【秋田県男鹿市】今も息づくなまはげ文化を「なまはげ館」で体験する
秋田を代表する文化の1つ、なまはげ。
その伝承が残る男鹿半島には、なまはげ文化を現在に伝えるなまはげ館が存在する。
なまはげ館があるのは、以前紹介した同じ男鹿市でも男鹿水族館GAOからは車で20分程度、男鹿半島の西部にある中心街からも方向は違えど車で20分程度の場所にある。
いずれにせよ、山々を越え曲がりくねった道を行くために、実際の走行距離よりもかなりの距離を移動したような感覚になる。
自動車が普及するまでは、集落間の移動には相当の苦労があっただろう。この地形ゆえに文化の独立性が強い集落が点在したことも、後述する多様ななまはげの姿が生まれた一因なのだろう。
なまはげ館のある真山神社は、冬の五大祭りの1つであるなまはげ柴灯 (せど)まつりの会場でもある。
毎年2月の第2金曜・土曜・日曜、2024年は2月9日から11日にかけて行われるこの祭りは、平安時代から真山神社で行われていたという「柴灯祭」が元になっている。
現在行われているなまはげ柴灯まつりは観光行事としての性質が強いが、元々の柴灯祭でもなまはげは山の神の化身としての役割を持つ重要な存在だ。
地図にある「なまはげの玉」なるものが目を引いたが、実際に行ってみるとそこには「なまはげの玉」としか表現し得ないものがあった。
男鹿の海と空と山、そして3体のなまはげの姿をモチーフになまはげの魂を大理石のモザイクで表現した作品らしい。ただし、製作者のサイトでは「なまはげの魂」と表記されておりどちらが正式なタイトルかは不明だ。
ここに来る途中にも近しいデザインのオブジェを見かけたが、こちらも「なまはげの里」というタイトルの同一製作者による作品だそうだ。
道に沿って進んでいくと右手に見える石造の建物、これがなまはげ館の入り口だ。
この石は寒風石という男鹿にある寒風山でで取れる銘石を使っているとのことだ。
なまはげ館の展示はまず、なまはげの息づく男鹿の文化の紹介から始まる。
この先にあるのは文化としてのなまはげを紹介するコーナーだ。
なまはげの起源として提唱されている様々な説の解説や、国内外の類似した祭りについての解説や展示が行われている。
この先のなまはげ伝承ホールでは記録映画「なまはげの一夜」が30分おきに上映されている。
なまはげ行事の一連の流れなどを記録したものなのだが、演出も凝っており非常に面白かった。
なまはげの館を訪れたら絶対に見てほしい。
また、なまはげ伝承ホール内ではこの映画の上映以外にも、柴灯祭の解説など特に真山神社周辺におけるなまはげ文化についての詳細を紹介している展示もあるので見落とさないように注意してほしい。
そしてこの先、最後にあるのがなまはげ館の目玉であるなまはげ勢揃いだ。
男鹿市の各地で実際に使われていた仮面を被ったなまはげのマネキン110体と仮面40枚を展示した、なまはげ勢揃いの名に恥じない宇宙最高のなまはげ密度を誇るスポットになっている。
迫力の凄まじさもさることながら、改めて男鹿のなまはげの多様性を実感できる。
そして残念ながら今回は時間の都合で行くことができなかったが、なまはげ館には男鹿真山伝承館という施設が隣接しており、こちらでは実際になまはげ行事を体験することができる。
本来ならば大晦日に、地元の人でしか体験できない習俗を観光客が体験できるという非常に貴重な講座だ。
なまはげに限ったものではなく、地域の伝統行事に対して「大事な文化だから受け継いでいこう」と言うのは確かに簡単なのだが、それを受け継ぐ側の負担も並大抵のものではない。
よく取り沙汰される担い手の現象1つとっても、その原因は若者の地方離れによる担い手の数の減少のみならず、こういった祭りが行われる農閑期はかつてこそ時間的に余裕のある時期だったが、農家以外も多い現代で働く人間からすればこの時期にまとまった休みが取りにくいという変化もある。
また、生活様式の変化や技術発展の中で、存続が難しくなる容易に手に入っていた装束に用いる材料の入手が難しくなるなどといった問題も出てくるだろう。
そういった中では、文化を継承することのみならずそうした文化が存在したことを語り継いでいくこともまた重要になってくる。
是非なまはげ館を訪れて、なまはげという文化をその目に焼き付けてほしい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?