赤いスマホ
幾度となく、必ず目が覚めるとテーブルには、赤いスマホが置いてある。
もちろんの事だが、それは私のスマホではない。いつも枕元に目覚まし代わりに置いてある、紺色のスマホが私のである。
ということは、テーブルに置いてある、この赤いスマホは一体何だ? という意味になる。
最初のうちは、近くの交番に届けていた。
しかし翌日になるとまた、テーブルの上に赤いスマホが置いてある。
これの繰り返しだ。正直に気色悪い。
私は部屋をくまなく探した。空き巣に入られていたら困るからだ。
だが何も取られていないし、私の部屋に変化はない。
では、何故この赤いスマホが置いてあるのか?
※※※
翌日を迎える。
まただ。
赤いスマホが置いてある。
これが繰り返される。
不気味で仕方がない。
毎日毎日、それこそデジャヴの様に、テーブルの上に『それ』は置いてある。
私はある事に気が付いた。
そもそもこの赤いスマホの中身、つまり『個人情報』を何故、覗こうとしなかったのか。
パスコードや何かしらの認証は必要となるだろうが、もし認証が掛かっていればスマホの中身は見ることは不可能。
しかし万が一、認証が掛かっておらず、見ることが可能だったとすれば。
赤いスマホを手に取り、画面をタップする。ロック中の画面が表示される。
当たり障りのない画面。
人差し指でスライドする。
どうやら認証が掛かっていない様だった。
そのまますんなりと、ホーム画面へと切り替わった。だがホーム画面を見た私は「うっ」と声を上げてしまった。
アプリが1つしかない。
スマホには基本的に『設定アプリ』を筆頭に、様々なアプリが入っているはずだ。
しかし今、目の前に表示されているのは、『写真アプリ』しかなかった。
私は気味が悪くなり、そのままスマホをゴミ袋に放り投げ、直ぐに結んで玄関へと向かった。今日はゴミの収集日。分別など、そんなものを考えている暇などなかった。
※※※
まただ。また置いてある。
私はすぐさま自分のスマホを手に取り、娘に電話を掛けた。
娘は数年前に結婚して、今は別の所に住んでいる。娘に電話したところで、状況が変わるという訳でもないのだが。
「もしもし? どうしたの、お父さんから電話だなんて珍しい」
「いや、別に……これといった用事でもないんだが」
「そう? でも声が何だか変よ、何かあったの?」
私は娘に指摘されて気付いた。声が上擦っていた。そして呼吸も若干乱れている。
「赤いスマホが………」
「赤い? 何?」
「赤いスマホがあるんだ………」
すると娘が、
「赤いスマホ? お母さんのスマホの事かしら?」
妻のスマホだと?
おかしな事を言う。私の妻はもう5年前に亡くなっている。
だが。
妻が使っていたスマホは、確か『赤』だった気がする。
「母さんのスマホだと?」
「うん、お父さんがこれだけは思い出が残っているから手放せないって言って、持ってったじゃない」
思い出した。
妻はスマホでよく旅行先で、「思い出だから」と言って、写真を撮ってスマホに保存していた。
普通の散歩でさえも、何かしらを撮っていた。
そうだ、そうだった。
私は娘との電話を切って、テーブルの上に置いてある赤いスマホに手を伸ばした。
ロック表示画面からホーム画面。
あるのは『写真アプリ』だけ。
そうか、これは妻の思い出が詰まったスマホだった。
何故、今まで忘れていたのか。
私は呆けてしまったのか。
そんな風に複雑な気持ちで、写真アプリをタップした。
おかしい。
何かがおかしい。
写真アプリをタップしただけなのに、何故画面が暗くなるというのだ?
漆黒。
今にも吸い込まれそうなほどの漆黒。
画面をタップする。
何も反応しない。
まるで電源が切れたかのようだ。
もう1度タップする。
何も表示されない。
その時、何かが私の背後を通り過ぎた気がした。
振り返ろうとするが。
振り返る事が出来ない。これは、金縛りとか、そういう事ではない。
私の本能が「振り返るな」と問いかけている様だった。
しかし間違いなく背後に何かがいる。
床を這いずる音がした。
間違いない、何かがいる。
私は慌てて娘に電話をする。
通話音が繰り返される。早く、早く出てくれ。娘が電話に出た。
はずだった。
「き…がぁ……だだだ………くるせ……ちい………」
娘の声ではない『何かの声』
「ひひ……でぃるる………き………なん……びぃよう………ほで………」
私はすぐさま電話を切った。
と、同時に赤いスマホが鳴った。
私は声を上げてしまった。
背後の『何か』が反応している。
き…がぁ……だだだ………くるせ……ちい………ひひ……でぃるる………き………なん……びぃよう………ほで………。
背後から確実に聞こえてくる。
赤いスマホは鳴り続ける。この音に『何か』が反応している。
私は振り返らず、赤いスマホの画面をタップした。
「き…がぁ……だだだ………くるせ……ちい………ひひ……でぃるる………き………なん……びぃよう………ほで………」
※※※
「✕✕さん……✕✕さん………」
老人は介護士に名前を呼ばれていたが、全く通じていなかった。ただ真っ白な天井を見つめている。
「✕✕さん、夕ご飯ですよ~」
介護士の声に何も反応しない。
しかし、老人は何かを呟いている様だった。
「き…がぁ……だだだ………くるせ……ちい………ひひ……でぃるる………き………なん……びぃよう………ほで………」
介護士は老人の身体をベッドから起こす。
老人の手には、赤いスマホが握られていた。
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