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シニフィアンという名の本屋

待ち合わせはいつも本屋だ。
超ローカル線ならいざ知らず、ソコソコの駅なら大抵近くに本屋がある。

待ち合わせを本屋にすることに、経緯はない。どちらかが遅刻しても立ち読みして過ごせるし、暇つぶしに普段縁のないジャンルにも手を伸ばすチャンス。待ち時間が全然苦にならなくて。

今日は今にも店じまいしそうな名も無い小さな書店にて。ハタキ掃除の気配もなく、実に静かなものだ。

そういえばこの間、横書きの小説があると知って驚いた。携帯小説発信か…。
若者向けのタイトルとフォントを手掛かりにして、手当たり次第にそれっぽい本を探す。

縦書きで思考するのと横書きのそれとでは、感覚が違う気がする。
絵本は既に横書きが主流。
公文書すら横書きの時代だから、今や小学校国語の教科書でも横書きレポートの書き方が載るくらいだ。

あったあった。横書き小説。

日本語の思考も欧米化してきた。縦書き文化の最後の砦はきっと、漫画の吹き出しなのかな。

なんて、平積みの最新刊コミックに手を伸ばそうとして、…もちろん立ち読みなんてできないラッピング仕様だってば。あは。

携帯小説なら、実は私も書いている。
いつも読んでくれる大切なファンだって、1人いるの。
一方で人知れず投稿作品の数は増え、一覧には小説タイトルがタイムラインのように上に上に積み重なっていく。

そう、タイムライン。小説を書き始めた頃に辞めてしまったSNS、あれはあれで自分という名前ブランドを作り込んでいく楽しみがあった。
出会った人と名刺がわりにお互いフォローしてさ。忘れられないようにイイネを押して。

でも人目につくタイムラインは、ポップな私の断片。
実名だし、誰が見てるか分からないもん。

久しぶりにログインすると、ご親切にも最後の投稿が3年前と知らせてくれる。そう考えると、デコった写真が気のせいか急に古ぼけて見えてしまった。

携帯小説はもう少しコアに迫る。色褪せない何かを描こうとして、架空の作家名を名乗ってる時点でほら、もう役者魂まで生まれてきた。

大人になるにつれ、社会のルールに沢山迫られて、それでもなんとか適応するのに日々アップアップだったあの頃。

だからどっかでアウトプットして人間としてバランスをとらないとやってらんない。

「待たせてごめんな。で、なんでわざわざ本屋でスマホいじってんの?」

来て早々、せっかくの本屋なんだから紙ベースで本を読めと言いたげな彼。

「なんとなく。ねえ知ってた? 横書きの小説を発見したの」

その本を取って手渡そうとしたら、いいよいいよと手を振って拒まれた。

「やっと見つけたかー。そうかそうか」

こんなに嬉しそうに笑ってくれるのは初めてだ。
だけど嬉しそうなはずの目がこわい。
ほんとに嬉しいなら、もっと…なんていうか無防備に焦点ぼかしてくれないかな。

「それ僕が書いたやつ。書籍化されちゃった。ビックリさせたくて内緒にしてたけど。どう? タイトル見てくれた?」

そういうこと? 改めてタイトルを眺める。

『君を殺めた僕のタクティクス99』

大人向けのタイトルじゃなく子ども騙しな…
そして改めて満足気な彼の顔を見上げれば、今までこんなに見つめてくれたことあったかなと、良いように考えるしかない。

「知ってる本なの?」
「言ったろ? 僕が書いたんだって」

温厚な人柄で、時間に少しルーズ。
そんな彼が「殺めた」なんてタイトルとは、案外物騒だ。付き合っていて気づかなかった。

でも表現の世界なら。

無かったことにしたい程の狂気の断片が、私にだってあるかもしれない。
表現者は誰の心にもある狂気を地面から掘り起こして作品に仕立てることができる。
共感するも俯瞰するも、あとは読み手次第だ。

「フフフ、タイトルの『君』って…まさか私、とか言わないでよ?」

軽口で聞いたのに、それには返事をくれなかった。

「タクティクスはね、読めば分かるけどキッチリ98まで進めてる」
「私に? 冗談」
「だって君に小説の投稿をさせたのも、一つのプロセスだったんだよ? 今やたった一人のファンのレビューに一喜一憂してるだろ? 僕とは気づかずに」

モヤモヤする。気づくも何も、彼との関係がダークでファンタジックで精緻な筋書き通り、だとでも言うの?

「君と付き合うのは7、本屋で待ち合わせするのは8、横書きを意識させたのは96、一つ一つが全部、最後のタクティクスを執行する為に綿密に設計した段取りだから。
アハハハハ」

大きな口に混乱する。腹の内側を覗けるほど広げられたら、まるで高笑いする彼の話が本物で、私が生きていると信じてきた日々がフィクション、みたい。
どうしちゃったの? 狂った人じゃあるまいし、

「嘘だよね?」
「嘘? 作り話? 夢? ハッ、そんなのどうでもいい。ついに君は、膨大な書籍の中からちっぽけなたった一冊の僕の本を手に取ったんだ。これが重要。
話がウマすぎて笑いが止まらないよ。
日々タクティクスをクリアすることだけに神経すり減らしたからね。友達も家族も全部捨てて。
それもこれも、この瞬間を待ってたんだ、長かったー。
ほらほら読んでごらんよ、素晴らしい。この奇跡的な偶然に見せかけて確実にここまで辿らせたのは、全部僕の操作なんだって」

彼が私の抱えた本を指差した。ビクッとして反射的に半歩下がった。

「私を殺す気? だってそんな理由」
「言葉は魔法だ。あとは君が99章のページをめくり、動揺して本屋から出て行くのを見送るだけで、『了』」

彼の表情と表紙の文字を代わる代わる見比べながら、ページをパラパラ開いた。
横書きのページには章ごとに詳細な言葉がまるで魔導書よろしく記されている、それだけ分かれば充分。読みたくなんかない。ばかばかし。

パタンと閉じる。棚に戻そう、その前に彼にはっきり言ってやる。

「出版おめでと。書籍なんて羨ましいわ。攻撃性に共感する読者が案外多いのね。
もう帰る。私、リアルとファンタジーを区別できないタイプは苦手なの」
「アハハ…君の存在こそが、とっくにファンタジーなくせに」

なによ。私が死んだ人みたいに。

「あのさ、区別できてないのは君の方だ。リアルを見てごらんって」
「私だって小説書いてるの。リアルくらい見てるつもりよ?」
「つもり? ホント笑わせてくれる、君がリアルと思い込んでいるこの世界はね、脈絡のない文字だけの構成。僕以外の実体が何もない。
だろ? 僕のことだってそうさ、そもそも僕の名前知ってんの?」

名前?…

慌ててさっきの本の作家名を探す。
いや、違う。この名前でなくて、彼の本名、私は彼を何と呼んでいたのか?

「ましてこの本屋の看板なんて…目に入ってないよね。本屋にいるはずの店員は見たかい? 客はいるかい?」「お客さんならいるわよ! あそこ」

ムキになって客を指して気がついた。客の背格好も性別も黒ぼんやりとして、ただ「客A」という大きな名札をつけているだけの、何? あれ。

慌てて小さな店内をキョロキョロ見回した。ようやく見つけたもう1人の顔の無い影には「客B」の名札、…

「なーに、ここは『シニフィアン』という名の本屋。僕にはね、店員も客もちゃんと存在のままに説明できる。でも何故君にはできないんだろうね? アハハ…
君の投稿する小説はどれもすっからかん。
対象と1対1で対応する筈の文字がチグハグで、主役も背景も出鱈目。
何故? どうして?」

煽られるうちに、何か乾いた音が聞こえた気がした。

「今日も更新してたよね。言葉だけ空回りさせて文字数増やしてディスプレイに貼り付けて。
いくら頑張ったって誰も読まないのに」

硬くて薄い小さな欠片が落ちるような気配。

「無理もないよね。君が存在するこの世界は君が携帯小説で描く設定そのものだから。
僕のことが全てみたいだけど頭の中それだけ? ストーリーも何も…アハハハ
何にも見えちゃいないだろ? 見る気もないか。
だよねー。だってさ、」
「言わないで!!」

それ以上は…

だって、私の周囲には縦と横、整然と貼りついた文字
本棚の本の列だと錯覚していた無秩序なフォント
文字を隙間なく埋め込み取り囲む、六面体の巨大なディスプレイ

壁となって私の存在をこの世界の空間に保証してくれた架空のディスプレイから奇妙な文字列が、
ポロ…ポロ…
剥がれ堕ちていく。

ひらがなが、漢字が、アルファベットが、アラビア数字が、ヘルベチカが、ニューシネマが、ニコラスコシャンが、ジェリービーンズが、

今ゆっくりパラリパラリこぼれて床に積み重なっていく。隠しコマンドで重力に捉えられた文字のように。

もうやめて…
今も一つ、また一つ、600000語の文字は各々堕ちる毎に加速して、みるみる壁が崩壊する。

居場所の無い私を護ってくれた文字のフィクション。彼はその脆さに対して、トドメの言葉で崩落させガラクタの山にしようとしている。

それでもまだ私は現実を直視できない。

「いい人」「憧れの先輩」「温厚」「時間にルーズ」そして新しく加わったばかりの「物騒な表現者」、幾つかの名札を貼り付けた名無しの彼が私から本を取り上げ、99章のページを開いて目の前に押し付けたせいで、

私の目の前は真っ暗だ。

「リアルでは君は3年前にもう…亡くなってるんだから」

ふと思う。この3年もの間、彼以外の人の誰かと会話したか?
分からない、もしかして、視界に入れることすら…

『君を殺めた僕のタクティクス99』は平積み売れ筋の本の上にぞんざいに投げられた。その小さな振動に、まとまった数のMS明朝がカラカラッ…と崩れ堕ちた。

「長い時間引き止めるつもりもない。最後の最後で筋書きがオシャカになるなんて嫌だね。もう帰れ。死ぬなら本当に死んでくれ」
「わ…私のこと、好きって言ったのは?」
「タクティクス44。」
「ひどい!」
「ひどい? それはこっちの台詞だ。肉体から離脱した悪気のない狂気、それが君の名札。
取り憑かれた僕の三年間は、まさに酷い毎日だったよ。眠れない、働けない、食えない、独りヤケになって怒鳴りちらせば通報される、でもこれで終わらせてくれ。
この後本屋の前の通りに出ると、動転した君は通行人たちにぶつかりながらフラフラ歩く。すると故障したドローンが真上から墜落してくる。惨事にならずに済む理由はね、君の頭上を狙って落とすから。ところが君の頭を砕くはずの機械の塊が、全く痛くない。不思議に思い、すくっと立ち上がるんだ。でも周りの人間は壊れたドローンのことだけを騒いでいる。

何故か?

さあ、死んだことを自覚しに行けよ。早くっ!」

ずっと片思いだった。
ずっとずっとずっとずっとずっと心残りで、一片の好意でいいから欲しかった。
好きと言われたら今度はずっとずっとずっとずっとずっと離れたくなくなって

「生きてるうちに口も聞いたことすらない君、自死なんだって? 肉片がバラバラに飛び散ったそうじゃないか。
でもさ。君は誰だよ、知らないよ、なんで僕なんだよ? なんで僕につきまとうんだ? 僕何か悪いことした? 盛り塩もお祓いもお経も効かないのはさ、狂った君の魂なんて、よっぽど横書きで刻まれてんだろな! 携帯ばっか弄ってるから!
これで完全に死ね! 消えろ! もう二度と出てくんなよっ!」

彼は、ぐずぐずする私を容赦なく追い払う。

待ち合わせしたり、面白い本を勧めてくれたり、それぽっちのイベントでも、幸せのストーリーを膨らますには充分で。

だけどこんなやり方って…確かに名前も知らない彼に恋をした。でも今の彼は思い描いた彼とあまりにかけ離れて、気づけばさっきまで付いていた彼の名札までもが堕ちて壊れて無くなって、

そこに居るのは、大口を開け怒り狂った形相を晒した1人の男。

もう、やだ。
お呼びでない本屋『シニフィアン』をプイッと出ると、風が吹いた。実体が朽ちた私なんて、遮る壁まで失ったから、この澄み渡る空の彼方まで飛ばされそうじゃないか。

立ち止まり振り返った。彼の言う通りね。投稿サイトの小部屋は文字ばかりで居心地よかった。こんなにもリアルな物質に溢れる世界は、私にとっては息苦しい。名札が多すぎて胸が詰まる。涙が出るほどに。

「もういい! 分かった! 風の音も匂いも、ここには沢山の人たちが泣いたり笑ったりしながら生きていて、
そうよ、私はあなたのことが好きで好きで忘れられなくて、他は何も要らなくて、
でももうずっと前に死んでたの。あなたに何も伝える前にね。帰るったって、…
あとはこの世界から消えるだけ!
さよなら!
ただ、最後にこんな形で突き放されたくなかったよ!」

帰り道はどこ? 風に喚く私を気にする人もいない。
見えてないんだった、実体が存在しないのだから。
ドローンが落ちてくるんでしょ?
怖くない。だってどうせ痛くもなんともないから、
さあ!

「待て!」

追いかけてきて後ろから強く抱きしめてくれた彼。

「人の痛みを失くしたのは僕かもしれない」

たった今、彼の頭に真上からドローンが墜落。

無機物と有機物の断片があたりに飛散。

世紀の大抱擁だったのに…
通行人ABCDEF…の流れは悲鳴とともに騒然とし始めた。

「確かに重荷だったんだ。僕の武器は言葉しかない。でも人の弱さを平気で踏みにじって言葉で弄んだのは僕だよね。冒涜だ。悪かったよ」

そう言い遺し倒れてしまった舗道の上に、真っ赤な色が広がる。
あなたもこの賑やかで色鮮やかな世界とお別れするのね。
愚かなほどにいい人だったな。

狂ってしまった頭が砕かれてしまった彼。するとその割れ目から黒ぼんやりとした彼が、すくっと立ち上がった。

「帰ろうか。迷子にならないように送ってくよ」

私は頷いた。

彼の人生を狂わせたとはあまり思わない。
私は3年もの間騙されていたようなものだし、彼は狂ってしまった人生の一番最後を、情けの断片でちゃんと飾れたんだから。今度書き足せば? タクティクス100。あはははは。

言葉なんてさ、完璧じゃない。だって記号だもん。いくら数が増えたって、伝わった気分に安心するだけなのよ。分かっちゃった。
だから頭砕いた方が、断片がよく見える。

あ、ちょっと待ってて。あなたの壊れた中身、最後に覗いてからでもいい?
そしたら私だってもう少し、あなたの伝えたかったことが分かる気がするの。

さあて、断片でも肉片でも拾い集めて鮮度落ちる前にどんどん書かなきゃ。携帯小説ってどこからでも送信できるから便利。タイムラインにアップするタイトル、次は誰の頭を覗いてみよう? 凄い作家さん見つけちゃったらどうする? 割っちゃう? 砕いちゃう? 例えば人気急上昇のあの人…そして私の作品がもし書籍化されちゃったら? あはは! 実体化しちゃう? どうする? どうなる? どうしよう?

ところで彼は…

「あなたの名前、なんだっけ。投稿作品もまた書いてね。異界からだって、むしろやり方簡単よ? 時々読みに行くし。…時間があれば」

掻き回したドローンの残骸の中からカラン…と転げた文字の欠片。

h

u

m

a

n

b

e

i

n

g

風に吹かれ、私たちの行く先とは間逆のてんでバラバラな方向へ、赤い雫を垂らした文字が

カラン…カラン…

と飛ばされてった。












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