエミリーは思った。
だが自分と自分の家族さえ無事ならば後は野となれ山となれのような現実がどこまでも屹立する国境の高い壁の如く立ちはだかり、
その為エミリーは愛する日本からいつも拒絶されているようにしか感じられなかった。
それは実は出来れば全然多様でありたくなどないし周りにも出来ればそうであって欲しくはない日本の真意であり、剥げた鍍金(メッキ)の下の地金をうっかり見てしまうようなものでもあった。
エミリーはそのキツい現実を既にうら若い血を眉の上から流すと同時に理解した。

“日本は自分らしく生きる人間を激しく規制、または密かに減殺してゆく国で、そしてその苦しむ真の原意に全く無関心な国なのだ”と…
怒るよりも詰(なじ)るよりも嫌悪するよりも最悪な問題がもしあるとしたらばそれは人間だけに巣食う特有の病いだ。
それは無関心に他ならない。

無関心は今や地上に電波の如く隅々まで蔓延(はびこ)り普通に生きることで一々死ぬほど困ったりなどしない人間達を中心に感染し、ゆくゆくは些か困る程度の人間にまでそれはまるでロンドンの濃霧の如く浸潤し、拡がってゆく。

エミリーは遠ざかる少女達が甲高い同じような声を絹を割くように上げるその群れを見てそう心の隅で呟いた。
彼女は初潮をとうに迎えた少女達の中で一人だけ躰は子供であったのに心だけまるで大人のような子供へとなっていった。




…to be continued…

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