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廃屋敷と歩く椅子


同じ夢を繰り返し見る。古びた洋館の中に俺はいた。声だけが部屋に響く。いない。いない。いない。そう呟くのは人ではなく椅子だった。
椅子が四本足で歩きながら廃墟で帰らぬ主人を待ち続けていた。


1.プロローグ

廃墟が大好きだ。
あの退廃的な魅力が僕を捉えて離さない。
若者たちの間で流行している廃墟巡りツアーに参加したり。視聴率を上げる狙いでホラーテイストにした動画投稿。娯楽的な要素多めのそれらとは僕の廃墟好きの度合いは嗜好もジャンルも全く違う。
僕の趣味は芸術的な産物としての廃墟。その神聖やその周辺の物への尊敬を表現している。
滅びゆく廃墟の時間の流れを写真を撮って集めているアンティークコレクターのようなものである。マニアックな趣味かもしれない。僕は好きなものをシャッターにおさめたくてそれに没頭していると時間が永遠に感じる。その瞬間だけが日常の中で一番自分らしくいられる時間だと思っている。

「せわしない日常」が苦痛に感じるようになってしまったのは、僕が故郷の田舎から富士山の見える街へ仕事のために引っ越してきてからだった。
仕事は建設業。主に肉体労働で、決めた理由は給与が高いということと寮つきで家を借りなくて済むということだった。僕には目的があった。やりたいことがあるので、それを叶えるためにはとにかくまとまった額の金を貯める必要があったのだ。
しかし単身、赴任してきたこの街には知り合いも気を紛らわす娯楽もなく、暑い日や寒い日の労働はきついものだったし、寮の制限はかなり厳しかったので息抜きができずに僕はだんだんストレスに耐えきれなくなっていった。日常の繰り返しを僕はもてあました。
そんなとき休日に富士山のふもとにある樹海にふらっと気晴らしにドライブをしにいった。窓越しに流れていく景色を眺めているだけで心のよどみが消されていく。ふと使われていない空き家が無数に目に入ってきた。どれもがこじんまりとしているのに目立っていた。別荘のようだったが、なぜかそれらの寂れた建物に僕は惹きつけられた。その空き家の中を散策してみたい気持ちになった。他人の所有である空き家を許可なく探索することは当時の僕にとって背徳感も手伝って密かな楽しみになっていた。だが良くないことは明らかであり、すぐに所有者に連絡をして許可を得てから探索することにした。
いくつか目星をつけた別荘を巡りながら気がついた。
誰かが住んでいたはずの誰も住んでいない家。経過年数の長い建物の中にある空間の魅力は歴史だ。
歴史が古ければ古いほど醸し出す遺跡のような不思議な魅力も増していく。
僕は取り憑かれた。
それ以来自分好みの廃墟にあるアンティークたちの写真を撮ることが僕の新しい趣味になったというわけだ。

ある日いつものようにネットで検索していた僕は廃墟の部屋の写真に釘付けになる。
実を言うと最近、毎日同じ夢が繰り返されていることがずっと気にかかっていた。神経質な自分の性格からきた睡眠障害かと心配になり心療内科に行こうかと思った程だ。
夢の中で僕は寂れた洋館の中を毎回彷徨っている。
そして必ず最後に青いアンティーク調の椅子に触れた瞬間に夢が終わる。そんな夢の内容が毎日気になって仕方がないのだ。
そのことが仕事中もずっと頭から離れずに困るほどになってきた。
だから廃墟で検索して見つけたサイトの写真の中にそっくりな椅子を見つけたことは奇跡に近い。
これは呼ばれているということなのだと僕は確信した。サイトはやはりホラーな感じの都市伝説的な話を集めたものだった。誰も住んでいないはずのその廃屋敷から声がするとか、人魂が見えたとか、そういう月並みな話だった。
調べたところ、そのネット上に上がっていた椅子のある家は自宅から遠く距離があって交通の利便性が悪い上に、山の頂上に建っていて到着までかなり時間がかかると見た。
しかし自分の車で行けそうではある。
僕は本当のところは車の運転が苦手だ。
高速道路で時間短縮をしながら安全運転で休憩をとりながら目的地に向かうことにした。

あくる朝三時に目覚ましをかけて四時には出発する。やっとのことでたどり着いた頃には日が暮れかかっていた。疲れていたのだが宿泊先に向かうより前にどうしても廃墟に先に入って夢の中の椅子と同じかどうか確かめておきたかった。
遠目に見える夕暮れ時の廃墟もまた風情がある。
時間帯によっては違う顔を見せる所も魅力の1つだ。
朝、昼、夜では表情が違って見える。
良い写真が2、3枚撮れたら一旦戻るつもりだ。
緊張感で胸が高鳴る。

2.招かれた客と招かれざる客



その廃墟の門は蔦が絡まり侵入者を拒絶しているように見えた。僕は怯まずに蔦や伸び放題に伸びた雑草をかき分けながら庭に入り、入り口から中に進もうとした。しかし玄関には鍵がかかっている。持ち主には開いていると確認したのだが。色々な場合を想定して慎重な性格の僕は非常時にも困らないような服装をして、丈夫な靴を履いてきた。簡易なキャンプ道具やサバイバルナイフも持参している。
僕は手入れがされずに庭木が伸び放題の裏庭に廻った。
「あっ。」
ギクリとした。
こちらをジッと見つめるように立っていたのは白い大理石でできた少年の彫刻だった。なんだ。驚かせるなよ。僕はボロボロに朽ちかけた木の柵を超えて鍵のかかっていない裏口から建物の中に入った。
中に入ると広い広い居間が奥まで続き穴の空いた天井から光が漏れる。周囲の壁紙は剥がれて垂れ下がっていた。僕は携帯していた懐中電灯を灯す。カメラも一応持ってきた。
樫の木でできた艶のある時計。針は止まったまま動かない。テーブルに置かれたままのマイセンのティーカップ。今にも落ちてきそうなほどに傾いたシャンデリア。年代がわかる古くて破れた雑誌。埃だらけの色褪せたソファー。綻びたうつ伏せ状態のままの人形。
ふと僕の耳に人形が「起こして。」と語りかける錯覚に襲われた。僕は人形の両脇に手を差し入れ、そっと持ち上げた。ソファーに座らせてあげると人形は一瞬笑顔になった。いや少なくとも僕にはそう見えた。ホッと一安心したのも束の間、次の瞬間にはもう無機質な人形の顔に逆戻りしていた。ガランとした居間を通り抜けるとそのままキッチンに突き当たる。アイランド型キッチンはこれまた広いが荒れ放題だ。シンクの下の扉は開けっぱなし、食器はシンクに積まれたまま、コンロには少し錆びついた鍋が置かれていた。ついさっきまでこの家の主婦が料理をしていたのに途中から突如、時間が切り取られたかのような異様な光景。まるで録画した映画の停止ボタンを押したかと思うような無情な空間がそこに横たわる。
キッチンを隔てる廊下があり階段が下と上に続いていた。

僕はまず上に向かって一段ずつ慎重に登っていった。階段はミシミシと軋む。
「バキッ」と音を立て老朽化した階段の一部が割れて、僕はバランスを失い転倒しかける。だが、咄嗟に手すりを掴み寸前に転倒を防ぐことができたのは反射神経が優れているおかげだった。
あぶないあぶない。気を取り直し上の階に着いて扉を開けると子供部屋らしかった。
おもちゃのブロックで出来た腕のない恐竜や割れたゲーム機や空気の抜けたサッカーボールが転がっている。

男の子の部屋だったのだろうか。
外を見たが窓まで伸びた生い茂る木々が鬱蒼と空を隠していて時間の経過がわからない。
隣り部屋に移動する。
見渡すと色褪せた花模様のカーテンが力なく垂れ下がり、たくさんのぬいぐるみや転がった赤いランドセルを見て女の子の部屋らしいとわかった。部屋は先程よりかなり暗い。急いで写真を撮り、階下へ降りることにする。今日はこの辺りで帰るとしようと決めた途端、物音に気がついた。

ガタンゴトン

ガタン

ビクッと肩が反応した。
僕は耳がいいので何の音か大体わかってしまう。床材の上を硬い木の家具を移動させる音。
誰かいる。
僕は逃げるよりも先に何か武器になるものを探した。こういう人気のない場所にある廃墟には稀に、招かれざる客が迷い込んでくることがある。
サイトに公開されている家だ。冷やかし目的の若者やホームレスの侵入などがあるかもしれない。
カメラはキッチンに置いて見渡すと金属バットが立てかけてあるのが見えた。よし、これでいい。一度懐中電灯を仕舞い込み右手で柄を掴んでしっかりと握りそのまま階段を降りていく。地下には金属製の扉があり真鍮のドアノブを静かに回した。誰もいない。金属バットは床に置いてかわりに懐中電灯を取り出して、照らしてみる。
僕は固まった。
夢に出てきた部屋はここだ。はっきりと確信した瞬間だった。そこは書斎だった。書棚には分厚い洋書や法律系専門書がずらりと並ぶ。机とかなり古い型のパソコンが一台。そして目に鮮やかなブルーを基調とした革張りの椅子がひとつ。
特徴的なこの青い椅子!夢に出てきた物に違いない。
僕は近づいてよく見ようとして違和感を持った。
おかしい。荒れ放題のこの廃墟なのにもかかわらず、この椅子はピカピカに磨かれたかのように綺麗なまま。この部屋もこまめぬ掃除されているかのように埃ひとつない。僕はその違和感が勘違いではないと思いたくて一度部屋を出て周りを照らす。廊下はたくさんの残留物であふれかえっている。壁は汚れが目立ち、蜘蛛の巣だらけだ。やはり気のせいなどではない。

ガタン!

さっきの書斎から音がした。
僕は金属バットを拾いあげ、構えたまま中に入ると有り得ないものを視界にとらえた。
書斎机におさまっていたはずの椅子が歩いている。器用に右に左に身体を傾けながら部屋中を歩いていた。
「いない。いない。いない。あの子たちが帰ってこない。心配だ。心配だ。」
椅子はたしかにそう言っていた。
ギョッとしたが僕は意識とは関係なく反射的に話しかけていた。
「誰を待っているのかい?君は。」
「杏子と凛音。二人出かけたまま帰ってこないんだ。いつも夕食後にはわたしのいるこの地下の書斎にきて一緒に遊ぶのに。」
鮮やかな青い光沢のある革張りの背中には黒いマジックで鳥の絵が描かれていた。小さい子供が落書きしたのだろうと思われた。
「子供たちどころか誰もいなかったよ。この家には僕と君以外には誰もいない。」
椅子はその答えにはスルーだった。
「その子供たちはいつからいなくなったの?」
「わからない。昨日か、おとついか、、それより前からなのか、、」
そしてまたガタンゴトンと左右に体を動かしながら落ち着きなく部屋中を徘徊しだす。
「ちょっとまって。」
僕は何か小さくて光るものが椅子の革張りの上に乗っているのを見つけた。銀の鍵だ。
その鍵を拾い上げよく見るとかなり古いタイプのものだった。
鍵付きのドアは二階にはなかったので僕はまず地下のドアの中にこの鍵と合う場所がないか探すことにした。隣の部屋には鍵はない。その隣も鍵付きだが合わない。探しながら歩く僕の後ろを椅子は器用に右へ左へ身体を傾けながら、猫か犬のようについてくるのだった。
しかしこの家は馬鹿みたいに広い。地下にこんなにたくさん部屋が必要とは思えないがとにかく、すべてのドアを確認した。一階の鍵付きの部屋も確認したが合わない。諦めて書斎に戻り、壁にもたれかかりふと見ると、あることに気がついた。本棚が平行に動くことに。
力を込めてスライドさせると本棚の向こうに赤い扉が現れて僕は期待に胸を膨らませる。隠し部屋だ。
中は真っ暗。懐中電灯で照らしながら鍵穴に銀の鍵を差しこんだ。
「カチッ」
鍵は見事に合い、僕と椅子は中に入る。その時、上階で「ドンドンドンドン!!」
と乱暴な足音と同時に叫び声が響き渡った。

3.次元の向こう側


「やめろ!なんなんだお前たちは!」

上階で誰か複数の男たちと女性が一人、争っているような物音と声が聞こえる。僕は慌てて再び金属バットを握りしめ部屋から出ようとした。
!?開かない。まるで向こう側から鍵をかけられたかのようにドアノブがびくともしないのだ。そんな馬鹿な。さっき開けて入れたのだから出られないはずはないのに。僕と椅子は閉じ込められた。泣き声が小さく響いた。
「あ!杏子と凛音の声がする!」
椅子は叫ぶとドアに体当たりした。小さな木の破片が飛び散った。
「無駄だよ。やめとけ、壊れるだけだ。」
無論ドアではなくて椅子を心配して僕は言った。
「でも二人がアブナイ。」
「どうやら悪い連中が侵入してきたようだ。変だな。家族が帰ってきた様子はなかったのに。」
僕の耳は特別だから誰かが侵入して気が付かないような脆弱な聴力ではない。人が争っているのは一階を超えて二階だとはっきり音が訴えている。
それはまるで突然、上から人が降って湧いたような感覚だったのだ。
「子供はどうする?」
30代くらいの男の声がする。
「顔を見られた。生かしておくのは危険すぎる。連れて行け!」
泣き声がやんだ。
「おい。男と女は薬が効かないぞ。どうする。」
「何グズグズしてるんだ?始末しろ。」
それを聞いた途端に僕は反射的にドアをバットで殴った。
開け!
「ぎゃああああああ!!」
男の叫び声とそれに続いて女性の金切り声が響いた。その直後階段を数人が下る音が響く。
開けよ!
ガンガン扉を殴って壊れかけたところを思い切り蹴り倒してドアの蝶番(ちょうつがい)を破壊した。
僕は全力で階段を信じられない速さで駆け上がった。そのあとを椅子が続く。
「ハヤク、いそげ、ハヤク!」椅子が僕を追い立てた。

息を切らして二階に駆け付けると、何かに足をとられて勢いよくすべり転んだ。
「痛っ!」
転んで咄嗟に手をついたはいいが、木の床は古くささくれ立っている部分についてしまい、けがをしていないか見ようとしたが何かで濡れている感覚がする。なんだ?ヌルヌルした自分の手を見ると真っ赤だった。息をのむ。僕は血の水たまりに足を取られて転んだのだ。
見ると男性が血だまりの中に頭を突っ込んで倒れていた。そしてその先には女性が同じように突っ伏している。
僕は慌てて男性の首に手を当てる。脈はない。鼻に手をあてても同様に息をしていない。即死か。
女性のほうも確認したがすでに息が止まっていた。
僕は慌てて携帯を取り出して110番通報しようとして画面を見た。
圏外だ。くそっ!!!二階のベランダにでようと駆け寄った瞬間、外の異様な雰囲気に僕は圧倒されてしまい身体が凍るのを感じる。
外界は血のように真っ赤に染まっていた。空も森も地面も家も何もかも。今は夜の7時くらいなはずなのに、空には星や月はないどころか闇さえ消えてしまっていた。僕は頭の中をフル回転させた。こんな緊急時にどうすればいいのか必死に考えた。緊急時?いや、異常事態だ。
今この状態が夢であろうとなんだろうと最善を尽くすことが信条なのでとにかく僕は倒れたままの死んでいるかもしれない男女の蘇生措置を行うことにしたがどう見ても手の施しようがない。
「アアアアアアアアアァ!!」
椅子は動揺して何かを叫んでいた。叫びたいのは僕のほうだが。
「もう二人は死んでいるかもしれないな。」
「シンダ?そんなことあるわけないじゃないか。お父さんとお母さんがシンダなんて!ぜったいにあるわけない。子供たちはどこにイルンダ?」
と椅子は叫んだ。
「わからない。おそらく二人を襲った人物が連れ去ったと思う。」
「ナンだって!おいかけなくてはならないぞ!」
椅子は飛び出そうとしてハッと立ち止まった。
誰かが玄関口に立っている。


そこには灰色のくたびれたコートを着た背の高い男が立ちはだかっていた。
「オマエはダレだ?」
椅子は邪魔するなといわんばかりに地団太を踏みながら叫んだ。
「俺は検察の榊原だ。公安の人間は俺一人か?到着が遅すぎる。」
「マテ。オマエなんか知らない。そこを通さないと踏みつぶすぞ。」
男は驚いて飛びのき、ファイティングポーズをとった。
「な、なんだ?椅子がしゃべったぞ。」
僕が間に入った。
「検察の方ですか?刑事ではなく?」
「そうだ。いや、おかしいぞ。君たちが連絡してきたんじゃないのか。」
「どうも様子がおかしいんですよ。とにかく人が二人も血を流して倒れているんです。携帯で救急車を呼ぼうにも圏外でしてね。」
僕は冷静に答えた。
「君たちそこをどきなさい。でも誰一人外へでるんじゃないぞ。
それにしても変だ。なぜ警察が来ないんだ。」
榊原は携帯を見る。
「嘘をつくな。アンテナは立っているぞ。」
彼は電話をかけてみる。
「誰ともつながらない。」
空はさっきよりも血のような赤色が濃くなってきた。僕たちはいったいどこにいるのか。異次元にでも迷い込んだとしか思えない。
「とにかく先に遺体の検証をする。君はつながるまで警察と救急に連絡をしてくれ。」
「わかりました。」
榊原が二つの遺体に近寄り手袋をはめて手を当てている。
「二人とももうすでにこと切れているな。」
椅子が騒ぎ立てた。
「ハヤク、ハヤク、犯人をおいかけなくては。」
僕は電話を狂ったようにかけまくっていた。20回くらいかけただろうか。突然つながった。
「はい、警察です。どうされましたか。」
「人が刺されて死んでいるみたいなんです。すぐに来てもらえますか。」
「住所はどこでしょうか。」
僕はこの廃墟を探した時の履歴を見ながら言った。
「そのような住所はありませんが。間違いではないですか?もう一度落ち着いて言ってみてください。」
電話の向こう側ではそんな答えを発する。僕はそんなばかな、ありえないと言いながらもう一度ここの住所を伝えた。
しかし答えは同じだった。














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