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才能

私は自分に小説や音楽の才能があるかどうかはほぼ意識していない。

時々、小説も曲づくりもうまくいかなくて、一カ月経っても掌編やイントロすらできない時は「マジで自分むいてない…あほなんちゃうか」と思ったりする。

5000回くらい思ってきたけど、創作はそういうのもセットであたりまえ。と、最近は思っている。
このnoteに投稿している掌編小説や日記でもどんスベリを繰り返しているが、それも良い作品を作るのに必要な失敗だと思っているので、スベった記事を消しはしない。

正直、0いいねだとヘコむけど、ヘコんだ部分、どこかがボコッと飛び出ると明るく捉えている。
なので創作においてどこからどう見てもネガティブでしかない行動はあまり存在しないと思っている。
あるとすれば、なんもせずに時間が経つことかと思う。

何をすれば0いいねになり、何を変えれば10いいねになるのか、なんとなく見えてくる。そして、10いいねにたまになったりするとべつにいいねを求めている訳でもないことに気づく。
じゃあ何がしたいのかというと、おそらく自分の自信のあった箇所が読み手の深い部分で納得した時の、バチッと噛みあった瞬間を味わいたいのかもしれない。それはネット越しでもなんとなく分かる。とても心地よい。

高校生の頃、クラスでスピーチをして、自分の話を全員が聞きに入ってくれている時の手ごたえのような感じである。
そういう心地よさを共有できると、相手がどういう風に世界を見ていたのかが判明し、急に視点が逆転する。そうやって数人分の心、視点を得たうえで、外に出て道を歩くと謎のとんでもない余裕が生まれる。


脱線するが、自分が小説を書く理由は、鏡に写る自分の顔とか身長とか声がつまんなさすぎて、一生これをメインに据えてると100%飽きると思ったからである。違う誰かになりたい。という根本的な欲求がある。それは、なんか美味しいもの食べたい。という割と生理的なレベルだと感じるので、逆に無くす方が難しい欲求だと思う。

それは自分を否定したいネガティブなエネルギー一色でもなく、からりとした希望や期待もあると思う。色にすると黄色とオレンジの間のなんかちょっとメタリックな光沢のある感じである。日によるけど。

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